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パンデミックの正体

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 少なくとも、一年経った頃には、そのソーリの存在感も、オリンピックがあったということすらも、
「遠い過去」
 と化してしまったのだということであろう。

                 パンデミック全体

 そもそもそのパンデミックが生まれたのは、ある国の某都市で、いきなり流行したのが始まりだった。
 日本での流行は明らかにその時、水際対策を怠ったのが原因だった。
 さらに、その病気を甘く見ていたのか、その伝染病の流行が始まっても、政府は、その国の国家主席を国賓として招こうなどという暴挙だったわけだ。
 水際対策さえしておけば、もう少し国内パニックも抑えられたかも知れない。
 慌てた政府のやり方は、まず、やっと重い腰を上げ、水際対策を行い、さらには、最初にやった大規模な作戦として、
「学校、保育園の閉鎖」
 だった。
 子供が、学校や保育園に行っている間、親が仕事に行くという、現在は、母親も働かなければいけないという経済状況になっているのに、学校や保育園を休みにされると、預けるところがなくなり、仕事にでるわけにはいかないという家庭が、相当数増えたことだった。
 しかも、この政策は、ソーリが勝手に決めたことであり、他の政府要人は知らなかったというではないか?
 このような時こそ、政府が話し合う必要があるのに、いくら緊急とはいえ、
「これでは、民主主義への挑戦ではないか?」
 と言われたものだった。
 さらに、それから一か月して、政府は、
「緊急事態宣言」
 を出した。
 他の国でいう。
「都市封鎖」
「ロックダウン」
 というものとは違い、国家が国民の自由の一部を制限するというようなものではない。
 日本の憲法では、
「基本的人権の尊重」
 があるため、いくら行動制限を行おうとしても、あくまでも要請でしかないのだ。
 他の国であれば、都市封鎖ともなれば、正当な理由のない外出は、処罰の対象となり、罰金刑が課せられたりした。
 日本ではそんな罰則はなかったが、店舗の営業を自粛してもらったり、店舗によっては、休業要請ができないので、その分、
「時短営業」
 などで、対応してもらうようになった。
 さらに、コンビニやスーパーのレジには、透明のビニールシートが貼られたり、飲食店のテーブルやカウンターには、アクリル板の設置が勧められたりした。
 そんな店舗には国が補助金を出すという形で、緊急事態宣言の解除後は、国や店ができるだけの対策をしていたというところであろうか。
 しかし、実際には、そこまでうまくいかせるわけにはいかず、
「補助金が安すぎる」
 あるいは、飲食店だけに補助金を出して、
「それらの、飲食店休業における、納入業者などへの補償はそこまでするのか?」
 という問題もずっと尾を引いていた。
 どこまでの対策を取るかなど、国家として、どこまですればいいか、そのあたりが大きな問題だったのだ。
 最初は、医療や経済の専門家で形成していた、有識者団体を、国家の相談役として、さすがに国家も、本腰を入れて対策を取るようになった。
「パンデミック対策大臣」
 なるものをおいて、
「国家の一大事」
 ということで、事に当たらなければいけないと、国家だけではなく、国民も感じるようになった。
 特に、死者が増えてきて、芸能人や身内に死者が出てくると、さすがに他人事のようには見ていられなくなったのだろう。
「平和ボケ」
 の日本人もさすがに目覚めたというわけだ。
 戦後、75年、さすがに、戦争を肌で知っている人は、もうほとんどいない。そんな時代になって、いきなり襲ってきた世界的なパンデミック。
「戦後以来の緊急事態」
 と政府も言っているがまさにそうであろう。
 それまでに、災害としては、未曽有の大災害に襲われてきたが、ある都市や、地方だけに限定されてきたが、全国、いや、全世界を巻き込んだ、このような緊急事態は初めてだからである。
 とにかく、最初は行動制限で、
「経済よりも人命」
 ということで、
「いかに、国民の命を守るのか?」
 ということが、重大であった。
 しかし、ウイルスが変異を繰り返し、それによって、感染の波が訪れる。
 最初は、
「寒い時期のウイルスで、インフルエンザのように、冬の流行となるだろう」
 と言われていたが、実際に、夏の間も流行してくる。
 特に延期されたオリンピックが強硬開催された年は、夏に医療崩壊を招いた波が襲ってきていたのも事実だった。
「救急車を呼んでも、なかなか来てくれない。さらに、救急車に載せても、今度は受け入れ病院がないということで、そのまま、救急車の中で死んでしまう」
 という事例や、
 さらに、病棟がひっ迫し、宿泊施設もいっぱいということで、さらには、軽症者という認定から、自宅療養を余儀なくされた人が、急変し、救急車を呼んでも間に合わなかったという例、もっとひどいのは、急変したことを誰にも知られずに、結局そのまま自宅で死んでいたというのを、後から発見されるという例が、後を絶えなかったということであった。
 かたやオリンピックで盛り上がっているのに、かたや、そうやって人知れず死んでいく人がいる。
 知らない間に。人がバタバタを死んでいくのだ。
 政府は、
「安全安心のオリンピック:
 といい、さらには、
「パンデミックから立ち直った」
 というスローガンであるオリンピックの裏で、医療崩壊を起こして、人がバタバタと死んでいく。
 そんなことがあってもいいのだろうか?
 政府のいう、安全安心というのは、オリンピックが安全であればいいということなのだろうか?
 それではまるで。
「国破れて山河あり」
 とでも言っているようなものではないか。
 それこそ、これから復興を始めなければいけない状況であって、間違っても、
「パンデミックからの復興」
 などという言葉は、口が裂けても言ってはいけないセリフではないだろうか?
 逆に、そんなスローガンというのは、延期を決めた時。
「もし、再会できるのであれば、復興なった日本を世界に知らしめる」
 ということで最初から決まっていたものを披露しているだけだ。
 そういう意味では、たまたま大事にならなかったというだけで、復興もなにも、
「ちゃんちゃらおかしい」
 といってもいいだろう。
 ある意味、世界に日本という国を知らしめたとしても、それは、復興などという欺瞞に満ちた言葉で、世界を欺こうとしているが、そんなあからさまなことは誰もが分かっていて、日本政府のバカさ加減を世界に知らしめるだけになった。
 犠牲になるのは国民で、ただ、
「オリンピックをすることで、巨万の富が飛び込んでくる」
 という一部の実業家や政治家、そしてオリンピック委員会の連中のために行ったオリンピックだった。
 選手によっては、
「呪われたオリンピック」
 と思っている人も少なくはなかったであろう。
 だが、これも不思議なことに、オリンピックが終わってその秋口くらいから、急に感染が下火になり、晩秋の頃には、
「もう、パンデミックは終焉といってもいいのではないか?」
 とまで言われてきたのだった。
作品名:パンデミックの正体 作家名:森本晃次