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五感の研究と某国

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 こちらは、モスキート音の発想からの応用によるもので、ステルス性ではなく、暗号伝達として使うという発想であった。
 まさか、人間自身が、暗号解読ができることになるとは、誰も発想しないだろうというところからで、いずれば、その発想も見破られ、どこも似たような開発をするかも知れない。
 しかし、先駆者として最初に開発をしたところに、しょせんは追いつけるわけはないという発想から、
「もし、他がこぞって開発を初めても、結局、先駆者に追いつけるわけはないということに気づいて、研究の目を他に向けることだろう」
 という考えがあった。
 だから、
「結局最初に始めたものが、最期に生き残ることになる」
 ということだが、他が開発をこぞって始めた時、それまで、一か所だけでの研究では進まなかった他の発想が眼を覚ますことになる。それを最終的に独占できるようになるのだから、競合があった時期の方が、
「他の会社に開発をさせられて、最終的には、こちらが独占することができるのだから、これこそ、漁夫の利といってもいいかも知れない」
 という研究家もいた。
 この方法は、今までにも他の業界で行われてきたことだった。
 しかし、これを大っぴらにしてしまうと、他の会社も警戒し、業界から撤退する前に、特許でも取られてしまうと、迂闊に利用できなくなってしまう。
 あくまでも、自分たちだけで開発したということにしておかないと、他の会社が後から何か言ってこないとも限らない。
 法律的には文句を言ってきても、どうしようもないのだが、文句を言われてしまうと、企業イメージが悪くなってしまう。そういう意味で、これらの方法は、さりげなく、相手の気分を害さないように行わなければならないということなのだ。
 そんな開発チームが、今度は別のプロジェクトを立ち上げることになった。そのチームは、モスキートや聴覚を研究している人たちの中から、数人が選ばれた。その中に、サイトウも含まれていて、掛け持ちという形にはなるが、意外とその両方の研究は、お互いに共通点がいっぱいあるような気がして、相互間で、成長が見込まれるということで、研究の妨げには決してならないものだと思えるのだった。
 今度の研究は、今までが聴覚だったのだが、今度は味覚である。
「確か、サイトウ君というと、元々は、嗅覚を研究していたのでは?」
 という話から、
「そうなんだよ。人間における五感すべてを、サイトウ君には研究してもらおうと思っているんだ。そこには、何か切っても切り離せないような緩急課題があると、私は見ているんだが、その中で、あたらしい、いわゆる第六感というものに導けるのではないか?」
 と考えているのが、この研究プロジェクトをプロデュースしている研究所の部長だったのだ。
 部長は、ある意味、某国の国防相とは、基本的に関係がない。この研究所は表向きには、あくまでも、日本の企業の研究機関であり、実際に経営としては、
「大企業数社の合同出資によってつくられた研究所」
 ということであった。
 ただ、ここに、
「政府が一部出資しているのではないか?」
 というウワサが流れてもいた。
 それは、現在行っている、来年度予算計画の中で、野党が急に見つけてきたものだった。
 これまでは、何も言われることがなかったのは、この研究所が、ある意味、国家として与党野党関係なく、その矢面に立ち、研究成果を挙げることで、国家としての、
「成果」
 が表に出るということを示していたのだ。
 政府としては、ある意味、この研究所を盾にして、マスゴミや、世間の目を欺くというと語弊があるが、政府の実績を叶えてくれる場所として、国民世論でも認めてもらえる存在になることを求めていたのだった。
 もちろん、政府の一部は、そのことを分かってはいるが、何しろ研究内容が、政府の一部しかハッキリとその本質を分からないので、カモフラージュの必要がある。
 そのため、敢えて、この研究所を表に出すことで、表向きの研究が、
「研究のすべてだ」
 ということを世論に思わせることで、国家を正当化させようとした。
「なぜ、そのような必要があるのか?」
 ということになるのだろうが、研究というものが、
「一般庶民に分かるような簡単なものではない」
 ということ、そして、
「そこには、当然、国家機密のような、重要な密約が水面下で進んでいるものだ」
 ということが、暗黙の了解として、世論は分かっているだろう。
 マスゴミも、十分に分かっているので、深入りはしないし、下手に深入りして、触れてはいけないところに触れてしまったりしては、自分の立場というものが、危うくなってしまうということになるからだ、
 国民は、一人一人考え方が違うので、操り方が難しくなるのだろうが、逆に、国家体制が民主主義ということで、操りやすいところもある。
 というのは、
「民主主義というのは、あくまでも多数決で、そして、合議制によるものだ」
 ということだからである。
 つまり、
「多数派と少数派では、必ず多数派が勝つ」
 というのが、当然のことであり、そうでなければ、社会主義のように、
「必ず、誰か一人のカリスマが世論を支配し、独裁となってしまう」
 という状態になるからだ。
 社会主義というのは、そもそも、資本主義、民主主義における致命的な問題を解決するということで考えられたものだった。
 その、民主主義の致命的な問題と言われるのが、いろいろあるのだが、一般的に言われるのが、
「少数派への無視」
 であったり、
「格差社会を生む」
 という考えになるのではないだろうか?
 研究所の存在をあからさまにすることで、
「自分たちは、この研究所を、おかしなことに使用していない」
 と宣伝しているのだが、やはり、見る人が見ると、
「どこか怪しい」
 と睨む人がいた。
 一種の天邪鬼なのかも知れないが、そんなことを考える連中に、意外と科学者が多かった。
 彼らは、まわりに怪しいと思ってもその気持ちを明かすことはしない。まわりから、
「変わり者だ」
 と言われていることも分かっていて、彼らと関わり合いにならなければ、ただそれでいいと思うのだが、研究員や科学者連中が、
「変わっている」
 と言われているのを、本人たちも分かっていて、それを受け入れているのだ。
 それはあくまでも、自分がまわりと関わりたくないという思いと、利害が一致しているという考え方で成り立っているものだった。
 研究員は、それまで、世間から子供時代など、
「お前は変なやつだな」
 と言われてきたことで、自分のことを、
「変な人間なんだ」
 と思うことで、そこから研究に走る人もいる。
 逆に、研究が好きで、研究員を目指していることをまわりの人が知って、
「お前が研究者? 頭がおかしいんじゃないか?」
 と言われることもあった。
 それは、まわりが研究員に偏見を持っているというのもあるだろうが、それよりも、
「俺は頭が悪いから、研究員のような仕事になんかつけるわけはないんだ」
 という、妬みや嫉妬から生まれた感情だともいえるだろう。
作品名:五感の研究と某国 作家名:森本晃次