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最後のオンナ

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「俺たちだって、やめられるものならやめているさ」
 と考えているのかも知れない。
 そう考えると、苛めっ子に、
「負のスパイラル:
 が付きまとっている気がするのだ。
 つまりは、螺旋階段状にクルクルまわりながら、ゆっくりと落ちていく。途中から加速がついて止まれなくなってしまうのだが、そこがすべてのスタートになるのだろう。
 要するに、
「苛めというのは、苛めっ子が、いじめられっ子をターゲットにして行うことから、すべてが始まった」
 といってもいい。
 だから、
「いじめっ子が悪い」
 ということになるのだ。
 何と言っても、最初に始めたり、きっかけになった人間が、その場においての責任なのだということになるのだろう。そういう意味で、苛めっ子というのは、これほど貧乏くじなものはない。
 ちょっとした承認欲求のようなものが、自分の中にある残虐性と結びついて、苛めという形になる、
 始めても、終わりというものを想像することができないのだから、終わりが見えないスパイラルに飛び込んでしまったということなのだろう。
 しかも、時間が経てば経つほど、深みに嵌っていく。苛めの恐ろしさはそこにあるのだった。
 そう考えると、
「いじめっ子も、彼らなりに辛い、いじめられっ子も、当然のことながら、被害を受けているのだから、最初から辛い。そして傍観者も、言い知れぬ恐怖に見舞われているという意味もあり、辛さから逃れられない」
 と思うと、
「誰が悪いというわけではないではないか?」
 ということになる。
 ということは、この問題は、
「自然発生」
 したということになるだろうか?
 最初は自然発生だったのかも知れない。ここまで昔の苛めはひどくなかったからである。だが、これが、連鎖的に発生したものであり、しかも、
「少し前と変わり、陰湿さがハンパではない」
 という形に変化しているとすれば、
「自然発生」
 という理屈も分からないことではないような気がするのだった。
 そう、苛めというのは、昔と変わってきている。昔から苛めという者はあったが、それなりに、
「ルールのようなもの」
 があったはずである。
 そういう暗黙の了解があることで、苛めは、社会問題というところまでこなかったのだし、今のような、
「引きこもり」
 というものを作らなかっただろう。
 ただ、今でいう
「引きこもり」
 というのは、苛めだけが原因ではない。
 不況による就職できなかった人たちが、そのうち、人に関わることが嫌になり、ゲームに逃げたりと、引きこもってしまうのだ。
 しかも、それは年齢に関係のないもので、中学生、高校生の子供がいながら、引きこもってしまうという、
「目を疑いたくなる」
 というような信じられない光景を見せられることになるのだった。
 そんな時代は、無数の社会問題が発生しては消えていく。それこそ、
「社会問題のバブル」
 というような時代があったのだろう。
 勝沢は、いじめ問題を考えた時、
「まるで三すくみのようではないか?」
 と考えた。
「じゃんけんや、ヘビ、カエル、ナメクジといった、自然界の生態系に関わる問題などがそれである」
 じゃんけんは、いうまでもないが、自然界の生態系として、
「ヘビはカエルを食べ、カエルはナメクジを食べる。そして、ナメクジはヘビを溶かしてしまう」
 という、この三角形は、それぞれの方向に、自分の強弱を置いているということになる。
 つまり、この問題は、実はそれぞれの抑止に働いているというのだ。自分が得意な方ばかりを攻撃していれば、せっかく、自分の弱い相手を抑えてくれているのに、その抑えが利かなくなる。しかし、だからと言って、自分が生きていくための食料を摂らないということは、自分の命取りとなるので、いかにうまく強弱のバランスをとるかというところが難しいのだ。
 しかも、ここでいうバランスは、もう一つの意味を持っていて、これは昔の探偵小説で、その時代の問題作となったものだったが、話は、入れ墨の話であった。
 最初読んだ時は中学生だったので、その理屈が分からなかったが、実は、この三すくみと、入れ墨という問題がうまく絡んでいて、これが、実はトリックの根幹となっていたのだった。
 トリックとしては、一種の、
「顔のない死体のトリック」
 と呼ばれる、
「死体損壊トリック」
 だったのだ。
 その犯罪はバラバラ殺人であり、
「密室の中に、胴体以外がある」
 というものだったのだ。
「どうして、密室だったのか?」
 というのも、大きな問題であったが、それよりも問題だったのは、
「どうして、この話に、入れ墨というものが使われたのか?」
 ということであった。
 何と言っても不思議なのは、
「普通ミステリーなどで、バラバラにする場合、首や特徴のある部分は、犯人が持ち去って、被害者が誰なのか分からなくするということがトリックの真髄なのに、何よりも身元が分かる首から上が残されていたのだから、被害者をごまかしたわけではないということだ。ただ、背中の入れ墨がないということは、入れ墨愛好家にその嫌疑が掛けられる。しかし、いくら入れ墨が欲しいからといって、有名教授という立場を捨ててまで、一つの入れ墨に固執するのもおかしい」
 その事件においていえることは、
「入れ墨が、三すくみであるということであり、その三すくみを本来は一人の身体には絶対に彫らないということは、絶対常識だったのだ。なぜなら、三つの強い力が働いて、掘られた身体を三つが絞殺すことになるという言い伝えがあったのだ。そんな言い伝えがあるのに、有名な刺青師が掘るわけがない。これが、今回の事件の肝だったのだ」
 結局は、三すくみと刺青というものが全体のトリックに絡むことで、この密室完全犯罪を完成させたのだが、その中での疑問を一つ一つ掘り下げていくことで、事件解決に役立てた。
 この時の密室も、実は単純なものであったが、それだけに、簡単に気づけないように、まわりのトリックが働いていた。それを作者は、
「心理の密室」
 と呼んだ。
 そう、これが、この事件のミソであり、すべてのトリックに、三すくみが絡んでいるのだった。
 三すくみは、それぞれがそれぞれをけん制しているという意味で、簡単には崩せない。そもそも崩していいものなのかどうか。そのあたりも難しいといってもいいだろう。
 それを考えると、
「三すくみというものは、攻撃しにくいし、防御は緩いのだが、相手を守らなければいけない場合があるので、これ以上、強固なものはないといっても過言ではないであろうと言えるのではないか」
 それを考えると、苛めの問題も、一筋縄ではいかないのも当たり前だといってもいいだろう。

                 賢者モード

 勝沢は、苛める方でも苛められる方でもなく、絶えず他人事として苛めを見ている方だった。
 学生時代は、他の傍観者と同じで、
「自分に火の粉が飛んでこないようにするために、君子危うきに近寄らずという言葉通りにしなければいけない」
 と思っていた。
 そんな学生時代だったので、彼のモットーの一つとしては、
「絶えず他人事であり、自分は自分だ」
 と考えるようになっていた。
作品名:最後のオンナ 作家名:森本晃次