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五感の研究と某国

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 と思い始めると、そこからは、どんどん慣れのようなものになり、マンネリ化していくのだった。
 マンネリ化が、そのうちに、束縛になってくる。
「他の女性を好きになってはいけないんだ」
 という、戒律を自分で課すことによって、余計に、まわりの女性が可愛く見えてくる。
 自分が年を取るのと一緒で、きれいだった奥さんも、次第に年を取ってくる。
 考え方も、マンネリからなのか、それまで、
「自分に合うような特別な女性だ」
 と思っていたのに、いつの間にか、
「その他大勢の考え方ではないか?」
 と考えるようになり、結婚した時の、
「自分にとっての、自分だけの特別な人」
 というものがなくなってきた。
 そうなると、
「結婚というものの何が大切だったのか?」
 というものが分かった気がした。
「そうだ、新鮮さだったのだ」
 と思う。
 新鮮だったからこそ、好きになり、自分にとって、相手にとっても、自分を特別に思ってくれるという感覚が、相互にあることが大切だったのだ。
 最初に100の状態から始まれば、時間が経つにつれて、どんどんパーセントが減っていくのは当たり前のこと。そうなると、
「結婚って、ゴールじゃなかったんだ」
 と、改めて気づくことになる。
 確かに、最初は、
「結婚がスタートラインだ」
 と思うのが当たり前のことであり、
「結婚することで、ここから、一緒に歩いていくのだ」
 という、当たり前のことを思ったはずなのに、気持ち的には、結婚が最高潮で、後は落ちていくだけだった。
 ある意味、結婚式という儀式も悪い影響を与えているのかも知れない。披露宴などでは、二人のなれそめから結婚までをビデオ化して流したりして、まるで、成功者の軌跡をたどっているかのようではないか。
「勘違いするな」
 という方が無理だと言えるのではないだろうか?
 しかも、本来の、
「式」
 では、これから先の運命をともに分かち合って、
「健やかなる時も、病める時も……」
 という、神父の言葉を聞いていながら、披露宴になると、すっかり宴会ムードになる。
 さらに、披露宴では自分たちが主役のはずなのに、ひな壇に飾られた人形のように、食事もできず、
「どっちが主役だというのだ?」
 という理不尽さを感じるかも知れない。
 そうなると、まわりの宴会ムードと打って変わって、自分たちはどうなのだ? と思うだろう。
 しかし、実際には、みんな誰もそんなことを思わない。それは、今まで結婚式で、花婿花嫁として、ひな壇にいる人の姿を散々見せられて、
「いずれは自分があの場所に」
 という憧れだけで、結婚を夢に見るようになるからに違いない。
「結婚は人生の墓場だ」
 というが、実際にそうである。
 交際期間とは、まったく違う時間が過ぎていき、結婚というものがどういうものか、どんどん、坂道を転がり落ちていくのだ。
 その坂にはストッパーはなく、そのかわり、誘惑が潜んでいるのかも知れない。
 意外と、そんな時に限って、気になる異性が現れて、密かに自分を想っていたりするものだ。
 そのことを知ることになると、
「結婚しているのが、足枷になるなんて」
 と思うものだが、逆のことが起こったりもする。
 不倫に至る相手が、
「既婚者だから、却って安心」
 と思う人もいるだろう。
 既婚者だから、包容力があると思う人、さらに、
「結婚している相手だったら、奥さんにバレても、男が誘惑してきた。あるいは、強引に迫ってきたと言えばいい」
 とまで考えていたりするだろう。
「結婚なんて、何が楽しいんだ」
 とそれまで想っていたことが、すべてひっくり返るように、結婚に対しての不満を、我慢しなくてもいいと思うようになる。
「もし、女房にバレて、離婚することになっても、この女と一緒になればいいんだ」
 と思うかも知れない。
 しかし、そんなに甘いわけはない。奥さんも浮気相手がいれば別だが、そうでない場合は、離婚の際に、慰謝料が問題になってくる。
「それでも、この女が俺を受け入れてくれる」
 などというのは、それこそお門違いというもので、
「この人は既婚者だからよかったのであって、奥さんとこんな問題を起こすのなら、こっちから払い下げだわ」
 と、離婚が成立したとたん、女の態度が一変して、鬼の形相になることで、男は自分が一人になったことに初めて気づくだろう。
「ここまでくれば、さすがにどんなバカな男でも、懲りただろう」
 と思うだろうが、逆にここまで気づかなかった男だ、まだまだ甘いことを考えているのかも知れない。
 そんなことを考えると、
「世の中には、どこまでもバカな人間はいるものだ」
 と思い、哀れに感じていいのか、それとも、惨めな恰好を見せつけられることで、嫌悪感だけを持てばいいのか、分からなくなってくる。
 ただ、同じことが、自分に起こらないとも限らない。
 分からないと思っている人間こそ、自分がどの運命に向かっているか、想像もつかないものである。
 普通の人は、ある程度いくつかの想像をし、そのどれかに向かっているから、今後のことを考えることができるのだ。その想像ができないのであれば、その向かう先というものが見えてこないのも当たり前のことで、
「俺は離婚して自由になったんだ」
 と思い、結婚はこりごりだと思ったくせに、ほとぼりが冷めると、またしても、可愛い女の子が現れると、その先に、
「結婚」
 というものを考えるという、愚かな動物なのだ。
 そんな時代なので、研究に没頭している人は、
「結婚」
 などという言葉とは無縁だと、誰もが考えていることだろう。

                 四則演算の考え方

 そんな中で、なかなか研究所の雰囲気に慣れない研究員もいた。
 その中でも異色だったのは、
「サイトウ」
 という研究員であった。
 彼は、そもそも、昆虫の研究をしていた。昆虫の研究をしているうちに、
「臭いについて研究することが、一番の近道だ」
 と考えるようになった。
 それは、昆虫から感じたことではなく、家で飼っている犬の臭いから感じたことだった。
 家で飼っている犬は、普段から妹がいつもお風呂に入れているせいか、いい匂いがする。犬用のシャンプーを、うちの犬は嫌がることもなく、結構楽しんでいるようだった。
 しかし、そんな犬が、
「ふとした時に、妙な臭いがする」
 と感じたのだ。
 犬の専門家ではないので、研究するところまではいなかなかったが、自分なりにいろいろと仮説を考えてみた。その時、
「待てよ。これって、昆虫の臭いとも、どこか関連性があるのではないか?」
 と考えたのだ。
 ただ、この考えが、かなり奇抜であること。そして。発想としては、そんなに信憑性があることではないと感じたことから、
「これは、自分の研究ではない」
 と思ったのだ。
 しかし、臭いに関しては、昆虫研究で避けて通ることのできないものだということは自覚していたので。犬の臭いを無視できないのではないかと思っていた。
 そのあたりの葛藤があったことで、サイトウ研究員は、自分が無意識のうちに、
「臭いを激しく意識する」
 ということになっているのに気付き始めた。
作品名:五感の研究と某国 作家名:森本晃次