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黒電話の恐怖

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 自分の気持ちや抗体の力というのは、どんどん強くなってくる。そのうちに、相手よりも強くなることで、相手を打ち破ることになる。それが、人間の身体でいう、
「発熱の期間」
 である。
 普通の風邪であれば、1日や2日で収まるが、インフルエンザのようなものであれば、
「3日は、39度以上の熱で苦しむ」
 というではないか。
「インフルエンザのようなものは、さすがに難しいが、普通の風邪くらいであれば、熱が上がっている間、何とか熱を下げようとするのだろうが、それは間違いだ」
 と言われる。
「熱が上がっている間は、自分の身体が抗っている時なので、
「却って身体を冷やしてはいけない」
 と言われる。
 その証拠に、熱があるにも関わらず、ガタガタ震えていることもあるではないか。つまり、
「発熱時というのは、身体を冷やさないように、毛布をくるんだり、着こんだりして、寝ているのが一番だ」
 ということである。
 しかし、
「だけど、汗がどんどん出てくるではないか?」
 と言われるが、
「それこそ、身体から、悪い菌やウイルスが抜けて行っているわけなので、汗を掻いたら、乾いたタオルで身体を拭いて、そして着替えればいい」
 ということになる。
 つまりは、新しい下着やパジャマが、かなりの枚数必要だということになるだろう。
 ただ、本当に熱が上がっている間は、汗を掻くことはないのだ。逆に、
「汗を掻かないから、身体に熱が籠って、熱が上がっている」
 といえるのだろう。
 だから、
「悪い菌やウイルスを自分の身体の中で撲滅させて、そして、その残骸を汗として流し出す」
 というのが、
「風邪を治す一番の方法だ」
 といえるであろう。
 熱が下がり始めると、どんどん汗が噴き出してくる。そこで、アイスノンなどを使って冷やすのだ。
 そして、汗が出切ってしまうと、そこでスッキリとして、風邪が治ると言えるだろう。
 これは、風邪に対してだけの問題ではなく、精神的なものにも言えるのではないかと思える。
 本郷にとって、その時の事故は、最初は、どちらかというと他人事だった。
 まず最初に考えたのが、
「俺が悪いことをしたわけではない」
 という思いだった、
 だから、当然、
「お咎めを受けることはないだろう」
 という思いであり、しかも、記憶が失われたという後遺症は残ったが、命に別条があったわけではない。
 だから、余計に自分が悪いわけではないという思いが強くなり、学校側も自分を裁くことあないと思っていた。
 しかし、その意に反し、何と、学校側のメンツのために、自分が犠牲になるという、思ってもみなかったことが起こると、さすがに学校に対して、
「裏切られた」
 という思いになった。
 かといって、自分を何とか納得できる結論を見出さないと、身の振り方が変わってくる。
 少なくとも、現状維持はありえないのだ。だとすれば、
「学校側のいうとおりに、他の学校に移る」
 あるいは、
「学校側のやり方に我慢することなく、いばらの道を行く結論を出すか?」
 ということであるが、この年になって、今からいばらの道を行くことは、恐怖でしかない。
 それを思うと、
「理不尽であるが、学校の言う通り、自分を何とか納得させて、渋々でも、他の学校に移るしかない」
 ということになる。
 そのためには、まず、どうすれば、自分を納得させられるかということだが、一つ言えることは、
「これで、あんな理不尽なことをいう学校の本性が分かり、そんな学校と離れることができるのだ」
 ということであった。
 しかし、かといって、今度移る学校が、そうではないと言い切れない。むしろ、
「同じなんだ」
 ということであれば、今度は、
「最初から分かっているということは悪いことではない」
 として、自分を納得させられるという思いであった。
 双方向からの、考えを摺り寄せることで、自分を納得させるという方法もあると考えると、何とかできないこともないと思うのだった。
 そんな頃、つまり異動しての最初の頃、よく夢を見ていたような気がした。
「ような気がした」
 というのは、
「夢を見ていた」
 という確証が自分にないからであった。
 というのも、夢を見ていたというには、夢の記憶はおろか、夢を見ていたという自覚が定かではないということであり、
「忘れてしまった」
 という意識が残っていれば、夢を見ていたということが間違いないと言えるのだが、その記憶がないのであった。
「目が覚めると、汗をぐっしょり掻いていた」
 という意識であったり、
「あれ? いつの間にか寝てしまっていたようだ」
 という、眠りに就いた意識がないのに、目が覚めた記憶だけがあるということで、
「目が覚めた時に、それまでの記憶の一部を忘れてしまったのだろうか?」
 という、一時的記憶喪失のようなものをイメージしてしまっているかのようだった。
 だから、夢を見ていたと思っているだけで、本当はそうではないのかも知れない。しかし、そうではないと言い切れない感覚と、夢だと思うしか、説明のつかないようなこともあったのだ。
 それを一つ一つ覚えていないのも、夢の夢たるゆえんではないかと思い、それだけ、夢というもののスパンが長いのではないだろうか?
「夢というのは、目が覚める寸前の数秒で見るものだ」
 という話を聞いたことがあった。
「目が覚めた」
 というのは、果たしてどこなのだろうか?
「夢の世界から切り離され、自分の中で、さっきのは、夢だったんだ。という意識を持つ瞬間のことをいうのだろうか?」
 あるいは、
「そのあと、実際に現実世界に引き戻される時間を感じながら、もうここまでくれば、また眠りたいという思いに至らないと感じた時であろうか?」
 夢の世界というのは、怖い夢だったと思いながらも、睡眠の一部だと思うと、
「まだ寝ていたい」
 と思う時間帯があるようだ。
 だから、怖い夢は忘れないのだろう、っそういう過去に戻ろうとする意識を、感じさせないようにするためではないかと思うと納得がいく。
 もちろん、他の人はそんなことまで考えないだろうと思う。そんなことを考えている自分が、おかしいのであって、それを感じることが、他の人にはない無意識の感情となるのではないだろうか?
 ただ、一つ思っているのは、
「覚えていない夢というのは、目が覚めるにしたがって、忘れていくものだ」
 という感覚であった。
「覚えていないというだけで、すべてが、夢の中で完結しているわけではなく、夢から覚めていく間に忘れてしまう作用が働くのだ」
 ということであった。
 その作用が、どう自分に影響しているのか分からない。しかし、
「覚えていないというのは、覚えようという意識がないわけではなく、覚えるところまでは、皆同じであり、忘れてしまうという作用があるかないかということで、覚えていることは、忘れたい忘れたくないという理屈のいかんにかかわりなく、忘れようとしなかっただけのことではないだろうか? だから、夢で覚えていることのほとんどが、怖い夢だったと感じるのではないだろうか?」
 と、考えるようになったのだ。
作品名:黒電話の恐怖 作家名:森本晃次