パンデミックの正体
「お互いに、ブレないところは、昔から変わっていないな」
と、兄は弟を見て、弟は兄を見て、そう感じるのだった。
「政治家と、研究者。しかも、県知事と博士。それぞれ立場は違うが、ある意味頂点に昇りつめてはいるが、まだまだこれから、先は長い。伸びしろもまだまだある」
と思っているのは、そのあたりに理由があるのだろう。
お互いに別々の道を歩みながら、一つの目的で惹きあっているというのが、
「やはり、血は争えないな」
ということになるのだろう。
そんな研究員の補佐役の名前は、黒川研究員というのだが、彼は、実に黙々と研究に没頭している。
もちろん、二人で研究をする時や、グループで研究をする時は、決して出しゃばることはなく、むしろ、端の方にいて目立たないタイプだった。
「俺は、目立てるところでしか、実力を発揮できないので、まわりがいるのであれば、目立たないようにするしかない」
といっていた。
それを聞いた宗次郎は、
「やはり」
とばかりにほくそえんだのだ。
「やつは思ったとおりの人間で、孤立させて放っておけば、こっちが想像しているよりも、立派な仕事をするんだろうな」
と感じた。
だから、自分の補佐役に抜擢し、その実、自分だけで研究するように仕向けたのだ。
もちろん、補佐役なので、宗次郎が保佐を必要とする時は、彼に保佐をお願いする。彼は従順にその役をこなし、問題なく宗次郎の期待した研究ができるのだ。
そういう意味で、
「黒川研究員ほど、頼れる人材はいない」
と、宗次郎に言わせたほどの人物だった。
宗次郎という男から見込まれた黒川研究員であるが、自分では、宗次郎が思っているほどの自信を持っているわけではなかった。
ただ、
「僕は僕の研究をしたいだけなんだ。研究をしていれば、それだけで楽しい。誰かのためとかそんな意思はまったくない。所長とも、仕事だから、一緒に組んでいるだけだ」
と、まで思っていたのだ。
研究というものが、そんなにも楽しいものかと、あの宗次郎が感じるほどに、黒川研究員の感覚はすごかった。正直、感覚というものが、存在しないのかも知れないと思うほどである。
そんな彼が、最近研究している細菌は、今誰もが取り組んでいるものではなかった。
というのも、実にごく最近注目され始めたところで、これについて、
「研究課題だ」
というところまで行っている研究所はなかった。
しかし、研究所に所属しながら、ほぼ自由に研究のできる立場にいる黒川なので、この研究には、没頭できた。
「おそらく、世界で彼ほど最初にこの研究に着手した人はいないだろう」
といっても過言ではなかった。
それは、黒川にも分かっていることで、だからこそ、彼にとっての、研究者魂に、火がついたといってもよかった。
だからこそ、宗次郎は、彼のことをしばらく放っておくことにした。
「何か少し見えてくれば、きっとリアクションを示すに違いない」
ということは分かっていたのだ。
宗次郎も、研究員としての駆け出しのころは、そんな感じだった。上司に恵まれていたというわけではなかったので、しばしば、
「あいつは異端児だ」
などと言われていたことも知っていた。
ただそれは、教授に言われていたことであり、同じ研究員の中から言われることはなかった。
研究員の下っ端というのは、経験もなければ、考え方もしっかりしてない。それだけに、世間一般のことが正しいと思われがちだったのだ。
宗次郎も、似たようなところがあったが、中心人物として君臨するようになる分だけ、変わっていたということなのだろう。
それを思うと、宗次郎は、自分が先輩から嫌われていたのは分かっていた。
それでも、人をまとめることには長けていたのか、いつの間にか、宗次郎という人間のまわりには、彼を慕うという人間が増えてきたことに、ビックリさせられたのだった。
そんな宗次郎と、今の黒川研究員は、
「似ているところは似ているが、結界のようなものがあるためい、どうしても、それ以上近づくことができないものがあった。だから、二人は似ているようで似ていないし、似ていないように見えて、実は似たりしているのではないか?」
と言われているのだと、後になって、宗次郎は感じていたのだ。
そんな時代も、すでに、ふた昔前のことだ。
大学院時代の宗次郎がまさにそれで、黒川研究員が大学院出身ではないというだけで、それ以外は結構似ていたに違いない。
宗次郎は、大学院卒であるが、
「俺、大学院に行ったメリットは何かあったのかな?」
と感じた。
博士号はそれまでに取得していたし、その肩書があればこその大学院だったのだ。
黒川は、もちろん、まだ博士号はもっていない。そういう意味でも、
「一番下っ端の肩書なしの若手研究員」
というだけではないだろうか?
宗次郎が眼を掛けていることで、彼の立場は大学内でゆるぎないものとなっていたが、研究員の中には、猫も杓子もいる。よく分かっていない人も中にはいることだった。
それだけ、この伝染病研究所の組織はでかい。これくらいでかくなければ、いざとなった時、伝染病研究にとって代わるのは難しいと思っているだろう。
黒川研究員というのは、今まで出てきた登場人物が、皆それぞれサラブレッドの家系だったのとは違い、まったくの貧乏な家庭からの進学であった。
成績は優秀だったことで、特待生として、授業料の免除があり、研究にも没頭できている。
それを彼は、
「すべて自分の実力であり、まわりがそれを認めたんだ」
といって、その実力のすべてが、まるで、
「神から与えられたもの」
という風に感じた。
宗次郎が、裕福な家庭に育っていることは分かっている。しかし、その内情までは分からず、家庭内で肩身の狭い思いをしているところまでは、理解できていないだろう。
それだけ、この研究所が貧富の差が激しいところだといってもいいだろう。
黒川研究員は、だからといって、反骨精神が強いというわけではない。
確かに、従順なだけでは生きてこられなかったところはあるが、あくまでも、
「自分が好きなこと、やりたいことに全力を注ぐ」
というタイプだったのだ。
「俺にとって、研究は、睡眠よりも三度の飯よりの好きなことだからな、そのことを、俺は貧困の中から気づいたのさ。足掻いたって貧困から逃れられるわけはない。だとすると、馴染むしかないではないか?」
と感じたのだった。
それは、言い方は悪いが、
「逃げの心境」
だったのかも知れない。
逃げの途中で、自分を集中させることができるものに出会う。その気持ちが強く、逃げることを、悪いことだとは思わなくなった。
むしろ逃げている間に、集中できるものを見つけられるということで、わざと、自分の身を危険なところに置いたこともあったくらいだった。
そんな黒川研究員は、自分の直属の上司となるのが、まさか所長だとは思ってもいなかったので、最初は、
「これじゃあ、逃げるということができるんだろうか?」
と、自分の力が発揮できる場所を閉ざされた気がした。