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自分の道の葛藤

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 と、門前払いを食らうのではないだろうか?
 プロだからと言って、
「先生、先生」
 といっておだてられるのは、結果が伴わないとできないことだ。
 出版社が掛けた発注に、時間厳守で、望むものを出版社に納品してこそのプロだと言えるのだ。
 時間厳守、それと、要望通りの作品の納品ができなければ、
「プロとしては失格だ」
 というレッテルを貼られても仕方がない。
 そうなると、当然、契約は解除。その時点で、この作家は、プロとして、出版社では、ブラックリストに載ったといってもいいだろう、
 そうなると、作家として生きていくことはできなくなる。
 相撲界でも、大関以下であれば、負け越せば、番付は下がるが、引退ということはない。しかし、それが横綱ともなれば、成績が下がると、
「まわりから罵詈雑言を浴びながらでも、横綱を続けるか、それとも、潔く引退するしかない」
 ということしかない。
 なぜなら、横綱には、負け越したとしても、番付が下がるということはない。
 再度、再起を賭けて、下からやり直すということができないのだ。
 それをプロの作家と考えるなら、一度なってしまって、そこで汚点を残してしまうと、それが消えることはない。出版社に対しての裏切りは、そのまま、作家としての
「死」
 を意味することになるのだった。
 だから、オーディションにしても、コンクールにしても、その目的は違っていても、一度プロになってしまうと、逃げることはできないという接待的な厳しさがあるのだろう。
 そして、そのオーディションに合格した人の中に、
「自分は知らなかったのに、友達や家族が勝手に応募したので、仕方なくオーディションを受けたら、合格しちゃった」
 という人も結構いる。
 なぜ、そんなことになるのかまではよく分からないが、
「気楽にやるからいいのかな?」
 という意見もあるだろう。
 中には、
「プレッシャーに弱い」
 という人もいて、そういう人であれば、なかなか合格できないが、
「どうせ、自分で応募したわけではない」
 ということで気楽にやれば、合格したという人もいるだろう。
 その人は、そういうところが自分にはあると自覚ができていれば、その後も、その世界でやっていけるだろう。しかし、問題は自分が応募したわけでもないその世界で、
「やっていこう」
 を感じるかどうかというのもあるだろう。
 プロを諦めた人が大賞受賞ということになったのとは、少し事情が違う。
 プロを諦めた人が受賞したとしても、それ以降はないだろうと思うからだ。
「大賞をくれた人たちに悪い」
 という気持ちも若干あるだろうが、だからと言って、一度はあきらめたものを、近づいたからといって、再度プロになろうと思えるかというと、無理ではないだろうか。
 プロともなると、相撲界でいう横綱と同じだ。やる気が失せてしまうと、再復帰はできないといってもいい。
 最初から、
「俺には無理だ」
 と思うのであれば、受賞時代というのも、ありではないか?
 もちろん、賞はもらえるが、プロにならなくてもいいということであれば、賞だけもらってもいいと言えるだろうが、その賞が、プロ作家としてのデビューとセットだとするならば、受賞は諦めるしかないだろう。
 それが一番いい選択なのだが、この場合も、
「辞退するくらいなら、何で応募なんかしたんだ?」
 という批判が出るのは、当然のことだ。
 だから、
「辞退には、批判が漏れなくついてくる」
 ということを自覚しておかなければいけないということになるのも当たり前のことではないだろうか?
 小説家の世界の大賞はそうだが、他のオーディションで、合格した人は、ほぼ、そのままデビューということが多いような気がする。実際に、オーディションの世界や、芸能界の実情を知らないから何ともいえないが、オーディションの中には、まったくの素人もいれば、どこかの、タレント養成学校や、専門学校の、芸能コースの人などもいるだろう、
 そして素人の中には、勝手に応募された人もいたりして、そんな人が実は、
「まだ見ぬ原石」
 と呼ばれる人だった可能性もある。
 それを思うと、アイドル発掘のオーディションで、合格してしまうと、有頂天になるというよりも、まわりのプレッシャーから、
「このままアイドルを目指さないといけないんじゃないか?」
 と思う人もいるだろう。
 しかし、審査員も、その人間を見るわけだから、大賞を受賞した人が、本人の意思ではなく、誰かが応募したとかいうことは関係ない。そもそも、そんなことを知るはずもないし、応募者を差別することになるわけで、公平に審査して、その人がグランプリを採ったのであれば、素直に、その人が素晴らしかったということだろう。
 そんな人であれば、当然、人格もしっかりしているだろうから、アイドルを目指すということをひとたび考えると、本当に、アイドルを目指す体勢に、しっかりなれることだろう。
 そう考えてみると、ちあきは、本当に人格者だったということだろうか?
 それとも、何かを目指すということになると、先々を計算ずくで考えるようなことなく、目の前の課題をコツコツこなすことに長けているといってもいいのではないだろうか?
 本当に、
「あれよあれよ」
 という間に、最終審査まで残ることができた。
「ここまでくれば、合格できなくても、悔いはない」
 と、ちあきは言ったが、その言葉には、
「半分本当で、半分は本当ではない」
 といえるだろう。
 ウソだとはどうしても言えないのは、ここまで彼女が頑張ってきて、最終選考に残ったのが、紛れもない事実だったからである。
 ちあきは、そのまま合格した。まわりは、さすがに、
「あのちあきが?」
 と影で言っている人もいたようだが、その声も実際に聞こえてきた。
 しかし、ちあきには、その方がありがたあった。自分でも、何で合格したのか分からあにと思っていたので、それなのに、影で何も言われないのだとすれば、何かがおかしいと思うのも、無理のないことのように思えたからだ。
「そんな自分が、まわりから、陰口を叩かれないのはおかしい」
 そう思うのは当たり前で、もし、自分が選ばれるような素質を持った女性であれば、まわりが嫉妬するはずであり、そうでないのなら、選ばれたこと自体を、おかしいと感じるはずだからである。
 どちらも、言葉にすると、
「嫉妬」
 や、
「やっかみ」
 ということになるのだろうが、どちらにしても、
「もし、自分がまわりの人の立場であれば、自分の近くにオーディションに合格するような人がいたとすれば、それは、どういう形であっても、嫉妬の対象に、なりえることだろう」
 と感じるに違いない。
 だから、
「こんな自分が感じるのに、誰も自分に対して感じないというのは、却って不気味に思えてくる」
 ということである。
 そんな中で、一番ビックリしているのが、何と、応募を掛けた、はるかだった。
「鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔」
 といえば、ちょうどいいだろう。
 まさか、ちあきが合格するなど、思ってもいなかったという感じだ。
作品名:自分の道の葛藤 作家名:森本晃次