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自分の道の葛藤

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 劣等生というものを、今まで実際に味わったことがないので、未知数という意味で、某県はできないと思ったのだ。
 だから、高校は、一段階下がるレベルの学校を選択し、入試も無事に終わり、それはまるで、入試というよりも、推薦テストを受けているくらいの感覚だった。実は同じクラスからも数人受けにきていて、実際に仲の良かった子は皆合格していて、
「これなら、孤独を味わうことはないだろう」
 というのが本音だった。
「また、中学と同じだね」
 といって皆笑っていたが、それだけに、同じ学校から持ち上がったかのような人たちで固まってしまうというのも、まるで、
「自然の摂理」
 というようなものではないか。
 ただ、中学時代と違って、より専門的な授業は、科目によって、好き嫌いがハッキリしていた。
 中学時代までも、得意な科目、苦手な科目というのは存在したが、
「好きな科目、嫌いな科目」
 という分け方は、最初からなかった気がした。
 しかし、高校に入って、習うことが、
「ここまで専門的なことだったなんて」
 と考えると、
「勉強があまり好きではないのではないか?」
 と考えるようになった。
 例えば数学でも、数学の場合は、中三くらいからそれとなく感じていたのだが、同じ数学といっても、その内容によって、好き嫌いがあるのだ。
 というのは、
「因数分解は好きだけど、展開になると嫌いだ」
 というように、似たようなものでも、得手不得手につながると考えていた。
 だが、中学時代は、その感覚が成績に直結していた。
 しかし、高校になるとおかしなもので、
「好きな科目が成績がいいとか、嫌いな科目だから、成績が悪いということは一概に言えないのではあないか?」
 と感じたのだ。
 だからこそ、
「専門的なことが大きいんだ」
 と感じるようになったのだった。
 そういう意味で、高校に入ってからの勉強は、実にきついものだった。
「勉強すればするほど、それが成績に結びつく」
 というのは、中学時代までのことで、高校に入ると、その法則はいうことを聞かないというものになっていたのだ。
 そうなると、
「成績のために、勉強しているんじゃないんだ」
 と感じるようになる。
 このまま、受験勉強をして、大学に入っていいものだろうかと考えるようになり、
「それなら、無理することなく、自分のやりたいことを目指すという意味で、短大だったり、専門学校という選択肢だってあるんじゃないかしら?」
 と感じるようになったのだ。
「なるほど、そうやって考えれば、何も成績の悪い科目を必死に勉強するというよりも、やりたい科目を勉強すると思った方が気も楽だし、自分が何になりたいかということも、おのずと見えてくるかも知れないわ」
 と感じるようになってきた。
 だから、中学時代の三年間と、高校時代では、気持ちのゆとりが違ってきた。
 一年生の結構早い段階でそのことに気づいたので、
「部活、何かあればやってみようかしら?」
 と思った。
 やはり、作曲というものを忘れられないこともあって、音楽の先生に聞いてみると、
「作曲関係なら、正式な部活ではないけど、サークルならあるわよ。でも、あなたが入部すれば、ちょうど人数的に、部に昇格できる人数だわね」
 ということだった。
 その先生は、女性の先生で、その作曲サークルの顧問をしているという。
 ちあきは、その先生のことを、どちらかというと、好きな先生の部類だったので、作曲サークルに興味が出てきたのも事実だったのだ。
 実際に入ってみると、現存部員は三人だけで、活動していた。
 部室もあるにはあるが、実に狭いもので、
「元は、用具倉庫を改造して、部室にしたくらいのところだから」
 ということであった。
 そこで、楽器を使うこともできず、活動は、音楽室を借りるか、ギターなどであれば、校庭を遣うか、校舎の屋上を使うくらいしかなかった。
 それでも、何とかしていたというが、ちあきには、その想像がつかなかったのだ。何しろ屋外では、暑さ寒さや、雨が降った時など、それを補うことができないので、屋外での活動には限界があったのだ。
 実際に、ちあきが入部することで、部に昇格できる人数になった。そのおかげで、新たな広い部室を借りられるということで、
「こんなにまで悦びを爆発させるんだ」
 と思う程、喜んでいた。
 実際に部室の広さは、作曲を行うには、十分だった。ピアノを置くこともできたが、それは、さすがに部費で買うのは難しかったので、っ電子ピアノくらいの購入になったが、逆にそれくらいの方が今の音楽の作曲にはちょうどよかったのだ。
 机と椅子もちゃんと何セットかあるので。机に座って、電子ピアノを操作することができた。
「これは、楽しいわ」
 とちあきがいうと、
「なあ、そうだろう? こういうのができることで、やっと、作曲サークルだって、言えるようになったわけさ」
 と部長は言っていた。
 正直、部長がこんなにあからさまに喜ぶ表情を見せるとは思ってもみなかった。
 この学校は、部長に限らず、生徒が全体的におとなしい、
「暗い雰囲気だ」
 といってもいいかも知れない。
 正直、最初だけ、
「こんな学校に入って、よかったのか?」
 と思ったが、暗く感じたのは、全体を満遍なく見たからで、人によってはそうでもないようだ。
 個々に話してみると、結構楽しい人も、個性的な人も多い、ただ、全体的に見ると、その個性的な部分が、表に出てくるのだろう。暗いと思うのは錯覚で、あくまでも、雰囲気を必要以上に思い込むということから来るものではないのだろうか?
 それを思うと、勉強も苦痛ではなかった。
 前述のように、成績と興味都が必ずしも結び付くものではないと気づいた時、意外と早めに、それが、
「専門的な学問だ」
 ということから感じるものだということが分かったのだった。
「勉強というものは、確かに学生の本分なのだろうが、学問を、勉強という言葉にして、一括りに考えてはいけないものなのかも知れない」
 ということを、感じた。
 勉強というと、その先に受験であったり、結果を求めてしまうもののように感じるが、学問というのは、どこかに結論があるものではなく、先々を見ていくことで、どんどん広がっていくものではないだろうか?
 と感じるのだった。
 高校時代は、まだ思春期が続いていて、しかも、いわゆる、青春時代の前半に位置しているものだ。
「二十歳くらいまでは、青春といっていいのだろうか?」
 と考えるが、青春の終わりというものが、一番曖昧なものなのではないかと思うと、受験勉強というものが、どうにも、無駄なものではないかと思えてきた。
 もちろん、短大であっても、専門学校であっても、入学するには試験がある。
 だが、普通の大学受験に比べると、
「比べられた大学受験が、鼻で笑うのが聞こえるくらいのものに感じる」
 といってもいいのではないだろうか?
 高校時代というのが青春時代の真っただ中だということになるのであれば、
「大学受験で、その時代を潰してもいいのか?」
 とも考えたが、逆に、
作品名:自分の道の葛藤 作家名:森本晃次