パンデミックの正体
パンデミックが進行してくると、政府は有識者のいうことも聞かず、個人個人で、自分の私腹を肥やそうとしてくる。
つまり、
「この時とばかり、混乱に乗じて、金儲けであったり、売名であったりを平気で行う」
のであった。
「これが政治なのか?」
と思う程の腐敗。税金で生活していて、国民から選ばれた政治家が、この体たらくだから、個人がいうことを聞かないのも当然のことである。
「パンデミックという国家の危機に、できるだけのことをしよう」
と思っていた気持ちが、まさに打ちひしがれた思いだった。
まるで、核戦争の跡に生き残った、原始時代の生活の中で、ある一体だけが、悪の組織として、蠢いているようなイメージだ、
だから、そういうアニメがウケるのかも知れない。
しかし、アニメの世界だからいいのであって、それが、現実味を帯びてきているのだ。しかも、核戦争によって引き起こされるものではなく、今のまま、自然界の生態系が壊れていくと、そこに残るのは、破滅を迎える、
「地獄絵図」
である。
そのことが、いわゆる、
「SDGS」
となるわけだが、それは項目が結構あって、それを一つ一つ解決していこうとすると、どうしても、それぞれに専門分野が必要になってくるだろう。
しかし、今の世の中では、とってもではないが、その一つ一つに金を掛けるわけにはいかない。
もちろん、今回の、
「伝染病研究」
にしても同じだ。
戦時中であれば、
「生物兵器開発工場」
といえるものであろう。
だが、そのような工場を実際に運営している国家があるというから、ビックリだ。
アメリカなどの国では、ある程度まで情報を持っているだろう。
「○○国の、○○という都市にある工場は、生物兵器開発工場だ」
という具合にである。
しかも、研究所が開発されて、3年後に、突如発生した、パンデミックであるが、某国の某都市で発生している。
「あそこには、確か」
といって、言葉を濁すが、グレー状態だった。
そういう意味で、日本でも、あからさまに、
「伝染病研究所」
というものを公言する形で出来上がれば、諸外国から怪しまれる可能性がある。
日本国内の、財政の問題もさることながら、公表してしまうと、危険であるということを、某国が、図らずも証明してくれた。
「危ない。危ない」
と、研究所内部の人は思っていたかも知れないが、宮本兄弟は、そんなことは思っていない。
「パンデミックが本当に起きてしまうことは、なるべく予測が外れてほしかった」
と考えるのが、健太郎県知事であり、
「これから、俺たちの出番で、いかにうまく今の薬品開発研究所から、怪しまれることなく、さりげなく、伝染病研究所に移行できるかということが、これからの課題となるに違いない」
と、宗次郎所長は思うのだった。
こうなってしまっては、宗次郎は、研究員というよりも、いよいよ所長としての、手腕を発揮しなければならない。
「今まで任さ手いた補佐には、自分の裏に回ってもらい。研究の方も、黒川研究員を中心に、回していかなければならない」
ということで、これから、研究所の大改革を行うことになる。
上層部は分かっていたことではあるが、それだけではダメだ。今度は、今までのように、政府を無視するわけにはいかない。こっちが無視しても、政府が、寄ってくる。下手をすれば、有識者会議のメンバーに加えられる可能性だってある。
だが、それは何としても避けたかった。
「どうせ、日本政府は、自分たちが中心となって、最初は有識者の意見を聞いているのだろうが、そのうちに、自分たちの意見が通らないと思うと、今度は、国家権力を使って、自分たちの都合のいいように解釈して、国民に指示するに違いない。だが、そんな時でも、我々の意見を聞いたうえで出した意見だといって、国民を欺けば、それでいいと思っているのさ」
ということで、研究所スタッフは全会一致で、反対はゼロということで固まった。
その考えは、案の定で、その後、この研究所を抜きにした有識者で組織された意見を聴かなくなっていたのだ。
政府も、この研究所を加えなかったのは、この研究所は実績がないから、国民に対して何をいうか分からないと思ったのだろう。
「臭い物には蓋」
ということで、最初から入れないに越したことはないと思ったのだろう。
そのおかげで、自由に動くことができた。その裏では、健太郎が、知事としての力をいかんなく発揮したのではないだろうか?
というのも、今回のようなウイルスに対しての対策は、
「県知事を敵に回すわけにはいかない」
ということは、最初から分かっていたようだ。
政府の方針として、
「最初の決め事はこちらで行うが、実際に末端に指示し、行動するのは、各自治体の仕事になる」
ということを、おぼろげに決めていたのだろう。
その頃はまだまだ、ウイルスの正体がわからなかったので、闇雲に行動制限や、緊急事態宣言によって、国民は不安のどん底と、動けないことへのストレス。さらに、自営業者は、商売ができないことへの憤り、最悪の空気が世の中を覆った。
そんな状態の中。伝染病研究所はすばやく、伝染病研究に鞍替えして、少なからずの成果を挙げてきた。
実際には、ワクチン開発も。外国のワクチンを入れるまでもなく、国産でできていた。
しかし、治験の問題や、まだまだ、研究所の正体が分からないということで、
「そんな正体不明なところで開発したワクチンに、信憑性などあるものか」
と、政府は思っていた。
有識者までが、露骨に嫌な顔をした。有識者の中には、この研究所からの有識者になる人が出なかったことへの嫌悪感があった。
「俺たちだって忙しいのに、国家の危機と思って出てきているのに、あいつらは、そのことを何とも思わないのか?」
ということであった。
それでも、
「嫌な奴と一緒にいないでいいのはいいことだ」
という思いがあり、安心もあるが、やはり、彼らに対して嫌悪を抱いていないと、気が済まないというのは、有識者にはあった。
「彼らもひょっとすると、政府がそのうちに言うことを聞いてくれなくなることが分かっていたのだろうか?」
と思えた。
露骨に政府は、有識者の意見を無視するようになるだろう。しかし、
「専門家の意見を聞いたうえで」
という対策を打ち立てるためだけに、有識者は利用されている。
国家権力で、そのことを封じ込めてしまいさえすれば、
「有識者は、政府の言いなりになる」
とまで政治家が思っていたとすれば、それは完全に、
「知識人に対しての、冒涜だ」
と、言えるのではないだろうか?
「有識者というものは、政治利用にはもってこいだ」
と思っているとすれば、それはあくまでも、広告塔でしかないのだろう。
「専門家の意見を聴いたうえで」
とさえいえば、それを免罪符にして、何でも通るとでも思っているのだろうか。
国の方でも、慌てて、
「伝染病研究所」
の設立に動いていた。
だが、事が起こってからでは、そちらの対応にも追われるので、その傍らで、一緒に研究所の設立をしようとすると、当然、時間もかかるというものだ。