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黒電話の恐怖

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 前は中学生を教えていたのだが、前の学校というのは、最初に赴任した学校から、ずっと転勤せずに勤めていたところだった。
 ここの県での公立学校の先生は、
「一つの場所にずっといる人は、まったく動かないが、一度でも移動があると、後は、どんどんいろいろなところに移動させられる傾向にある」
 という。
 人事にも、情けのようなものがあり、いや、実際には、余計なことを考えず、
「一度異動をして、文句の出なかった人は、どんどん転勤させればいい」
 という思いが強く、
「一度も動いていない人をいまさら動かして、文句が来るよりも、移動に慣れている人を異動させればいい」
 ということなのだろう。
 もっとも、転勤辞令が出れば、基本異動しないといけないようになっているので、そこは普通の会社と変わりはない。ただ、この県は見る限り露骨だった。
 だからと言って、この傾向はこの県に限ったことではない。他の県でも当たり前にやっていることだろうが、なぜかこの県だけ、この問題が叫ばれていて、結果、不思議と目立つようなことになるのだった。
 それを思えば、今まで一度も転勤がなかった本郷は、
「運がよかった」
 と言ってもいいだろう。
 しかし、逆に言えば、
「そんな本郷先生が、35歳という中途半端な時期に、今まで転勤がなかった人が、急に転勤というのは、何かがあったからではないか?」
 と思われてもそれはそれで、無理のないことに違いない。
 本郷が仕事をしていた中学校は、今の学校から、三つほど隣の市で、何かあれば、ウワサになるかも知れないのだが、この赴任した学校で、自分のことがウワサになっているということはなかったのだ。
 実際は、何か話が伝わっていて、それがタブーだということで、緘口令が敷かれているのだとすれば別だが、そうでないとすれば、さすがに、そろそろウワサが聞けても不思議ではなかったのだ。
 だが、一切そんなことはないので、
「緘口令が出ていて、さぞや厳しいものなのか」
 それとも、
「まったくウワサになるようなことはないということなのか」
 であった、
 しかし、途中で転属してきた教員が、ずっと一つのところで勤務していた人だということを知れば、少なからず、何か疑惑を持つものだろう。
 そうなると、詳しい理由は知らないまでも、それほどきつい形なのではないだろうが、ちょっとした緘口令が出ているといってもいいだろう。
 どんな緘口令なのかというのが気になるところではあるが、本郷という人間が、やはり転勤してきてすぐはびくびくしていたが、慣れてくると、そうでもないと考えると、
「最初の緊張は、自分のウワサを皆が知っているのではないか?」
 という緊張だったとすると、新しい同僚は、
「本郷が転勤になった理由を知っているのではないか?」
 ということで、怖がっていたのではないか?
 という邪推もできるというものだ。
 だが、実際には、何カ月経っても、ウワサに関係のあるようなことはまったく出てくることはない。
 さすがに三か月経って、まったく一つもないのだから、
「これは、本当に何も知らないんだ」
 と思ったことで、緊張が一気にほぐれて、まわりにも馴染んだのだろう。
 元々、まわりに馴染むというのは苦手な方ではないので、そういう意味で、
「やっと、スタートラインに立てた」
 と思ったのだった。
 しかも、スタートラインと言っても、数か月という時間、一緒にいたという実績があることで、まわりの人のことは大体把握している。
「人心掌握術」
 に関しては、そんなに苦手な方ではなく、よく、
「秀吉張りの人たらし」
 などと言われていた。
 それを思うと、
「本当は人たらしなどと言われるのは好きではない」
 と思っていたのが、今は、
「それも懐かしい」
 と感じるようになっていたのだった。
 だが、それは人がいうことであって、自分はそんなに人たらしだとは思っていない。ただ、そういわれるということは、まわりがそういう目で見ることで、
「少し距離を取ってくれるのではないか?」
 ということで、自分で安心感を得られるような気がしたのだ。
 もちろん、自分が人たらしだなんて、今まで思ったことも感じたこともなかった。
「ただ、それをどうして急に言われるようになったのか?」
 ということを考えると、理由が見つからない。
「ひょっとして、誰か一人をそういう人間だということで祀り上げて、何かがあった時、その人が率先して動いたなどということにして、自分たちが難を逃れるとでもいうような、一種の人身御供のような感じに仕立てられるのではないか?」
 と感じたのだ。
 人身御供というのが、どういうことなのか?
 昔であれば、
「急に行方不明になった子供などがいれば、妖怪に誘拐された」
 という意識でいたが、言葉の意味から考えると、どちらかというと、
「人柱」
 のような、
「生贄」
 に近い形なのではないかとおもうのだった。
 人身御供について、子供の頃に、あった勘違いから見れば、今では分かっているつもりである。
「人柱というのは、日本古来の一種の人身御供で、建物を建てる時など、災害が起こらないように」
 あるいは、
「土地の神様が、お怒りにならないように」
 するために、生き埋めにするというものだ。
 人身御供というのは、神に身を捧げるという意味で、この世での最高の奉公だという詭弁を使って、正当化しているのだろう。
 ただ、宗教というのは、大なり小なり、詭弁を使って、信者を信じ込ませるということをしているのを思うと、
「これこそが、宗教の真髄であり、生き残るための信者に対しての、洗脳だと言えるのではないだろうか」
 別に本郷は、神様を信じているとか、何かの特定の宗教を信じているとか、そういうことはない。
 実際には、宗教的なことは嫌いで、特に子供の頃、親が宗教を毛嫌いしていたこともあったので、自分も嫌いだった。
 父が青年の頃、ちょうど、宗教団体の問題が、絶えず社会問題になっているような時代で、今から考えると、その頃から、次第にエスカレートしていったのではないかと思われる。
 最高にひどかったのが、今から、四半世紀前に起こった。
「ある宗教団体による、無差別テロ」
 であった。
 毒ガスを使うという意味で、悪質であり、今では、その実行犯たちは、皆処刑されて、すでにこの世にいないが、
「こんなことが、この法治国家である日本で起こるんだ」
 ということが叫ばれていた頃だった。
 本郷は、まだ小学生の頃だったが、その惨状はテレビで放送され、
「たぶん、僕が物心ついてから、最初に感じた、犯罪の残虐性だったのかも知れない」
 と思っていたのだ。
 地下鉄構内から逃げ惑う姿。
 物々しいガスマスクをつけた人たちが、足早にそして静かに行動している。
 表では、けたたましくも甲高い、救急車、パトカーなどの音。
 さらには、マスゴミの密集している姿。
 それぞれに、普段は絶対に見ることのできない光景に、本郷少年は、身体が凍り付いた気分だった。
 きっと、精神的には、子供から大人になった時だったのかも知れない。子供であれば、どんなにけたたましい光景でも、
作品名:黒電話の恐怖 作家名:森本晃次