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自分の道の葛藤

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 だが、ちあきの方としても、
「私がこんなだから、石ころのような人としか出会えないのかも知れない」
 という、気持ちにもなった。
 あまりたくさんの友達がほしいという思いはない。
「数は少なくて、自分と気が合う、似たような性格の人がいい」
 と思っていたのだ。
 自分が物静かで、たくさんの人と一緒にいることがないので、石ころという表現には、少し違和感があったが、それでも、賑やかな人たちよりもいいということで、はるかと知り合ったことに後悔はなかった。
 ただ、そのはるかが、
「自分は石ころでいい」
 というよりも、
「石ころに徹する」
 という考えを持っているということを、すぐには見抜けなかったのだ。
 この二つは、どちらも、石ころというものがどういうものなのかというのを分かっていないと、成立しないという前提にある。そして、
「石ころでいい」
 というのは、その前提を踏まえたうえで、どこか諦めの境地になっている、
 そして、
「石ころに徹する」
 というのは、やはり、前提を踏まえたうえで、諦めどころか、石ころの特性を自分に取り入れて、それが自分の特徴とマッチするところを見つけ、そこに集中するということである。
 周知の中において、石ころの特性が自分に合っているという意識がなければいけないことであるので、この二つは、ある意味、反対だと言えるだろう。
 そして、徹する方が、一歩も二歩も先に進んでいるのだが、
「石ころでいい」
 という考えの方が、より、石ころに近いというのも、実に皮肉なことなのではないだろうか?
 そんな彼女が、
「石ころに徹する」
 と考えたのは、一種の、
「黒子」
 という考えに近かった。
 そういう意味では、石ころとは少し違うが、石ころからの方が意外と、黒子に徹するということは難しいかも知れない。
 近いように見えているが、実際には、見えているそこからの距離が近いだけで、実際には、一周しないと見ることのできないところなのではないかとおもうのだった。
「何も、こんなに難しく考えなくてもいいのに」
 とおもうのだが、ついつい難しく考えてしまうのが、ちあきの性格だった。
 というのも、ちあきは、子供の頃から、
「納得がいかないことは、理屈で理解しようとすればするほ、ぬかるみに嵌ってしまうのではないか」
 と思っていた。
 一番最初に引っかかったのは、算数での、
「一足す一は二」
 ということだ。
 このことは、誰もが、一度は通る道として、
「どうしてなんだろう?」
 とは考えるだろう。
 しかし、それをいつの間にか、
「当たり前のことだ」
 と理解し、次のステップに進み、最初に一足す一を理解しているつもりになっているから、そこから先の段階は、それほど難しいものではない。
 時々、難しいと感じる段階が存在するだけで、最初に無意識に一足す一を通り超えてきた人には、その段階は、皆同じなのではないかと勝手に思っている。
 しかし、ちあきの方に、最初から理解もできず、いつも間にかなどという瞬間が訪れず、納得いかないまま、ずっと来たことで、他の生徒から、ずっと遅れてしまっていることに焦りすら覚えたのだった。
 だが、まったく分からないということが続くわけもない、納得できないまでも、
「納得しよう」、
「納得したい:
 という気持ちがある以上、誰かが発見した法則なのだから、理解できないはずはないのだ。
 と思っているうちに、納得できるようになった、
 その納得が、最初に発見した人の納得と同じなのかどうか、それは分からない、
「違ってこその人間なんだ」
 ともいえるだろうし、そもそも、同じである必要もないのだ。
 要するに、
「どんな形であれば、納得することが大切なことである」
 といえるのだ。
 納得したことで、納得もせずに、ただ、
「そうなっているだけだ」
 ということで、頭の中を妥協させてまで、先に進んだ、自分以外のほとんどの人は、
「きっと、どこかで自分なりの挫折を味わうに違いない」
 と思ったのだ。
 世の中というのは、辻褄が合うようにできていて、うまくいって先に進んだ人間が、納得のいっていなかったことがあったとすれば、どこかで、行き詰まるようになっているものなのだ。
 と考えていた。
 だから、
「遅れを取ったからといって、焦る必要など、サラサラない」
 と思っていた。
 だから、
「どうせ皆には、あっという間に追いつくだろうし、まるで、うさぎとカメのおとぎ話のようではないか?」
 と考えるに至っていた。
 そのせいもあってか、
「私は他の人と違うんだ」
 ということで、友達などいなくても、それでいいと思うようになったのだった。
 そんなはるかが、ちあきと仲良くなったきっかけというと、ちあきが、
「作曲をしてみたいな」
 と思ったことだった。
 その時ちあきは、本屋に関係の本を探しにいったが、ちょうど同じ頃、はるかも本屋にきていた。その時は、ちあきも、必死で何も本を買いにきたか、バレるのが怖くて、何も言わなかった。はるかの方も、本屋に何をしにきたのか、ちあきには、想像もつかなかった。はるかは、真剣、大学受験を考えていて、参考書を買いにきていたのだ。
 普段から、
「石ころのような存在」
 と思っていた、はるかが、今目の前にいるのだ。
 しかも、顔を見て、
「その人を自分が知っている」
 という意識は、本能からか、分かったのだが、
「この人は誰だっけ?」
 という思いが先に浮かんだ。
 それほど顔は知っているが、それが誰なのか?
 という当たり前の発想が、瞬時にして思いつかない。
 一瞬、
「私の記憶力が、どうかしたのではないだろうか?」
 と思い知らされたのだ。
 だが、実際には、記憶力の問題ではなく、最初から意識しようとさせなかった、相手の術中に嵌ってしまったからだと気づくまでには、少し時間が掛かった。
 だが、この時、最初に声をかけてきたのは、はるかの方だった。そもそも、ちあきの方では、
「見知った顔だ」
 という意識はあっても、
「この人は誰なんだ?」
 というところに、話しかけられなければ結ぶつかなかっただろうと思うくらいなので、それだけ、声をかけるという勇気を持てるシチュエーションではなかったということである。
 はるかの方も、たぶん、勇気のいったことであろう。
 しかし、それまで意識してのことだろうが、石ころに徹していた人間が、いきなり人に声をかける勇気が持てるとも思っていなかったのだ。
 ということは、考えられることとして、
「これまで石ころだと思ってきた彼女が、脱石ころを考えている」
 ということではないかということであった。
 少しでも、人とかかわりを持って、今までの自分の、
「遅れのようなものを取り戻したい」
 という思いから声をかけてきたのだろうと思ったのだ。
 だが、その思いは半分当たっていて、半分外れていた。
 確かに、
「変わりたい」
 という意識はあったようなのだが、だからと言って闇雲に友達を作ろうという意漆器もなかった。
 それまで、石ころのような意識を持っていた女性が、いきなり、
「誰でもいいから、友達を作る」
作品名:自分の道の葛藤 作家名:森本晃次