小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

自分の道の葛藤

INDEX|14ページ/23ページ|

次のページ前のページ
 

「プロ野球選手になるために、他のことを犠牲にしてでも、野球ばかりしていないとなれるものではない」
 と言われてきたのだ。
 特に、高校野球などは、昔から、
「甲子園常連校」
 などと言われるところは、選手や監督を金に物を言わせて集めてきて、さらに、ナイター設備や、プロも顔負けの充実した練習設備や、合宿所などを作り、選手を甲子園に送り出し、卒業後は、大学、社会人、そしてプロでの野球へと引き継ぐということである、
 もちろん、学校にそれだけの金があるはずもなく、在校生やOBたちの親からの寄付金で賄うことになる。
 子供の夢を叶えてくれた学校なのだから、当然それくらいはするだろう。
 OBも、現在活躍中で、かなりのお金を貰っていれば、
「母校に寄付」
 などというのは、当たり前の行為だと言えるだろう。
 寄付を受けるためには、勝ち続けて、甲子園常連を継続しなければいけない。ある意味。「危険な綱渡り」
 であり、一種の、
「自転車操業だ」
 といってもいいだろう。
 それが、野球界の脈々と続いてきた、いいか悪いか判断は難しいが、
「伝統」
 ということであろう。
 ただ、野球界もアイドル界も、他のスポーツ界や芸能界なども、
「人間は消耗品」
 なのだ。
 つまり、賞味期限が存在し、賞味期限が切れた場合、引退であったり、卒業ということになる。
 アイドルの賞味期限がいくつなのか分からないが、これは野球界と同じで、正味機嫌が決まっていても、賞味期限切れ寸前のものを食べるという人は少ないだろう。
 ものによっては、
「いぶし銀」
「ベテランの匠の技」
 などと言われ、年齢が増すごとに、成績の上がる人、あるいは、アイドルでも、輝く人もいる。
 だが、それはあくまでも、微々たる人間であり、基本的には、チームにしても、芸能界にしても、若返り策ということで、
「世代交代」
 というものを必ずしないといけない時期があるのだ。
 もし、それを怠ると、今の選手が引退してしまうと、新しい選手が出てこずに、次世代の選手が出てくるまで、暗黒の時代ということになる、
 そんなことは誰もが分かっていることであり、世代交代は、
「いつでもどこにでも存在する」
 ということになるだろう。
 職業野球であるプロ野球や、社会人野球であれば、
「いい選手を金で」
 というのは、当然のことであるが、大学、高校野球などのような、
「その本分は勉学だ」
 と言われるところにおいて、野球留学生という名の、
「金に物を言わせる」
 というやり方が、本当にいいのだろうか?
 野球留学したとしても、実力以上のものを求められ、無理をしてけがをして再起不能にでもなれば、せっかくの
「授業料免除」
 も、
「特待生扱い」
 というのもなくなり、他の高校生と同じになってしまう。
 成績でついていけず、授業料も払えないということで、学校は退学となり、その先は坂道を転がり落ちていくだけの、絵に描いたような転落人生。そんな生徒が果たしてどれだけいるというのか、過去に差かの持ってみると、どんなに少なく見積もっても、
「無限にいる」
 という答えしか出てこないのだ。
 アイドルも、スポーツ界も、選手や人間というのは、
「使い捨てだ」
 というイメージしか持っていなかったちあきだが、その思いは間違いではないと思っている。
 それは、時間が経っても変わることはない。むしろ時間が経てば経つほど、その思いが強くなってくるということであった。
 そんなアイドルのオーディションに、何千人、あるいじゃ、何万人という人が応募してきたりする。
 もちろん、そこからアイドルになれるというのは、ごく一部の限られた人たちだけである。きっと、はるかの方も、
「どうせダメなんだろうな」
 ということで応募したことだろう。
 彼女の意図がどこにあるのか、聞いても彼女は話してくれなかった。
「話をすれば、きっと嫌われるに違いない」
 と思ったのか、それとも、
「怒らせるだけだ」
 と思ったのか、どちらにしても、まず今後も話してくれることはないだろう。
「話題を蒸し返しただけでも、不機嫌になるだろうな」
 と思ったのは、当然自分が落選し、数か月後には、アイドルのオーディションを受けたなどというのが、黒歴史として、自分の意識に封印されるということを感じたからだった。
 黒歴史を封印するのは、
「記憶の奥」
 ではなく、
「意識」
 である。
 というのは、
「黒歴史のようなものを封印するのに、記憶にまで行ってしまうと、もう封印することが不可能だ」
 と思ったからだ。
「記憶の奥」
 どころか、意識の段階で封印しておかなければ、記憶の奥にある他の意識から、敬遠されるからだ。
 なぜなら、記憶の奥に封印しているものは、自分の意識に再度戻して、
「懐かしい」
 と感じたいものを、格納しておく場所だ。
 そんなところに、絶対に開けてはいけない。
「パンドラの匣」
 を、抱え込んでおくというのは、自分のこれからの人生において、マイナスでしかないのだ。
 ということを考えると、
「記憶と意識」
 というものが、どこかに結界という明らかなものが存在していると、いってもいいだろう。
 記憶というものは、意識に戻すことで活性化でき、記憶しておくものは、その意識に戻すことで、
「懐かしい思い出」
 として、再度スクリーンに映し出すための、録画媒体だ。
 といってもいいだろう、
 そして、その媒体を映し出すためのスクリーンや、再生装置が、意識というものだということである。
 アイドルのオーディションは、書類選考から、一次、二次、と進み、普通であれば、書類選考の時点で落とされるのが普通だと思ったオーディションも、一度でも通ってしまうと、それまでなかった自信のようなものが湧いてくるようで、次第に、
「落ちるということを想像できなくなってくるようだ」
 と考えるようになった。
 三次選考まで合格すると、
「まさか。そんな」
 という思いは、通過することにあるのではなく、それまで毛嫌いしていた、アイドルという仕事に、どこか興味のようなものが湧いてきたことだったのだ。
 そして、人間というのは不思議なもので。それまで、アイドルというものを毛嫌いしていたはずの自分が、審査という、
「自分を評価するものに対して、どんどん合格していくうちに、自分はなりたいのだ」
 という思いが固まっていくのを感じていた。
 それは、学生時代のテストを思わせるもので、学校の勉強で好き嫌いがあるのは当たり前のことであり、好きな科目が成績がいいとは限らない。嫌いな科目でも、成績のいいものはあったし、嫌いな科目で成績がアップしていくと、
「本当に嫌いだったのか?」
 と思えてきて、それまで、試験勉強をするのが嫌だったはずなのに、勉強が楽しく感じられた。
 ただ、好きな科目ではないことに変わりはない。それなのに、なぜ楽しく感じるのかというと、
「それは、他でもない。勉強すればするほど成績が上がるという、単純ではあるが、それだけに一番分かりやすいものであり、やればやるほど成果が出るということに、悦びを感じるのは、当たり前のことではないだろうか?」
作品名:自分の道の葛藤 作家名:森本晃次