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五感の研究と某国

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 だから、当選するには、分母が小さい方が有利にきまっている。それを思うと、口で何と言おうとも、投票率が低い方が、選挙では優利なのだ。
 さらに、国民が政治に関心を示さないと、国民に対して極秘なことも進めやすい。これほどありがたいことはない。
 昔のヒトラーなどのように、
「独裁国家」
 を作ろうとすると、民衆の爆発的な人気が必要となるが、民主国家における政権を維持するという程度のことであれば、過半数でいいのだから、連立を組んでいる間は、そこまで選挙といっても、躍起になる必要はないだろう。
 ただ、政権を取ってからの、政府内での力関係ということになると、
「一票でもたくさん、票を得る必要がある」
 というのは当たり前のことで、そのための選挙活動である。
 つまり、選挙運動で、国民が見ているところと違うところを見ているということだ。
 すでに先を見越して動いているというのは、さすが政治家というところであろうが、正直、政治家にもピンからキリまでいて、
「本当の政治家」
 といえる人もいれば、政治に関しては、ある意味、どうでもいい人も多く、まるで、
「客寄せパンダ」
 といってもいいような、
「タレント議員」
 などもいる。
 ある選挙区で、対抗議員が強いので、しょうがないから、ネームバリューだけで連れてきたタレントを当選させるというようなことをするのだ。いくら、
「過半数くらいは大丈夫だろう」
 と言われていても、いつ何が起こるか分からない。
 スキャンダルなどというのは、突然に発生するもので、マスゴミなどは、選挙を狙ってわざと暖めていたネタを選挙中などに暴露して、与党が不利になるようなことをすることもあったりする。
 マスゴミというのは、報道に携わっているということで、その会社の方針というものがある。
「右寄り、左寄り」
 などというのも、その一つで、今までに、そんなマスコミのやり方に翻弄されてきた政治家がどれだけいたことだろう。
 有名な政治家が、スキャンダルにまみれたかのような報道をされ、言い訳ができないところに追い込まれ、辞職に追い込まれる。
 そのたび、野党から追及を受け、ひどい時は、
「内閣不信任案」
 などというものが出されることもあるが、中には、闇雲のスキャンダルのたびに、不信任案を出していては、その存在感が次第に薄くなっていくというもので、それほど、政治家、特に政府与党の議員には、スキャンダルはつきものだと言えるだろう。
 何しろ、
「政治家で、叩いて埃の出ないような人はいない」
 と言われている中で、必死になって政治家のスキャンダルを追いかけるジャーナリストがいるわけだから、丸裸にされてしまうのも、当然のことだろう。
「世の中、食うか食われるか」
 まさに、マスゴミと政治家というのは、そういう関係なのだろう。
 そんなマスゴミから、何としてでも機密を保持しないといけないのだから、この研究所も大変なことだ。
 ここでの研究員に、ある意味自由はない。
 研究所を出ることは、よほどの理由がなければ敵わない。
 もっとも、ここで研究をしている学者というのは、
「俺たちは研究さえできれば、それでいいんだ」
 と思っている人が多い。
 結婚する意志のない人、あるいは、結婚はしたが、すぐに別れた人、さまざまだった。
 すぐに別れた人は、一般の人たちの離婚とは、少し違う。
 普通、離婚というと、どちらかに、
「不倫や浮気」
 あるいは、
「浪費癖がある」
 などという具体的な理由がないのであれば、
「性格の不一致」
 というものが一番大きかったりする。
「今まで恋愛期間中には、気付かなかったものが、結婚したとたんに見えてきて、それが、許せない」
 ということも非常に多いだろう。
 それが、新婚旅行という、共同生活の最初の段階で気づいてしまった時、
「成田離婚」
 などという言葉が生まれることになるのだ。
 だが、そもそも彼らには、他の人と、最初からまったく違っているのだ。
 そんな彼らと、
「お付き合いをしたい」
 と思ったとしても、交際期間の最初の段階で、
「これはダメだ」
 と女性側は思ってしまうだろう。
 それに、交際するにあたって、男性も女性も、
「少しでも長く交際して、お互いのことを分かり合いたい」
 ということから、最初は、本性を出さないようにしているに違いない。
「探り合いの中での交際」
 ということになる。
 それは、いわゆる、
「恋愛ゲーム」
 といってもいいだろう。
 シミュレーションゲームが好きな人であれば、
「リアルなゲームだ」
 と思う人もいれば、それどころか、自分たちがやっていることが、人生を決めることだという認識がないままに、知り合っていくのだから、当然、相手の本質など、分かるわけもない。
 自分が、
「本性を出さないようにしよう」
 と思っているのだから、当然相手も同じことを考えているはずで、何と言っても、
「策士たるもの、自分がすることはピンと来ても、相手にされることには疎いものではないだろうか?」
 という言葉通りではないだろうか?
 自分の策に酔ったり、溺れたりすると、相手が同じことを考えていたとしても、気付かない。
 それを気づくことができなければ、
「軍師」
 などという仕事はできないのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「結婚は幸せの絶頂だ」
 と思っているとすれば、その人は盲目になっていて、相手のいいところしか見えなくなってしまい、いや、見ようとしないのかも知れないが、それを思うと、一番自分が、無防備になっているということに気づかないのだろう。
 ただ、今の時代は、自由を求める人が増えたのか、それとも、昔のように、
「家の存続」
 などということを意識していないからなのか。
 昔のように、土地、財産を親が残してくれているということはなくなったので、
「家の存続」
 というのは、その時点で、もうすでにないものだと思っているだろう。
「せめて、墓くらいは守ってやるか?」
 とでも思っていれば、御の字というものではないだろうか?
 そんなことを思っていると、結婚をしない人も、当然のごとく増えてくる。
「そもそも、結婚って何なんだ?」
 と考えるのだ。
「結婚して、一人の女性を運命の人と思って、ずっと一緒に暮らしていく?」
 考えただけでも、ゾッとする。
 確かに、結婚すれば、運命だと思っている人を独占できるし、慕ってもらえる。新婚時代は、それこそ、スイートな気分でいられるだろうが、そんな気分がいつまで持つというのだろうか?
 人間というのは、
「飽きが来る」
 という動物である。
 結婚してから、自分が好きな人を独占し、
「その人とだけセックスをしていれば、それでいいんだ」
 と、本当に言い切れるだろうか?
 その人だけを愛すればいいということで、他の女性を抱くことはなくても、次第に、女房に対しての魅力も半減してくる。それが一種の、
「飽き」
 というものなのだろうが、最初は、
「毎日でもセックスをしたい」
 と思っていた気持ちが、
「疲れもあるし、週に2,3回でいい」
作品名:五感の研究と某国 作家名:森本晃次