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五感の研究と某国

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 そう、同じように見えるものでも、場所が変わったり、少しでもやり方が変わると、
「神聖な儀式」
 と捉えられるというものだ。
 逆に、そのことを大人がしっかり認識できていないからこそ、子供が迷走するのであり、そのため、
「苛めなるものに、歯止めが利かなくなる」
 ということになるのだろう。
 昭和の時代を知っていて、その頃に育った連中はいう。
「昔は今のようなひどい苛めはなかった」
 とである。
 逆に、その人たちが子供の頃、親からは、
「お父さんたちが子供の頃、苛めなんかなかったよ。皆が助け合わなければ生きていけない時代だったからな」
 という。その、
「生きていけない時代」
 というのは、それこそ、戦時中であったり、戦後の進駐軍による占領時代の、自由も食料も、何もなかった時代のことである。
 今の時代では考えられない、
「栄養失調」
 などという言葉。
 お金があっても、物がなく、食料のほとんどは、配給であり、お米など、切符で配給が受けれるなどという時代だったのだ。
 戦争が起こると、物資がまったくなくなってしまい、いくらお金があっても、ものがないので、どうしようもなくなる。いわゆる、
「ハイパーインフレ」
 と呼ばれるものだ。
 日本ではそのハイパーインフレの対策として何をしたかというと、
「新円の発行」
 というとんでもないことに踏み切ったのだ。
 今までの紙幣をすべて使えなくして、いくら持っているとしても、新円に換えられる額は決まっているのだ。
 つまり、
「お金を持っていた人間ほど、損をする」
 ということになる。
 つまり、貨幣価値が、1000倍になったとして、今までの10円札が、10000円になるのだとすると、100円持っていれば、10万円ということになるはずだが、もし、新円の交換の上限を10万までだとするならば、100円持っていた人は、90円が、紙屑同然になってしまう。何とも理不尽である。
 しかも、使えなくなった旧札を、新札として作り替えるということであれば、これほど、元々金を持っていた人からすれば、溜まったものではないだろう。
 要するに、それまでの貧富の差が、縮まるということであるが、そもそも、金のなかったものにとっては、同じことであり、結局、お金を変えたとしても、物資の不足には変わりはないのだ。
 あくまでも、
「インフレ対策」
 というだけのために、所持金のほとんどを、紙屑にしてしまった人には、本当に理不尽以外の何ものでもない。
 ただ、インフレ政策だけではなく、昔からの経済対策の中には、
「徳政令」
 であったり、債権放棄のような政策が、昔から行われているのも事実である。
 つまりは、経済というものは生き物だと言われるが、日本のように島国で、他から影響をあまり受けない。しかも、江戸時代などは鎖国をしていたわけだから、特に、江戸時代のように、8代将軍吉宗の時代くらいから、幕府経済がひっ迫し、経済政策が頻繁に行われた時代に、経済学でも理論的に間違っていないような政策があったことも不思議に思えることである。
 そういう意味で考えると、世界中に広がっているもので、同じ時代、特に古代などで、まったく交流があったと思えない時代に、遠く離れた場所で似たようなものが発見されたというのも不思議なことである。
 それこそ、
「宇宙人説」
 というものがあっても無理もないと言えるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「人間の、いや、人間に限らず、動物の思考というのは、どこかで結びついていて、自然界の営みをスムーズにしているのかも知れない」
 と思えるのだった。
 話が逸れてしまったが、
「五感というものが、いかに、どこから発生しているのか分からない」
 ということが、不思議な感覚をもたらしている。
 最近、聴覚というものにも気になっていることがあった。要するに、
「耳で感じる音」
 というものである。
 音には不思議なものも多く、その力によって、いろいろな計測が行われたりしている。
 例えば、
「ドップラー効果」
 なるものから、野球でいうところの、
「スピードガン」
 という、球速測定器が開発されたのは、有名なところである。
 開発された時は、
「150キロの快速球」で、
「あんなの打てるわけないよ」
 と言われていたが、最近では、160キロと言われても、それほど驚かない時代になった。
 何しろ、
「どんなに早くても、当てるくらいはプロの選手だったらできる」
 と言われる。
 それは、機械がそれだけのスピードを出せるものが開発されて、バッターはいくらでも練習ができるからだ。
 しかし、ピッチャーの肩は消耗品と言われていて、少々無理をすると、短命で終わってしまう。
 そういう意味で、
「投手は不利だ」
 と言われていたこともあったが、最近では、いろいろな球種が増えたり、投手を酷使しないようなチームも増えてきていることで、打者ばかりが優利だということもあくなってきているようだ。
 そんなドップラー効果というのは、その代表例が、
「救急車のサイレン」
 である。
 前から来るときと、後ろに向かって走り去っていく時とで、その音の質がまったく違っている。
 音というのは、
「音波」
 という言葉で表されるように、波である。
 つまり、波は、音源が動いていれば、波が変わってくるのは当たり前のことで、
「こちらに向かってくる波と、離れていく波とが違うのは当たり前のことだ」
 といってもいいだろう。
 そういう意味では、これも、耳が感じる、
「錯覚」
 なのである。

                 卑怯なコウモリ

 また、音の錯覚として、よく言われていることといて、
「電子音というのは、どこが発生元なのか、すぐには判断できない」
 というのがある。
 例えば、アラームであったり、電話も音であったり、いわゆるデジタル系の音は、音波だけではなく、電波というのも影響してくるからであろう。
 以前、テレビでやっていた、二時間サスペンスドラマのトリックで、電子音についての話があったのを思い出した。
 あの頃は、
「電子音って、結構今が旬の話題だよな」
 と思ったことから、かなり昔のことではなかっただろうか?
 そろそろ40歳近くになろうとしているサイトウが、ちょうど高校生くらいだったから、20年くらい前のことだろうか?
 携帯電話のガラケーが、ほとんど普及してきていて、着メロなどという電子音が流行った時代だったこともあって、そういう意味で、旬なトリックだったのかも知れない。
 あの頃のサスペンスドラマは、どちらかというと、
「錯覚」
 というのをテーマにしたのが結構あったような気がする。
 あくまでも、サイトウが感じたものであって、
「個人の意見」
 の域を出ないのだが、どうしても、トリックが本格的であれば、そこからストーリー性を考えて、見入ってしまうことも多かったりする。
 というのも、ちょうどその頃、ミステリーに嵌っていた。しかも、本も結構読んでいて、読んだ本はある意味極端ではあった。
 当時の二時間サスペンスの原作になりそうなもので、いわゆる、
「トラベルミステリー」
作品名:五感の研究と某国 作家名:森本晃次