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第一印象と二重人格の末路

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 つまりは、道化師、ピエロというキャラクターの派手さが、印象的で、その顔が表情が分からないことで、恐怖を煽るが、
「いつも笑顔なんだ」
 と、信じて疑わないことが、一種の強さに結びついてきているのかも知れないからだった。
 また、昔の探偵小説などには、よく道化師が出てきたものだ。
 というのも、道化師であれば、化粧を施していても、別に疑われ合い、しかも、表情も分からなければ、顔も分からない。
「どこの誰が、一体どんなことを考えているのだろう?」
 というのが、道化師なのだ。
「殺人事件があった時、必ず、そこには道化師がいた」
 ということで、犯人は、その道化師に化けた人間だ。ということになる。
 まずは、道化師の身長や体形から、大体のイメージを掴む。
 そして、事件の関係者から、道化師の外観に似た人物を絞り込み、そこから、動機の有無や、アリバイなどを捜査する。
 そんな中、探偵も捜査に加わっていたが、彼は、別の意味で、この事件に注目していた。それは、
「なぜ、犯人は道化師に化ける必要があったのか?」
 ということであった。
 それを警察側の捜査主任に話すと、
「それはだって、犯人が誰なのかをごまかすためでしょう?」
 というと、探偵は、
「そうなのかも知れないですが、何も道化師に化けるというのも、まるで、注目を浴びるために見えるじゃないですか? ただでさえ目立つのに、その時道化師の恰好をしていたからといって、いくら、顔が隠れているといっても、目立ちすぎでしょう? まるで犯人はこの俺なんだと宣伝しているようではないですか? それを考えると、このまま犯人を道化師に絞って考えると、捜査がおおざっぱになりませんか?」
 というではないか。
 なるほど、探偵小説における探偵というのは、結構警察が行っている正攻法の捜査とは逆の視点から見ていることが多かったりする。確かに警察の通り一遍の捜査では、探偵のいうような、
「目立ちすぎていて、まるで、自分が犯人だと、宣伝しているようなものではないだろうか?」
 という発想には至らない。
 しかも、相手が道化師に化けていて、道化師というのを、
「顔が分からないだけではなく、表情が分からないことで、いったい何を考えているか分からない」
 というイメージを抱いたが最後、
「このままであれば、完全に犯人の術中に嵌ってしまう」
 ということになるのを、分かっていないがごとくではないだろうか?
 犯罪捜査というのは、基本的に警察は、まず現場から、いろいろなことを調べる。特に初動捜査として、死亡推定時刻や、凶器の確定、さらに、被害者の身元調査。そこから、被害者の利害関係を捜査し、恨みを持っている人間をピックアップ。そして、そこからアリバイ捜査を思なう。
 そこで、絞られてきた中から、犯人を特定していくわけだが、その過程において、該当者がいなくなってしまえば、
「捜査の中で、何かが間違っている」
 ということで、事件を最初から洗い直すか、それとも、
「そこに、犯人のトリックか何かの、トラップが含まれている」
 と考えると、捜査方法が、二つに割れることも考えられる。
 一から捜査をやり直すとなると、かなりの勇気がいる。そこまで捜査してきた捜査員とすれば、無駄足だったということになり、一気に士気は低下してしまうことになるだろう。
 しかし、
「捜査してきた中で、どこか、見落としているところがあるのではないか?」
 ということで、
「判明したものは、事実と捉え、考え方が間違っているとして、どこが間違っているのかということを、ピンポイントでやり直す」
 ということだ。
 まったく違った考え方に見えるが、実は辿り着くところは、それほど遠くないのかも知れない。
 紆余曲折して彷徨うという過程においては、まったく違った道であっても、出てくるところは案外変わりがないかも知れない。
 ただ、その過程において見えてきたことが、事件において重要なことであるかどうなのかを絶えず見極めていないと、あらぬところから、狙われた兵隊のように、まわりから見れば、まったくの無防備で戦争にいくような、自殺行為に見えてくるのではないだろうか?
 戦後に掛かれた探偵小説で出てきた道化師の話が、どうしても、頭を離れない。
 その話は、犯人が道化師の衣装で、犯人が誰か分からないようにするためい、衣装を着たというよりも、犯人の性格が、その衣装を着けさせたというような、逆の発想でもあった。
 しかも、途中で、犯人は、警察に追い詰められて、非常に危険な賭けに出ていた。
 何と、
「顔に硫酸を掛けて焼いてしまう」
 という暴挙に出たのである。
 犯人からすれば、
「絶対に顔を知られたくない」
 という思いが強く、それは、
「犯人として捕まりたくない」
 という思いよりも、
「ここで捕まってしまうと、本当の目的を果たせない」
 という思いがあったことが、顔を焼いた一番の理由だった。
 しかも、顔を焼くことで、その人が一体誰なのか分からないという利点もあった。
「私、一体誰なの? どうしてここにいるの?」
 と、記憶喪失のふりもできる。
 あまりにも大胆な反抗なので、警察も記憶を失うことに違和感がなかったのだ。別に疑うこともなく、顔を焼かれたその人が女性だということも、センセーショナルな状況になってきた。
「まさか、女性の身で、自分の顔を焼くなどということはできない」
 と考えたからだ。
 それは、刑事といえども、犯人になって、警察に追い詰められるという恐怖を知らないのだから、刑事とすれば、
「女の人は顔が命だと思っている人が多いだろうから、まさか、自分の顔を焼くなどということは、男よりもできないのではないだろうか?」
 というところまでは思いついても、それ以上の発想はないのである。
 だから、
「顔を焼いたのは犯人であり、彼女は可愛そうな被害者でしかない」
 と思い込むに十分なのであろう。
 ただ、探偵だけは、実に冷静だった。
 警察は、基本的に理論に基づいた捜査を行っているので、
「顔を焼かれた女性が、現場で被害者となって、発見された」
 という、一番考えられる事実を、あたかも真実のように最初から思い込んでいる。
 この最高の演出が、そうとしか思えない発想に焼き付けたのだ。
 それだけ、顔を焼いた度胸は素晴らしいものがあるのだが、ちょっと冷静に考えれば、おかしいことは、誰にでも分かるというものだ。
 ただ、刑事も想定外の状況に陥ると、人情を優先して考えるようだ。普段の捜査が、あくまでも、理論で考えた、より当たり前の考えしかできない堅物のくせに、想定外のことが起こると、精神を制御できず、人間本来の本能に立ち返るということになるのではないだろうか?
 そう思うと、顔を焼いたことで、少なくとも警察の目は欺くことができるだろう。
 もっとも、あのとっさな場面で犯人がそこまで思いつくとは考えられない。
「このままだと捕まってしまう。目的をすべて、いや、最終的な目的を果たせぬまま、このまま、捕まってしまうことを思えば、イチかバチか、ここは何とか逃れて、それ以降の事件をいかに遂行できるかということを考えた方がいい」