黒電話の恐怖
「まったく正反対というのはどうでしょう? 僕はその小説を読んだことがないので、何とも言えないんですが、反対の反対は、賛成って言葉があるくらいで、あまりにも正反対ともいえるような話って、意外と、正論だったりするんじゃないかと思うんですよ」
と言った。
「ああ、なるほど、それはいえるかも知れないですね。私もここに住んでいた方が、実際にどんな人だったのか分からなかったので、何とも言えないんですが、変わったところがある人ではありましたね。会社までは、ここから結構遠かったんですが、最初にこのお部屋を案内してきた、住宅相談の会社の人から聞いた話では、その人は、即決でここを決めたというんです。他にもいくつか候補があって、実際には、その人の希望からすれば、むしろここは、最悪に近い方だったようなんですが、ここに見に来た時、少しだけ、中を見ただけで、ここにするという即決だったんですね。先ほども言ったように、会社からも遠いし、部屋や間取り、それから、値段に関しては、ご本人の希望から考えれば、だいぶかけ離れていたようなんですよ。それでも、頑なにここがいいと言い張ったのは、変だと私も、住宅相談の会社の人も思っていたので、少し気になっていたんですけどね」
というではないか。
「そうですか、あの方も黒電話の音が聞こえるということを、私だけには話してくれていたんですが、そのことと、今回の入院は何かあるのではないかと思ったんですけどね」
というと、
「そういえば、もう一つ気になったことがあったんですけどね」
と管理人はいう。
「それは?」
「残っていたものは本だけではなく、絵でもあったんです。壁に飾られていたんですが、どうも、本人が描いたではないかということだったんですが」
と言われて、
「どうして、本人の絵だと思われたんですか?」
と聞くと、
「その光景に覚えがあったんですよ。その絵が、どこかの神社のようだったんですが、それがK市にある、山の中腹に入るところの神社だと分かったので、それでピンと来たんですよ。プロの絵にも見えませんでしたが、明らかに場所を特定できるだけのテクニックはあったんです。だから、その絵を見た時、不思議な感覚と、少しゾッとするものがありましたね」
というのだった。
大団円
本郷は、次第に、隣人の記憶が薄れていくのを感じていた。
「一体、どんな感じの人だったんだろう?」
という思いと、
「その人がどんなことを言っていたのか?」
あるいは、
「いつどこで話をしたのか?」
という詳しいこと、それぞれは、普通まったく違った感覚であるはずなのに、どちらも少しずつ忘れていくようになり、次第に、
「まるで最初からいなかったのではないか?」
という感覚すら持つのだった。
それと同時期に出てきた。奥の部屋の人が言い出した。
「黒電話に対しての苦情」
というか、問題提起は、管理人側からすれば、
「我々に言われても、調査はしてみるが、土足で他人の家に入り込むことができないので、自分たちは関係ないといわれると、それ以上調べることはできない」
ということになるだろう。
どんなに嫌疑があったとしても、証拠のようなものがあっても、問い詰めることはできても、文句を言ったり、
「出て行ってくれ」
などということはできない。
それは警察が捜査をしても同じことであろう。
一つの隣人トラブルとして、
「訴訟も辞さない」
ということで、裁判沙汰になって、住民側が勝訴ということになれば、強制執行もできるだろうが、なかなかそこまでする人もいないだろう。
このマンションは、分譲マンションではなく、賃貸マンション、転勤がつきものの人たちが、
「いつ転勤といわれてもいいように、賃貸マンションを借りているのだから、ここでわざわざトラブルを抱え込んでもしょうがない」
と思っていることだろう。
もし、明日転勤と言われれば、1カ月以内に引っ越すことになるのだから、訴訟などもっての他で、そんなことをしても、途中でほっぽり出すことになると思うと、何もできないといってもいいだろう。
しかし、何もしないというのも、癪に障るので、せめて、文句や苦情くらいは言わせてもらうというのが、心情ではないだろうか。
皆が皆、そんな感じで考えているとすれば、結果、
「お互い様」
ということで、それぞれの徳視力が働いて、文句をいうこともないに違いない。
それが、
「賃貸マンション内での、暗黙のルールのようなものなのかも知れない」
といえるだろう。
そういえば、隣人が残していったという、
「自己犠牲の時代小説」
というのを読んでみた。
その小説を書いた作家は、それほど有名な作家ではなく、実は他にも作品は本として出していたようだが、売れているのは、その作品だけだという。
その作品は、ある出版社が主催した、
「時代小説新人賞」
というコンクールで大賞を受賞した作品だという。
それまでは、時代小説というと、勧善懲悪だったり、庶民の中でヒーローが生まれるというようなものが多かったのに、その作品は、庶民の
「自己犠牲」
のようなものを描いた、一種の、
「掟破り」
ともいえる作品だったのだ。
それが話題となり、賛否両論ある中で、大賞を受賞した。
だが、その作家は、そこまでがピークだったのだろう。受賞作がセンセーショナルなものだっただけに、さらなる作品を出版社に求められても、無理だというものだった。
作家自身が、世間からの期待を身に染みて分かっていたので、それにこたえることは難しいと考えたのだろう。
実際に、新作を考えたとしても、それ以上の作品を考えるだけの力はなかったのだ。
これは、この作家だけに言えることではなく、ほとんどの作家に言えることで、
「受賞作で、出し切ってしまった」
と自分で感じる人は、それ以上の伸びしろはないというものだろう。
それだけに、
「たくさんの作家がデビューするが、生き残ることができる人はほとんどいない」
ということであろう。
ミステリー作家などであれば、
「トラベルミステリー」
あるいは、
「○○探偵」
と言われるような、いわゆる、
「安楽椅子探偵」
の代表的な探偵を登場させるなどして、
「このジャンルであれば、この作家」
というような形が出来上がっていないと、生き残ることはできないだろう。
一つの柱さえ作ってしまえば、後は、少々似た内容の作品でも、バリエーションでしのぐことができる。
とはいっても、そのバリエーションが難しいわけで、一歩間違えると、
「二番煎じ」
と言われ、読者に飽きられてしまうことも考えられる。
それを避けるためにこそ、自分の作風に一本筋の入った、
「大黒柱」
のようなものがあるなしで、まったく変わってくるというのが、小説であったり、マンガの世界の作風と言えるだろう。
特にマンガの連載ともなれば、主人公はずっと同じで、主人公がいろいろな人と関わったり、仲間を増やして、敵と戦い、そして成長していくという、サクセスストーリーのようなものがウケるのだ。
そういう意味で、小説の世界でも、一時期、