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黒電話の恐怖

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 そう、あの思春期前に大人になったと感じた、あの時期をも思い出させるほどの強い力が働いているような気がしたのだ。
 それがどうやら、原因として考えられるものとして、
「夢を見たのではないか?」
 ということであった。
 それまでは、昔の夢を見るなどなかったはずなのに、一体どうしたことなのか? と思うのだった。
 夢の内容は、基本的に覚えていないのだが、夢から覚めた時、
「そうだ、この夢は、子供の頃のもので、思春期前の、一瞬だけ、大人になった時があったということを思い出させるものだ」
 ということであった。
 内容も覚えていないのに、シチュエーションだけ分かるというのも、おかしな気がするが、
「夢というのは、こういうものだ」
 と思うと、なぜか説得力を感じ、納得できるのだった。
 ただでさえ、変なこだわりがあって、なかなか自分を納得させることが苦手な本郷だったが、
「そうか、俺は、自分を納得させる一番の方法は、夢を見るということにあったのか」
 と言って、納得したのだった。
 夢を見ていると、自分がいかに、
「今まで感じたことを忘れてしまったのか」
 ということを思い知らせてくれるのだった。
 ただ、一つ気になったのは、
「夢を見ることで、一つのことを思い出すのだが、逆に、何か大切なことを忘れていってるのではないだろうか?」
 という思いであった。
「夢は目が覚めるにしたがって、忘れてしまっている」
 と感じているが、それは、
「夢の内容を忘れているのではなく、覚えていなければいけない何かも一緒に忘れているのではないか?」
 と感じたことだった。
 そもそも夢はいつも見ているわけではない。
「何かの法則に則って、夢を見ているのではないか?」
 と思っていたが、実は最近、もっと単純なことではないかと思うようになってきたのであった。
 というのも、
「夢というのは、実は毎日見ていて、忘れ去るようなものがない場合、つまり、夢を見終わって、自分で、これは他愛もない夢だと感じたその時に、夢を見ていたということ自体を忘れてしまうのではないか?」
 という発想であった。
「押してもダメなら、引いてみな」
 という発想に近いものだが、なまじ、藁って済まされる発想ではないような気がするのだった。
「夢というものは、神秘なものであるが、考え方を柔軟にすれば、今まで理解できなかったことを理解できるようになる、簡単な理屈を含んでいるのではないだろうか?」
 と感じるのだった。
 今までであれば、見た夢はほとんどが忘れていることが多かったのだが、最近になって、また夢を覚えているようになった。
「またあの夢か」
 と、本郷は、自分でもその夢の内容が分かっていた。
 そう、舞台は、3年前まで勤めていた学校のあったあたりのことである、
 学校は、この地方に連なる連山の中腹にあった。
 少し低い山のなだらかになった、
 といっても、坂は結構急で、舗装された道路には、まるでタコの吸盤のようなすべり止めのある状態になっていて、昔のマニュアル車であれば、ギアをサードにするのも難しいくらいの急こう配であった。
 学校があるところは、海抜が、120メートルあった。
 その街は、後ろに連山、前には内海になっているようなところで、人が住める範囲は限られていた。
 それだけに、昔から、高級住宅が多く、大企業として有名な社長の邸宅が建っているような住宅街が控えているような、少し他の街とは、イメージが違っていた。
 そんな街の中学校であったが、さすがにPTAが強かったりして、先生をするのも、時々きついことがあった。
 それでも、昔のような差別的なことがあるわけでもなく、教師をやりにくいというようなこともなかった。
 もちろん、先生によって、その立場や、方針、さらに人間的な性格もあるだろうから、一概には言えないに違いない。
 山の中腹にあるということは、それだけ、人が住んでいる普通の住宅地や、市内中心部からは、結構距離もあった。歩けば、1時間くらいはかかったであろうか。それでも、徒歩で来る生徒も結構いた。
 もちろん、バスは通っている。バスに乗ってくる生徒もいたが、実は、中学校の次のバス停には、いわゆる、
「札付きの悪」
 と言われる連中が通っている学校があった。
 徒歩でくる生徒のほとんどは、
「あの学校の人たちと一緒になりたくない」
 という思いが強かった。
 直接、生徒に何かをしてくるということはなかったが、明らかに不良連中と、
「か弱い中学生」
 と考えれば、何かあったら、先生としても、どうしていいか分からないと思っていたのだ。
 だが、そのおかげか、足腰が強い生徒がたくさん生まれたことで、登校が、トレーニングとなり、運動部は、県大会くらいまでは、十分に勝ち残れるようになっていた。
 だが、通っていた中学校は、スポーツよりも、、文化の方が盛んだった。
「だから、ひ弱だ」
 と言われるんだ・
 と運動部の顧問で、いかにも熱血根性先生と言えるような、ジャージに竹刀が似合うというそんな先生からすれば、そういいたいのだろう。
 しかし、そういう先生に限って、
「見掛け倒し」
 というもので、
「あの先生は、別に怖くないわ」
 とウワサしていた。
 その代わり、本当に怖い先生もいて、体格もすごいが、とにかく迫力がある。
 サングラスでもかけていれば、いかにも、
「その筋の旦那」
 という感じで、
 しかも、五分刈り頭が、昔の
「怖いにいちゃん」
 を思わせて、中学生であれば、十分に怯えていたことだろう。
 例の、
「札付き高校」
 の生徒でも、この先生にだけは、逆らうことはない。
 下手をすれば、先生が歩いていると、道を開けるくらいの迫力であった。
 だが、この先生は、決して表に出てこようとはしない。
 そういう点では、
「見掛け倒しの、熱血高校教師」
 とは、人間の器が違っていたのだろう。
 そういう意味で、こんな迫力のある先生がいてくれたおかげで、衝突もなく、今までこれたのだろう。
 高校の方でも、上級生から、
「あの中学の、迫力のある、あの教師には逆らうな」
 と、言い伝えられてきたのだろう。
 もっとも、彼らくらいになれば、一目で、その先生の迫力が本物であることに気づくことだろう。
「とにかく、まったく口出しをしない先生」
 ということで、余計に不気味だったのだ。
 ただ、その先生の存在自体が抑止力になっていたのは事実で、平和に過ごしてこれたのだった。
 そういう意味で、ここの街は、札付きの高校があるにはあったが、それは他の街にでも、一校くらいはそういう学校があるのではないだろうか。
 実際に、この街が平和だったからこそ、逆に札付き高校が目立つのであって、彼らにすれば、
「いい迷惑だった」
 といえるのではないだろうか。
 そんな昔の記憶を探るような景色が、いよいよ夢の中で何かを繰り広げようとしているのだった。

                 事故

 そんな学校に、十数年も務めていると、いろいろな生徒が卒業していった。
 それがまるで走馬灯のように、夢という舞台で、クルクルと回っているかのように感じられた。
作品名:黒電話の恐怖 作家名:森本晃次