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五感の研究と某国

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 何しろ、それまで自分が生きる基盤としてきた大日本帝国そのものが存在しないのだ。それまでの自分たちのよりどころは消えてしまった。後は、
「長いものに巻かれて生きていくしかない」
 ということになるのだ。
 戦後になり、その研究所のことが少しずつ明らかになる。映画もその証言に基づいたものだっただろう。
 毒ガスによる実験などは、ナチスにもあったが、ひどいものとしては、前述の凍り付いた腕の話は、実際に本当にあったことのようだ。
 絶対零度を作るための機械を開発し、その実験に、「丸太」を使う。目の前にある手かせのような機械に手を突っ込み、絶対零度の冷気を流し込むと、腕は一瞬にして凍り付いてしまう。
 そこをハンマーで打ち付けて、粉々に砕いてしまうというワンシーンがあった。実に恐ろしいことである。
 そして、もう一つ印象に残っていたシーンとしては、
 今度は、
「気圧調整装置」
 のような部屋があった。
 そこは、毒ガスが入ってくるような部屋であり、少々広い部屋であった。
 毒ガス室は真っ暗だったのだが、その理由は、ガスに軽く色をつけて、室内がどれほどの毒ガス濃度になっているか、機械だけではなく、肉眼でも見えるようにしていたのだろう。
 そして、気圧制御装置のある部屋も同じように、真っ黒の壁となっていて、角がどこなのかすら、分かりにくいようになっていた。
 そんな密室において、毒ガスのように入ってくるものではなく、気圧室は、どんどん空気を抜いていくというものだった。
 男が椅子に座っている。
 目隠しをされて、そのまま、ポツンと置かれた椅子に座らされている。その男の息遣いだけが、真っ暗な密室に響いている。
 表で白衣を着ている数名の科学者たちは、時が来るのを待っている。
 一人が、
「よし」
 と、静かな声でいうと、空気が抜けていく音が、
「スーッ」
 と聞こえてくるのだった。
 こちらは、DVDを見ているので、何が行われているのか分かるのだが、丸太と呼ばれる被験者は、どういう心境になっているのか、見ていて分からない。
 しかも、捕虜なので、基本的に日本人がいるわけではない、日本語など通じない連中だ。
 捕虜となっている連中は、中国人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア民族、一部の満州人も含まれているだろう。
 少し違うが、いわゆる、
「五族協和」
 という満州国の建国スローガンの、日本人が、ロシア人に変わっただけで、しかも、その、
「人体実験」
 が、満州国内の研究所で行われているというもの何ともいえない恐ろしさである。
 ただ、満州国にあった、研究所は、生物兵器であったり、毒ガスなどの、大量殺戮兵器を開発していたのだが、戦後において、占領国家と、研究員との間に、
「密約」
 があったのか、その時の研究員の一人として、
「極東国際軍事裁判」
 において、裁かれた人間はいない。
 それどころか、研究所で要職についていた人物が、戦後日本で開設された、
「血液バンク」
 において、取締役に就任していたほどだった。
 そんなことがあって、その研究結果が、例の某国に流れたことは確かであろう。
 当時の世界は、
「東西冷戦」
 の真っ最中、東側諸国は、かつてのナチスからの研究員を拿捕したり、抱え込んだりして、兵器開発や宇宙開発を行ったが、西側は、ナチスに迫害されたユダヤ人科学者の亡命者によって、形成される研究チームだったりする。
 原爆気級の、
「マンハッタン計画」
 もその一つで、ユダヤ人である、アインシュタインも亡命者でありながら、大統領に書簡を送っているのだ。
 時代が冷戦という状況になり、すなわち、
「兵器開発競争」
 というものが、一種の戦争となった。
「いかに、相手よりも優れた兵器を開発するか?」
 という命題が課せられたのだ。
 確かに兵器開発競争は、そのバランスさえ保たれていれば、お互いに
「この最終兵器を使うことで、結局は破滅しかない」
 という意味で、
「抑止力」
 というのが生まれる。
 つまり、
「核兵器は、持っているだけで、相手に対して脅威を与えることになり、お互いに使わないという暗黙の了解によって、平和は保たれる」
 と思われていた時期があった。
 しかし、それはバランスが保たれている時だけであり、ちょっとでも、動けば、核のボタンを押しかねないということが世界のすべての人類が分かると、もうどうしようもない開発競争を続けてきたことで、もう抑えが利かない状態になっていた。
「ここまでくれば、やめるわけにはいかない」
 今度は、核兵器による抑止ではなく、政治の力という、不確定で一番あてにならないものが、抑止力としての力を発揮することができるかということであるが、どうしても、
「核の抑止力」
 という昔の幻影に振り回されている国も少なくない。
 ハルビンにあった研究所の、
「気圧制御装置」
 に、放り込まれ、その中は、まるでガス室と同じ、まわりが真っ黒であった。
 別にガス室をそのまま使用したわけではなく、ガス室と同じ効果を見たいから、わざと真っ黒にしていたのだ。つまり、
「肉眼でも、気圧の制御が利いているか」
 ということを見たかったからに違いない。
 気圧がどんどん低下していくと、一体どうなるというのか、
「身体がどんどん膨れ上がっていって、最期は破裂してしまう」
 言葉で表すだけでも、恐怖なのに、実際にそれを研究という感覚を持っているだけで、まったく感情を表に出さず、人間が最悪の形で死んでいくのを、見ているというそんな光景全体を見ている方が恐ろしいといっていいだろう。
 毒ガスのように、恐怖におののいて、苦しみながら死んでいく人を見ているのと、苦しむことさえできず、膨れ上がっていく身体がどんどん、人間ではない姿に変わっていき、最期には破裂してしまうという、
「まるでこの世のものではない」
 という光景を、それぞれに見せられて、それを無感情で見ているという時点で、
「感覚がマヒしてしまっている」
 という以外には、何も表現のしようがないのだろう。
 だが、実に皮肉なことに、人間に対して、真空状態をうまく作ることによって、今後の医学として、今、
「不治の病」
 と言われているものが治るであろう未来にまで生かしておくことができる研究ということで、真空に対しての研究が行われているのだ。
 それは、同じハルビンの研究所で行われた、
「絶対零度における、人間の耐久」
 ということで、ハンマーで凍り付いた手を殴ったという発想ではなく、今度は、
「人間の冷凍保存」
 という発想に生かされているのだ。
 つまり、
今から80年近く前に行われた、
「戦争の勝利のために行われた、大量虐殺の研究」
 というものが、今では、
「人類の未来のための、不治の病の治療のため」
 という研究が行われているのだ。
 もちろん、時代は流れてはいるが、80年前の研究が今の時代にも生かされることになるのだ。
 そういう意味では、
「犬死ではない」
 といえるのだろうが、果たして、どうなのだろう?
作品名:五感の研究と某国 作家名:森本晃次