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自分の道の葛藤

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 アイドルというのは、半世紀前くらいから存在しているが、昔のアイドルというと、基本は一人での活動が多かった。そのうちに、2人組、3人組くらいのアイドルが出てきて、そして、また、ピンでの活動が出てきた。
 しかし、ある時、テレビ番組の企画で、アイドルグループというものが出てくると、アイドルグループという括りの新しい形が出てきた。いわゆるバラエティ系の活動である。
 そもそも、バラエティ番組から出てきたのだから、半分は、
「番組の広告塔」
 という雰囲気が増えてきた。
 そして、アイドル活動だけではなく、ソロ活動であったり、独自のユニットを組む形での売り出し方も出てきたりしたのだ。
 それから、音楽番組が減ってきたことにより、アイドルというものも、あまりいない時代もあった。
 だが、今度は、また番組の企画で、アイドル候補を募集し、公開オーディションを行うこととなり、その中の一人に密着取材を行い、オーディションまでを、ドキュメント形式で、放送するという企画が催された。それまでになかった形である。
 だから、彼女たちは、番組の、
「広告塔」
 ではないのだ。
 どちらかというと、番組構成の、
「一出演者」
 というところであろうか?
 それでも、企画が面白いのか、一度見ると気になってしまい、毎週見ないと気が済まないという、実にうまい人間の心理をついた番組だったと言えるだろう。
 実際に彼女たちがアイドルとしてデビューし、数年くらい、人気があり、そのうちの数名が、その後も、タレント活動を続けているのを思うと、それなりに、
「アイドルという短命な活動でも、その先を考えているということで、悪くはないのかも?」
 と思う人も増えたであろう。
 これは、アイドル界だけの問題ではなく、スポーツ界でも同じだ、
 例えば、野球選手であれば、普通であれば、
「40歳くらいまで続けられれば、いいだろう」
 といえるのではないだろうか?
 ちょうど、サラリーマンでいえば、定年退職の年齢といってもいいかも知れない。ただ、スポーツ選手は、
「身体が資本」
 ということで、けがをしたりすると、出場できなくなり、その間を他の選手が埋めることになる。
 その選手が活躍すれば、今度は自分の出番がなくなってしまう。時々、
「選手の中には、やる気がないように見える選手がいる」
 などと言われるが、彼らは、けがを恐れている人もいるだろう。
 無理をして取り返しがつかないことになったとしても、球団も社会も保証してくれない。もし、それを求めようものなら、
「毎年の年棒や計画金は、そのための先行投資のようなものだ」
 と言われてしまうと、言い訳ができなくなってしまう、
 昭和のスポーツ根性マンガの時代であれば、
「けがを恐れて、最高のプレイをしない人は、罪悪だ」
 というイメージがあった。
「俺はこの一球に、野球生命を賭ける」
 などと言って、結局、その一球を投げたために、再起不能になって、引退しなければいけなくなるのだが、それを美徳として描き、
「俺の野球人生に、悔いはない」
 などという結末が美談だった。
 今だったらどうだろう?
 マンガ自体が、パワハラの象徴を言われるのではないだろうか?
 昔の野球選手は、
「使い捨て」
 と、今から見れば思うだろう。
「投手の肩は、消耗品」
 ということは分かっていたはずなのに、監督が、
「いけ」
 といえば、投げなければいけない。
 なるほど、短期間で一気にいい成績を挙げて、
「時の人」
 となるだろうが、長い目で見れば、
「実働、3年」
 などという選手も少なくはなかった。
 最後には、肩やひじを壊して、投げられなくなるなどざらである。
 今のように、
「一試合、100球をめどにして、中6日や、7日あけるのが、今のローテーション」
 と言われている。
 昔だったら、
「中三日は当たり前、そして、先発完投も当たり前、途中交代は、ノックアウトさるか、アクシデントが発生しなければありえない」
 という時代があった。
 しかも、重要な試合が続く時は、先発完投した次の試合で、最期の2イニングくらい投げるなどというのは当たり前で、選手権などになると、
「4連騰」
 などという、抑えのような登板の仕方を、先発でやったりしたものだ。
「そりゃあ、こんなことしてれば、今の選手なら、シーズン中に潰れる」
 とまで言われるだろう。
 ピッチャーの数が少なかったわけではない。昔は、先発ローテーションに、4人くらい、そして、後は控え投手という感じだったが、今は、先発ローテーションに、最低でも6人は頭数が必要で、抑えが一人、そしてセットアッパーと呼ばれる人が、5,6人は必要だろう。
 セットアッパーには、左腕、右腕とそれぞれに必要だからである。
 それだけ、野球というのが、革命的に変わったのだ。
 昔のように、
「この一球にすべてを賭ける。ここで潰れても悔いはない」
 などという選手は、今の時代はまずいないだろう。
 しかも、そんなことを考えること自体が、今は間違いであり、
「確かに、重要な試合は存在するが、そのために、控え選手がいる」
 という考えで、一人の選手に無理を強いるようなことはしていない。
 考えてみれば、今年無理して優勝しても、来年、無理をした選手が、けがで出られないなどとなると、いくら今年優勝しても、監督交代、再来年は見えているというものだ。
 まさか、今年優勝した監督を、解雇するなどということはないだろう。それを思うと、監督も来年の自分の首を絞めるようなことはできないだろう。
 いくらフロントから、
「今年優勝できなければ、来年の契約はない」
 とでも言われていれば別だろうが、そうでないなら、普通は長い目で見て、決して無理はさせられないと思うことだろう。
 フロントもそうである。
「昨年活躍して、年棒一億円を超す選手に成長したとしても、無理をさせて、数年後引退ということになれば、たまったものではない。特に最近は、いい成績を挙げれば、アメリカのメジャーリーグから誘いがきて、簡単にメジャーに行かれてしまうということが多くなっているので、チームのために頑張ってくれている選手を末永く、チームの看板としてがばってもらいたい」
 と思っているに違いない。
 だから、無理をさせて、選手が続々と潰れて行くと、
「あの球団は、選手を潰す」
 ということになり、優秀な選手が、入団を渋るということになるかも知れない。
 要するに、無理をさせてもロクなことはない。今の時代は、
「細く長く」
 というのが、美学なのかも知れない。
 選手の中には、選手時代にいろいろ勉強して、引退後の第二の人生を考えている人もいるかも知れない。昔だったら、
「野球に集中しないようなやつは、辞めちまえ」
 と言われたかも知れない。
 しかし、昔だって今と一緒で、引退後皆が皆職があるわけでもなかった。よほどの人気選手でもなければ、監督コーチの道、さらにテレビラジオの解説者になれるというわけではない。
 だからこそ、選手時代に引退後のことを考えるのは、ある意味、当たり前のことだ。
 何しろ、
作品名:自分の道の葛藤 作家名:森本晃次