自分の道の葛藤
ちあきは、元々、こういう相対的な考えをすることが結構あった。
それが、躁鬱症のような感覚から来るものなのか、それとも、二重人格性から来るものなのか、どちらなのかということを考えるのであった。
この温泉を選んだスタッフは、実はもう一つ、含みを持っていたようだ。
この温泉というのは、以前、アイドルになろうとして、なかなかうまくいかず、悩みながら、傷心の気持ちを持って、ここに辿り着いた一人の女の子がいたという。
その子が、ここで、アイドルになれるかどうか、自問自答を繰り返し、結局、
「アイドルを諦める」
という気持ちになったという伝説の場所であった。
スタッフは、彼女の話を、隠すことなくしたのだが、それを聞いていた皆は、一体どう感じただろう。
その場は一瞬凍り付き、誰も何も話そうとしない。きっと、自分の頭をフル回転させて、いろいろ考えていることだろう。
「私だったら、どうするだろう?」
と考えている。
中には、
「彼女の選択は間違っていない。冷静に考えて、これ以上粘ってもダメだと思ったのなら、その時は、覚悟を決めて、そこでやめるという選択肢だってある」
と考えている人もいるだろう。
さらには、
「せっかく、ここまで頑張ってきたんだから、辞める辞めないは、最期は自分の意思でなければいけない。他人の考えなどは、一切無用で、余計な情報は今の自分にはいらないものだ」
と考えている人も多いだろう。
それが、その人の性格というもので。ただ、それを自覚しなければいけない時期というのは、あるはずだ。それをスタッフは、今のこの時期だと感じたのだろう。
「誰もが、通らなければいけない道」
と考えれば、それはそれで、無理のないことに違いない。
今回の旅行において、別に何かを得ようという大きな目標はない。むしろ、
「自分の気持ちを知る」
という意味で、大きなものとなるだろうというのが、スタッフの考えのようだった。
そんなスタッフの考えからか、この温泉宿は、近くに墓地があったり、神社もあったりする。
ある意味、
「自分を顧みる」
という意味で、このあたりは、実に効果的なのではないかと思っているようだった。
さすがに、墓場には、昼間でも気持ち悪いということで、入ることはないが、近くの神社には、生徒は、一人で各々やってきて、お参りをしているようだ。
皆、一緒だったら、ご利益がないと思っているのだろう。
それだけ、まわりをライバル視している証拠だろうし、こっそり、一人で抜け駆けという気持ちもあるのかも知れない。
どうしても、いくら同僚とはいえ、最期は競争になるのだ。
同じユニットを組むにしても、どうせならセンターがやりたい。そういう意味での競争なのだが、それぞれに個性があるように、適材適所というものが、人の数だけあるというものだ。
もし、センターと言われても、その人がプレッシャーに弱く、いざお披露目の時にでも、パニック障害を起こして、そのまま倒れないとも言えないではないか。
もし、そうなってしまうと、ユニットの存続の問題や、スタッフのコンプライアンス違反があったのではないかと、警察が乗り出してくることにもなりかねない。
本人が再起不能にまで陥ったら、その時は誰が責任を持つというのか。
考えただけでも怖くなってくるというものだ。
ちあきは、別に怖がりでもなく、今回の旅行では、思考がたまに停止してしまうくらいに、本人が考えているよりも、結構深いところで悩んでいるかのようだった。
「感覚がマヒしている」
と言ってもいいかも知れない。
おかげで、この研修旅行の最期に、
「合宿の最期にふさわしい」
ということで、肝試しをするようになった。
二人一組で、墓地の中にあるチェックポイントに置いてある、アイテムを持って帰ってくるという、実にシンプルで、どこにでもある、肝試しであった。
こういう時に性格が出るというもので、
必死になって強気に振る舞っている人もいるが、それがポーズであることは分かり切っていて、一番怯えているのだろうと感じた。
また、まったく寡黙になってしまって、ひところも喋らない。つまり、自分の世界に入り込んでしまった人、
そして、
「心ここにあらず」
と言わんばかりに、まず感覚がマヒしてしまい、魂が、どうすることもできずに、つまりは離れることもできないようになってしまっているのだ。
ちあきは、どれなのだろう?
「たぶん、寡黙になって、何も言わない」
という感じではないだろうか?
それだけ、怖がっているということだ。
「感覚がマヒするというのは、怖くてマヒするものなのか、マヒしてしまうから、怖さが増してくるのだろうか?」
などという。まるで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
という禅問答のようである、
しかし考えてみると、この、
「タマゴとニワトリ」
であっても、何となく結論が出ているような気がする、
「タマゴが先か」
と言って先にタマゴを出しているではないか。
だから、答えは、タマゴなのである。
つまりは、曖昧なことがあって、ある意味どっちでもいいようなことで悩んでいるとすれば、先に手に取った方が先なのだ。必ず手に取らなければ始まらないものだということが分かっているのだから、そうやって、時には、強引ともいえるやり方で決めてしまわなければいけないのではないだろうか?
それが、ある意味、この研修旅行の目的でもあり、生徒たちに、一つの覚悟を、持ってもらい、それが、これからも節目節目で訪れるということを知ってもらいたいというのが、この研修旅行における、
「目的であり、結論めいたもの」
ではないだろうか?
結論はすべての最期のではない、節目節目での考えに対して、結論というものがあるはずなのだ。
それを分かっていないと、せっかくの機会を見逃してしまうことがある、
そのことを分かっていなければいけないということなのだろうが、今回の旅行でどれだけの人の胸を捉えたというのだろう。
今回の研修旅行での肝試しは、結局、最期中止になった。何やら、
「お化けを見た」
というのがあったからだ。
それも一人が見たというだけではなく数名がいうので、信憑性があった。それを宿の人にいうと、
「やはり」
というではないか。
訊ねてみると、
「その幽霊は、いわゆる地下アイドルの女の子なんだよ、彼女は、ある時、ネットの誹謗中傷で疲れ果て、ここに来たんだぞうだ。別に遺書のなかったので、本気で自殺するつもりはなかったのだろうけど、結局自殺死体として発見されたんだよね。でも、その昔美濃も似たような感じで、人から騙されて亡くなった人がいたので、その幽霊に導かれたのかということになり、この向こうの滝の横に祠を作って、祀っているというわけなんです。でも、別に何か悪さをするわけではないので、ここの温泉旅館は一時期閉鎖していたんだが、わしの代で、再開することになったんです」
というではないか。
どうやら、かなりの誹謗中傷があったようで、
「三年くらい前に、そういえば聞いたことがあった」
とスタッフの一人が、その時のニュースを話してくれた。