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黒電話の恐怖

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 やはり夢というのは、見ている本人の、
「想定外」
 のような夢が見られるようで、明らかに意識するのが、
「時系列」
 であった。
 一晩の夢の中で、いろいろなことが、それこそ走馬灯のようによみがえってくる。
 もし、これが、同じ人が相手で見ている夢であれば、
「時系列に沿って」
 展開されるに違いない。
 だが、実際には時系列に沿っているわけではない。最初に、自分が赴任している最後の方の卒業生が出てきたかと思うと、今度は、別の卒業生が出てきた。
 よく見るとよく似ている。
「あ、今度出てきたのは、お兄ちゃんではないか」
 と感じたのだ。
 夢に出てくるのは、本当に走馬灯のように、ランダムで、いつの時代が出てくるのか分からない。
 そういう意味で、
「走馬灯のように」
 という表現なのかも知れないと、本郷は感じたのだ。
 最後は、三年前だった。その三年前が、はるか昔に感じられるのに、夢の中では、赴任してきた、フレッシュな時期が、つい最近のように思えた。
 それは、別に新しい学校に赴任してきて、新鮮な気持ちになったからではない。
 何しろ、この学校に来てから、
「新鮮な気持ち」
 になれるわけなど、あるはずもなかった。
 この学校がどうの、あるいは、前の学校がどうの、
 というものではなかった。
「どうして、本郷が、前の学校を移ることになったのか。そして、そこに、なぜ新鮮さなどというものがないと言えるのか?」
 ということなのだが、
「俺には、そんなことを考える資格なんかないんだ」
 という、完全に後ろ向きの考え方である。
 それを思うと、本郷が、夢を見始めたというのは、何か曰くがあるのではないかと、考えさせられるのだった。
 学校は、公立中学であったが、大学の付属中学ということで、中学受験を乗り越えて入学してきた人たちばかりだった。
 ということもあり、地元の人間ばかりではなく、通学できる子は、電車で通学してくる子の結構いたのだ。
 もちろん、通学できない子のために、学校が寮も用意していて、学校から歩いて数分のところにある寮から通っている生徒も若干ではあるがいたのだった。
 そんなこともあって、駅までの道というと、学校から、長い坂を下って通うのだが、そこは、住宅地でもなく、どちらかというと、森のようになっているところであり、道は広かったが、住宅はそれほどあるわけではなかった。
 駅から、学校までは、その道が一番近い。ただ、少し遠回りをして他の道を通ったとしても、住宅街があるわけでもないので、歩いている人もほとんどが、中学生だと言っておいいだろう。
 そうなると、治安という面も含めると、学校側としては、
「なるべく、集団行動を取って、帰る時は友達と帰るようにしなさい」
 という指示を出していた。
 幸いなことに、この中学では、苛めらしいものはほとんどなく、友達も、数人同士で仲間を作っていることから、自然と、
「集団登校」
「集団下校」
 という形になっていった。
 生徒の方もそれなりに、一人で歩くということが怖いと分かっていたのだろう。
 それを思うと、学校からの帰り道、ちょうど、坂の中間くらいのところに、神社があるというのは、幸いだったのかも知れない。
 そこの神社はほとんど誰も来ることはなかった。早朝に、老人が散歩がてらにやってくるとは聞いたことがあったが、通勤通学の時間帯は、神社の境内を通り抜ける人はいても、お参りをするという人は見かけなかったのだ。
 それだけに、
「あの神社、怖いよな」
 とウワサされるところとなっていたのだ。
 以前、一度その神社で、鬼ごっこをしている小学生がいたという。
 その小学生が、急に行方不明になり、その日は見つけることができず、
「翌朝になって皆でまた捜しに行こう」
 ということになったのだが、今度は早朝に、先に先生が探しにいくと、ちょうど境内の賽銭箱の前あたりで寝ている姿が見つかったという。
 そのことは、人から聞いたことだったので、信憑性はないが、まるで、
「キツネにつままれたような話」
 ということで、子供にも聴いてみたが、その子は自分が行方不明になっていたという意識すらなかったようで、
「気が付けば、あそこで寝ていたんだよ」
 と言ったという。
「じゃあ、自分では、あそこで寝たという意識はあったのか?」
 と言われたが、
「正直なかったです。でも、まさか、自分が翌朝まで眠っていただなんて、自分でも信じられないです」
 というのだった。
 ただ、途中は不可思議であったが、子供が無事に見つかったのは間違いない。
 それからしばらくは、
「小学生は、保護者と一緒でなければ、神社で遊んではいけない」
 ということになったようだ。
 それが、今から、十年以上前ということで、すでに、そんなことを覚えている人もほとんどいないのではないかと思うほど、街は平和であった。
 他の街では、毎日のように、ニュースになるような事件があるのに、この街では、ほとんど起こらなかった。
 そういう意味で、
「この神社によって、この街は守られているのではないか?」
 ということになった。
「行方不明になった子供がいたが、それは、神社のせいではなく、むしろ、子供が無事だったことが、神社の御利益だったのではないか?」
 と、言われるようになったのだ。
 不可思議な話だったが、警察もそんな話を鵜呑みにできるはずもなく、近所に聴きこんだり、近くの防犯カメラの映像を解析したりと、できるだけのことはしたようだった。
 だが、いくら科学捜査を駆使しても、何も出てくるわけではなく、最期は、
「不可解なこと」
 として、解決を見るしかなかったのだ。
 何しろ、本人がまったくいなくなったという意識もなければ、誘拐による身代金の要求も、どこかで事故が遭ったことでの、
「事件に巻き込まれた」
 というような事件性もまったくなかったのである。
 それを思うと、これ以上の捜査は、進展する様子もなく、打ち切るしかなかった。
 家族やまわりは、
「本当に大丈夫なのか?」
 ということで、とりあえず。神社の境内に、防犯カメラの設置を行うなどの、防犯でできることは体勢として整えておくことしかできなかった。
 それでも、防犯カメラがついただけでも、家族もまわりも安心した。これで一応の解決がなったということだろうか。
 それからしばらくは、何も起こることはなかった。
 あれが、いつのことだったのか、正直、正確には憶えていない。それまでの唯一の、
「事故もしくは、事件と思しきこと」
 だったからである。
 しかも、事故なのか事件なのかも分からないという曖昧なことで、結果、そのどちらでもなく、事なきを得たということで、誰の記憶にも曖昧なこととなってしまったのだ。
 そのせいもあってか、人々の意識もほとんどの人が曖昧で、本郷のようにまだ曖昧ながら、
「こんなことがあった」
 ということを覚えている人はまだマシで、
「何だっけ?」
 と、事件そのものがその人の中で、風化してしまっているくらい、時間が経ってしまったのだろう。
 最近見る夢で、この時のことも結構出てくるのだ。
 しかも、
「つい最近あったことのようだ」
作品名:黒電話の恐怖 作家名:森本晃次