黒電話の恐怖
と思ったことですぐに冷静さを取り戻し。パニックになったりはしていないことは分かっていたはずだった。
自分だけではないと思うと、結構強くなれるもので、演台に立っても、
「緊張なんかするはずないよな:
と思っていると、実際に受け持ちの時間を長いとも短いとも思ったわけではなかった。
だから、受け持ちの時間を、うまく使うことができたというもので、何とか、長くも短くもなかったことが、それだけ平常心だったということの現れだと思った。
そのせいで、
「優勝は俺のものだ」
と、正直、思っていた。
最後に演台で、校長先生から、トロフィーがもらえるところを想像して、舞い上がっていたのだ。
しかし、蓋を開けてみれば、自分は、呼ばれることはなかった。入賞すらしていなかったのである。
25人参加の中で、入賞が5人、そして、その中から優勝と、準優勝が決まるわけだが、その5人の中にすらいないのだ。
「俺の何がいけなかったんだ? あれだけ冷静になれて、誰にも負けない内容の演説をしたはずなのに」
と考える。
さすがに納得がいかなくて、放送委員の人に、VTRを見せてもらった。
最初は、
「いまさら見たって、しょうがないよ」
と言われたが、
「いや、どうしても納得がいかない」
と食い下がったので、彼は見せてくれた。
これが、まだマシな演説であれば、もっと拒否しただろうが、決定的な映像であれば、納得してくれるだろうと思って、見せてくれたのだろう。
「しょうがない。諦めがつくのだったら、見せてやろう」
と、最初から、この言い方は、いまだに入賞しなかったことが信じられない自分には、
「何を言っているんだ?」
としか思えなかった。
実際に見せてもらうと、そこに写っているのは、
「本当に自分なのか?」
と思った。
自分では、なるべく、原稿を見ずに、前をしっかり見て話しているつもりでいた。もっとも、前は光で見えなかったが、見ているつもりだったのだ。
しかし、実際の自分が、下ばかり見ていて、顔をまったく上に挙げていないではないか。背中は曲がっていて、この姿勢だけで、すでに、
「入賞などありえない」
と思わせた。
しかも、声もハッキリと聞こえてこない。何かボソボソと呟いているのは分かるが、蚊の鳴くようなまさにそんな声だった。
それに、その声は、まるで女の声のようにか細く、どちらかというと、甲高い声で、聴きづらい上に、聴いていて、気色の悪い声に聞こえたのだ。
ここまでくると、目を覆って、耳を塞いで、まるで、日光東照宮にある、
「見ざる言わざる聞かざる」
の三匹のサルになったような気がするのだった。
さらにとどめが、喋り方だった。
聞こえてきた声は、一瞬、
「誰の声」
という声で、しかも、どこかの訛りがあった。
「西日本系の訛りだ」
というのは分かったが、どこの訛りか分からなかった。
ただ、おばあちゃんが話していた訛りに似ていることから、おばあちゃんに言われているような気がして、完全に、
「これじゃあ、入選どころではないわ」
と感じたのだった。
っすがに、訛りがあるところまでは、想像を逸脱していたので、そこまでくると、却って聴いているのが恥ずかしくなった。
「ありがとう。もういいです」
というと、彼は無言でテープを外したが、
「なるほど、これなら、口で説明するよりも見せた方がいいよな、相手がショックを受けるというよりも、それを通りこして、さらに恥の上塗りとまでくれば、別に話をするところまではいかないからな」
と、本郷が納得すると、やっと相手はにっこり笑って、いつもの表情をした。
そして、
「どうだい? 来年は?」
と言われたが、
「そうだなぁ、リベンジと言っても、今は何を言っても、言い訳にしかならないから、それだったら、何も言わない方がいいだろうな。このテープがそれを証明してくれていたからな」
ということであった。
だから、この時から、
「俺、先生になるの、やめようかな?」
と考えた。
「このまま続けて、資格は取れたとしても、実際に教えるとなると、どうなんだろう?」
と思ったが、それでも、今から他の道を模索するのは、難しいことを考え、このまま突っ走ることにした。
それだけ、弁論大会での演技は、ひどいものだったのだ。
ここで、他の道に切り替えたとしても、結局、演説であったり、自分が主導権を持って何かに当たった時、ロクなことにならない。それは、
「普通の会社に入った時の方が、露骨に出てくることだろう」
と思ったのだ。
教師として、生徒に教える方がまだマシだと思ったのは、
「生徒を下だという思いで見ていたからに違いない」
教育実習の場合は、こちらが緊張していたので、あまり意識がなかった。
そう、あの自信に満ち溢れていた時の弁論大会の時のような気持ちだった。
しかし、それを意識していないというのが、自分の、
「お花畑的な発想」
だったのだ。
まわりのことを意識しているつもりで、まったく意識していない。だから自分が見えず、自信に満ち溢れているというマヒした感覚がそうさせたのだろう。
「俺の授業は、まあまあだっただろうな」
と思ったのは、元々の担任が何も言わなかったからである。
その先生は、別に教育実習生の先生ではない。ただ、自分のクラスに、一人教育実習生がまわされたというだけだったのだ。
教育実習生が、いかによくても、悪くても、その先生にはまったく関係のないことだった。
「本郷先生は、先生のやりたいようにやってください」
というだけだった。
その先生も、普段から、生徒にあてにされていない先生であり、ただ、学校に来て、
「今日一日が無難に終わればそれでいい」
ということしか考えていなかった。
そう考えることが、教師としての、役割だとでも思っているようで、何かあったとしても、それが表に出ていなければ、それでいいと思っていた。
いい加減と言えばその通りだが、本郷は、少し違った。
「ただ何もなくやり過ごしてしまって、後になって、問題になった場合のことを考えると、不安で眠れなくなる」
という性格だったのだ。
しかし、
「何が正しくて何が間違っているかということが分からないのだから、余計なことを考えたとしても、自分にどうすることもできないということであろう」
と考えていた。
間違っているということが、自分にとって、いい悪いの判断と少しずれているのだということがわかると、
「弁論大会の時の教訓が生きているような気はするのだが、どこに影響しているのか分からない」
という、正直、何の反省にもなっていないということであろう。
弁論大会で、あれだけ惨めなテープを見せられ、あの時に感じたことで覚えているのは、
「俺って、あんな声だったんだ」
というどうでもいいようなことだった。
ただ、自分の声が感覚と違うということは、
「テープを見なかったら」
ということであり、もっと言えば、
「自分が、入選できなかったからだ」
ということでもあり、さらに、
「弁論大会になど出なければ、分からなかった」
ということである。