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黒電話の恐怖

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「普段から意識していることを必要以上に意識しなければならないと思うことで、その恐怖が倍増する。逆にいえば、恐怖が倍増することで、その根拠や信憑性を表しているのではないか?」
 といえるのだと、自分で解釈しているのであった。
「自分を納得させるというのは、時として、自分に残酷なのかも知れないな」
 と、自分に納得させるという、そんな考えもあったのだった。
 そんな、
「夢のスパイラル」
 を、最近感じるようになると、目が覚める自分が、それまでとは違った目覚めの仕方をしているように感じられた。
 最近というのは、夢の世界が絡んでくると、時間の感覚がマヒしているように感じるので、おおざっぱにしか感じられないが、一つ言えることとしては、
「学校を変わって、つまり、異動してからの、ここ三年間の間くらい」
 ということになるだろう。
 もちろん、家もまわりもすべてが変わったので、
「環境が変化した」
 ということで、眠っている世界も変わったといってもいいだろう。
 最初になってこそ、
「どんなにまわりの環境が変わったとしても、夢の中でのことには、まったく影響がなく、変化などしていないのではないか?」
 と思うようになったが、考えてみれば、これが当たり前のことであり、実際に、異動してきてすぐは、目が覚めた時、
「ああ、そうだ、俺は転勤になって、引っ越したんだ」
 と改めて感じさせられた。
 そのうちに、転勤したことを目が覚めても感じなくなったのは、
「環境に慣れてきたから」
 と思ったのと、
「感覚がマヒしてきたからかな?」
 と感じたことであったが、後者こそ、
「自分に夢というものの本質であったり、時間の感覚というものを意識させることになったのではないか?」
 と感じさせるものであった。
 それを思うと、実際の感覚が、夢で感じていることを、後追いの形で、後ろから追いかけているように感じた。
 それはポールを回るように、グルグル落ちていくもので、それがまるで、
「負のスパイラル」
 というものを感じさせるというものではないかと思わせるのだった。
 あの部屋で黒電話の音が響いたのを感じるようになってから、1週間が経ったが、ほぼ、毎日、黒電話の音が聞こえた気がして、その瞬間に目が覚めるのだった。
 時間が、それこそ、
「草木も眠る丑三つ時」
 といってもいい時間帯であり、完全に熟睡している時間だ。
 何度か、
「音を確かめてみよう」
 と思い、夕方から少し眠って、深夜起きていることにした。
 幸いにも、午後八時くらいから、いつも睡魔に襲われ、それを我慢することで、いつもの就寝時間である、十二時くらいまでもつ毎日だったが、逆に、八時頃に我慢せず、眠ることができれば、目が覚めるのが、翌日の1時頃となり、丑三つ時に差し掛かる態勢が出来上がるのだった。
「絶対に、午後二時以降と限らないかも知れない」
 と思ったのは、一度は、黒電話の音を、睡魔に襲われるという中途半端な時間帯ではない時に確かめておきたかったのだ。
 その日は、目が覚めてから、じっと、静寂の中、いつ鳴るのか? そもそも、鳴ると決まっているわけでもない中を、じわっとした気分で待っていた。
 次第に耳鳴りのようなしてきて、
「時間って、湿気を帯びてるんじゃないか?」
 という、おかしな感覚に陥るのだった。
 耳鳴りのせいで、せっかくお静寂が意味をなさないようにも思えてきて、とにかく、
「早く、黒電話お音が聞きたい」
 と思って、じっとしていると、いよいよ、
「ジリリリーン」
 という音が聞こえてきた。
「あれ?」
 とすぐに思ったのだが、それは、その音が聞こえてきた感覚がいつもと同じだったからだ。
「俺、眠ってしまっていたのか?」
 と感じさせられ、
 耳鳴りは消えていて、この間のように、遠くの方から近づいてくるように、黒電話の音が鳴り響いたのだ。
「ひょっとすると、静寂の中だと、俺は眠ってしまうのだろうか?」
 と思わせた。
 さすがにその日は、それ以降眠れなかったことで、その晩から朝まで、みっちりと熟睡することがわかっていて、実際にそうなってしまうと、本当に朝まで目が覚めなかったのだ。
 次の日に、もう一度チャレンジしてみることにしたが、今度は、少しだけ、テレビをつけることで、眠らないようにした。
 音に関しては実に微妙で、音を下げればいいというものではない。中途半端な音の下げ方をしてしまうと、今度は睡魔が激しくなり。下手をすれば、
「睡魔を感じる前の。心地よさの段階で、眠りに落ちてしまうに違いない」
 と考えたのだ。
 だからと言って、必要以上に音を立てると。今度は肝心の電話の音が聞こえない。
 さらに、昨日、
「どうして、睡魔の襲われたのだろうか?」
 ということを冷静に考えると、
「耳鳴り」
 というものが影響しているのではないかと思ったのだ。
 つまりは、耳なりという高周波の音が、心地よい睡魔を誘い、それが、
「肝心な時になると、眠ってしまう」
 という現象を引き起こし、結果、目的を達成することができなかったのだ。
 完全な密室でもあるかのような、静寂の中では、普段感じている音が聞こえないということを、おかしな現象と誤認して、音を何とか立てようと考える、もう一つの頭脳があり、その頭脳が起こせる音が、あの、高周波の音なのかも知れない。
「それだけしか起こせない」
 ということなのか、
「あの音が起こせる最大の音であり、それが、本人の意図したところではないが、重要な役割を担っているのではないか?」
 と考えさせられるのであった。
 そして、今度こそ、その音を、
「夢ではないか?」
 という錯覚かも知れない状況で聞くことなく、本当に自分で感じるという思いで、その音を感じたのだ。
「ジリリリーン」
 という音が、まさに鳴り響いたその時、一緒に思い出したのが、非常ベルの音だった。
 こちらは、錯覚ではなく、間違いなく聞いた音であり、記憶の中の信憑性に間違いないものだった。
 それも、毎年のことであり、
「安全だとは分かっていても、これほど緊張感を煽る音もないだろう」
 というものであった。
 これは、自分だけでなく、ほとんどの人にありえることだ。というのも、年に一度開催される。
「防災訓練の日」
 だからである。
 学校で、しかも公立の学校は、避難訓練や、防災訓練というのは、年に一度義務付けられているもので、その時に、非常ベルというのが、けたたましく鳴り響くのである。
 当然、火事など起こっているわけでもないし、起こったとしても、消防隊が来ているのだから、防犯体制や、非難に関しては、これ以上ないというくらいの状態である。
 それこそ、
「将棋の最初に並べた形」
 であり、
「誰もいきなり崩すことのできない状態だ」
 といえるのではないだろうか?
 そんな状態で聞こえてきた非常ベルの音でも、そのけたたましさは変わりはない。どんなに安全だと分かっていても、最初に感じた恐怖を拭い去ることはできないのだった。
 それがトラウマというものであり、トラウマというものは、
「一度身につくと、拭い去ることは難しい」
 と言われるのだろう。
作品名:黒電話の恐怖 作家名:森本晃次