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第一印象と二重人格の末路

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 と思ったに違いない。
 それにしても、顔を焼くのだから、相当な覚悟が行っただろう。ただ、そこかでひどいと思っておらず、焼いた瞬間に、一気に後悔が襲ってきたかも知れない。
 しかし、焼けていく間に感覚はマヒしてきて、それまでとは別人になってしまったともいえないだろうか?
 業火の炎で、焼き尽くされている間に。自分の性格も燃え尽きてしまい、ひょっとすると、その下に、別の眠っていた性格が覚醒したのかも知れない。その性格が、
「ひょっとすると、本人も分かっていない残虐性をつかさどる、元々の性格だったのかも知れない」
 と思うのだ。
「焼き尽くされた性格は、ジキル博士で、その下から、ハイド氏が生まれたのではないか?」
 という考えが生まれてきたのだった。
 ピエロ、いわゆる道化師というのは、その表情が分からないだけに、どちらが潜んでいるか分からない。そういう意味で、その探偵小説で、言いたかったこととして、
「トリックや、アリバイなどで使うという犯人側からの問題というよりも、犯人側の無意識な気持ちとして、自分が意識していないところで、事故の性格が出てきていて、それを読者がどこまで理解できるかということなのではないか?」
 と考えている。
 つまり、
「本来であれば、読者側が気づかずに、ずっと最後まで読み進み、最期で作者が披露したところで、そういうことだったのか、となれば、作者の勝ち」
 ということになるのであろうが、この作品は、最期まで読み終わっても、作者の何がいいたいのかということがなかなかわからなかった。
 もし、二回目、再読することがあれば、
「ああ、そういうことか、これは分からなかった」
 と思うことで、やっと、作者が言いたいことが分かるというもので、もし、読み直さなければ、
「何だこの作品は?」
 ということで終わっているに違いないだろう。
 作者の気持ちもさることながら、読者にもいろいろな人がいるので、その全員に同じような気持にさせるなどということは土台難しい。
 となると、作者はどこに、照準を合わせるかということになるのだろうが、そもそも、そんなことを考えるのは、本当のプロでもなければできないことだろう。
 そういう意味で、小説を書くという原点は、
「自分が書きたいものを書く」
 ということが原点であり、よく、
「小説家になるには」
 などというハウツー本に書かれているような、
「小説家の目的は、いかに、読者を楽しませるか? というのが基本」
 などと書かれているが、それは、本当の理想論ではないだろうか?
 確かに売れている作家や、編集者というのは、まず、作家としては、
「売れる本を書く」
 ということであり、編集者の方では、
「できた本をいかに売るか?」
 ということである。
 基本は売れる本ということであり、実際に作者の、
「書きたい本」
 というのは、二の次ということになる。
 プロになって、小説を書いていると、あくまでも、作家にとってのスポンサーは編集者である。
 株式会社は、社長であろうが、株主にはかなわない。なぜなら、会社のために出資している人たちだからだ。下手をすると、社長といえども、経営者会議の中では、
「お飾り」
 でしかない。
 社会に対して、重大な問題を引き起こせば、社長に何の落ち度がなくても、簡単にクビを切られる。つまり、世間に対しての申し開きとして、最初に問題に対しての会社側の対応としては、
「被害者に、保証を行う」
 ということとして、経営方針として、
「社長に責任を取って辞めさせる」
 という方法しかないのだ。
 つまり、
「社長は、責任を取るためにいるのだ」
 といっても過言ではないだろう。
 作家も、編集部の意向には逆らえない。それでも逆らおうとするならば、契約を解除されることになっても仕方がない。よほどの売れっ子であれば、他の編集者が拾ってくれるかも知れないが、他の編集部としても、元々の編集部とトラブルを起こして辞めた作家を、わざわざ自分のところで抱え込むようなリスクを負うこともないだろう。
 それでも抱え込むだけの何かがあるなら、もう少し、元々の編集部でも、契約解除に慎重になるだろうが、それがなかったのであれば、しょせん、その作家は、自我が強いだけの、どこにでもいる平凡なわがまま作家でしかない。しかも、自分のことを分かっていないというおまけ付きの作家だということになる。
 そんな作家を誰が好き好んで雇うというものか?
 小説を書いていると、感覚がマヒしてくることがある。
 それは、
「自分がどんな顔をしているのだろう?」
 という気持ちになるのだという。
 その探偵小説作家は、後年になってエッセイのようなものを書いていたのを読んだのだが、そこに、書かれていたことであった。
 その作家は、好んで、道化師の話を書いたという。
 元々は、道化師の話を最初から書いていたわけではないが、書いているうちに、
「ここで、道化師を登場させるのは面白いではないか?」
 と考えたらしい。
 そして、気が付けば、作品を書くごとに、毎回道化師が出てくるような話になり、
「これじゃあ、前に書いた作品と似たような作品を書いているだけではないか?」
 と思い、しばらく悩んだという。
 しかし、この頃はまだ頻繁に行われていなかったことであるが、昭和の40年代以降くらいから、
「作家のパターン」
 と呼ばれるような作品が登場してくる。
 例えば、
「トラベルミステリー」
 と後に言われるようになる、列車や駅をテーマにした作品で、時刻表を使ったトリックなどを使っての連作。
 つまり、いつも同じ刑事が登場し、事件が他府県に及んでも、他府県警察と協力して事件を解決するというような話が大筋である。
 毎回似たような話ではあるが、それがいつの間にかシリーズ化して、発売を心待ちにしているファンもたくさん増えてきていたのだ。
 考えてみれば、テレビドラマの刑事ものだと思えばいいではないか。以前の国鉄時代には、
「鉄道公安官」
 などという職業を題材にした番組や、JRになってからは、
「鉄道警察隊」
 と呼ばれる組織になっても、毎週いろいろな特急列車が登場したりして、
「まるで旅行しているようだ」
 という感覚だったりする。
 それの文庫版が、
「トラベルミステリー」
 ではないか?
 鉄道警察隊をテーマにしたテレビドラマは、
「ヒューマンタッチな作品」
 であるのに対し、トラベルミステリーと呼ばれる作品は、あくまでも、
「本格推理小説」
 の様相を呈していた。
 トリックが元にあり、そこから、どういう動機で人を殺すに至ったか? そのあたりを突き詰めていくと、
「最初のシーン」
 というものが、奇抜であればあるほど、現実味がある小説のわりに、どこか、ドロドロしたものが、最初に醸し出されることで、読者は、一種のトラップに嵌ってしまうのではないだろうか?
 そういう意味で、小説の最初であったり、途中で、ドラマ性に奇妙なイメージを植え付けるという意味で、この作家による、
「道化師の登場」
 というのも、そのパターンを微妙に変えることが、一つのバリエーションとして、生きてくるのだ。