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黒電話の恐怖

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「異世界ファンタジー系の小説」
 というものが、やたらとウケる時代があった。
「○○系」
 と言って、出版社の名前を使った言い回しもあるくらい、出版社の中には、異世界ファンタジーを前面に押し出して売り出すところもあったくらいだ。
 ただ、このような文庫の会社は今までにもあった。
「SF専門文庫」
「海外小説専門文庫」
 あるいは、
「アダルト小説専門文庫」
 などである。
 ただ、なかなか専門ということにすれば、
「ブームに乗れば、一気に売れるが、ブームが去れば、そこからは氷河期だ」
 ということで、なかなか難しいところであろうが、
「ブームというのは、数年に一回はやってくるものだ」
 というのも事実であり、それに乗っかるかのように、続けてきた文庫もあった。
 ただ、時代小説や、歴史小説などは、爆発的なヒットはないが、固定的なファンは一定数いて、文庫化していけば、地道に売れるという、
「安定型の文庫」
 というものもある。
 それだけに、斬新な作品を発表すれば、それ以上を求められるのは、他のジャンルよりも強い印象があり、アイデアがないのであれば、その一冊のヒットだけで、身を引くというのが、ある意味正解ではないだろうか?
 その時代小説は、どちらかというと安定を求めるような作品だった。作品自体には、それほど目新しいものはなく、珍しいという感じではないように次第に感じられた、
 ただ、時代小説というのが珍しい感じで、現代小説ならあり得る話をわざと、時代小説として描いていた。
 それに、時代小説は、基本的にフィクションである、どのように書こうが作者の勝手、時代考証さえ問題なければいいのだった。
 その話は、
「普通の人であれば、最初は感動があっても、次第に感動がなくなってくると、自然消滅してきそうな話だ」
 といってもいいだろう。
 しかし、本郷にとっては、
「こんなに印象深い小説はない。まるで俺のことを書いているようではないか?」
 と感じられた。
 というのも、神社で少年が死んだ時のことを、その時にいたまわりの人から聞かされた話に似ていたからだ。
 これは、本郷の胸の中だけに抑えてきたのだが、それというのも、あの時死んだ少年というのは、
「皆が境内の鳥居に石を載せる遊びをしていて、それが誤って近くにいた少年の頭に当たった。彼は一緒に遊んでいたわけではないが、そのままにしておけば、その遊び自体が危ないということになり、投げた人間を特定し、犯人としなければいけなくなる」
 ということだった。
 だから、しょうがなく、犯人を絞らないように、
「その死んだ子も遊びに加わっていて、誰が悪いというわけではなく、不可抗力だったのだ」
 ということにしたのだという。
 これは、死んだ人間を犠牲にするという意味で、死んだ少年から見れば、
「自己犠牲だ」
 といえるだろう。
 そして、
「やむを得ない事故だったのだ」
 ということであれば、死んだ子供の母親も、学校に文句もいえず、ただ、
「今度、あんな危ない遊びはしてはいけない」
 ということになるだけで、犯人追求を逃れることもできる。
 そもそも、事故だったことには変わりはない。だから、犯人を追い求めたとしても、そこに何ら
「救われる」
 ということもないだろう。
 それを思うと、
「死んだ人間に口はない」
 ということで悪者になってもらう。
 それが本郷の考えだった。
 それを自己犠牲だというのであれば、それは無理もないことだろうが、それだけではないのだ、
 生徒の責任はそれでいいのだろうが、生徒に責任を求めないのであれば、教師側に責任を転嫁するしかない。そうなると、その責任を負うべきは、担任の本郷しかいないだろう。
 本郷とすれば、
「理不尽だ」
 と思ったが、自分もいまさら他の人に言えない、
「責任の隠蔽」
 を行ったのだ。
「子供たちのため」
 ということであるが、結果として、自分に被害を受けないようにという考えからだった。
 被害というのは、
「面倒なことに巻き込まれて、せっかくの平穏な時間をかき回されるのが嫌だった」
 という、
「面倒なことからの回避」
 だったはずが、結局、因果応報というべきか、責任の転嫁が一周まわって、自分のところに戻ってきたのだった。
 それこそ、
「自己犠牲をしてしまった」
 ということで、言い訳もできず、結局学校が、
「トカゲの尻尾斬り」
 として自分を切ってしまったのだから、
「二段階における自分への自己犠牲だ」
 と考えていた。
 黒電話が鳴っていたこと、そして、隣人の知らないうちの引っ越し。さらには、そこに残されていた小説と、絵画。
「そういえば、死んだ生徒も、絵画が好きだといっていたっけ」
 ということを思い出した。
 風景画は、生徒が死んだ神社の絵に違いなかった。
 そして、後からもう一枚の絵が発見されたという。それは人物画だったのだが、それを本郷は見ることはなかった。
 その描かれている人物画は、少年のように思えた。
 もし、これを本郷が見れば、
「あの時に死んだ、自分の教え子だ」
 と気づいたことだろうが、もう本郷先生は、この部屋には当分戻ってくることはないだろう。
 先生は、急に記憶を失ってしまった。医者とすれば、
「一時的な記憶喪失だ」
 というが、それだけではないようだった。
 というのは、医者がいうには、
「精神的に何か一つ、ねじが狂っているとでもいえばいいのか、少し精神的に病んでしまったのだ」
 という。
 学校では、授業中、生徒が先生のいうことなど聞かず、好き勝手な授業風景。次第に本郷先生は、何も感じなくなって、スマホの中に、黒電話の着信音を持っていたという。
 うるさい授業だったが、急にいきなり黒電話の音が鳴ると、生徒は恐怖におののくように、その時は、何も言わなくなる。
 だが、それもその時だけのことで、次回の授業の時には何もなかったかのような、いつもの煩い授業風景になる。
 生徒が怖がっていたのは、先生の黒電話の音だけではなく、その音が鳴った同時に浮かべる先生の恐怖に満ちた顔であった。
 それが、死相を表しているかのようで、この世のものとは思えないと、皆思うようで、その顔が、前の学校で死んだ生徒の顔にソックリだということは、誰も知る由もないことであったのだ……。

                 (  完  )
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作品名:黒電話の恐怖 作家名:森本晃次