最後のオンナ
「だけどね。来る人たちは皆、そんな話も、うちがレズビアンを地下で奨励しているということも知らずに来るのよ。本当に偶然なんでしょうけど、何か引き付けるものがあるのかも知れないわね」
というのであった。
ちなみに、地下というのは、
「BFでやっている」
という意味ではなく、
「地下アイドル」
というような、インディーズ的な意味で、地下と呼んでいるだけで、
「埋もれていて、表に出せない」
という意味が大きいのかも知れない。
そもそも、地下アイドルなどという言葉、どこの誰が言い出したというのか、本来はそういう意味ではなかったはず。
地下アイドルというのは、
「当時、アイドルが多様化してきて、何でもできるという触れ込みが多くなったことで、単純に、昔のような純粋なアイドルのことを、地下アイドルと呼んでいただけだったのである」
と言われている。
つまり、
「野球などのスポーツでいう2軍というイメージとは、違っていて、
「今と違い、原点に戻って考えた」
ということで、使われるようになった言葉だったのだ。
もちろん、
「2軍」
あるいは、
「予備軍」
という言葉の意味が含まれているということなのだろうが、
「物はいいよう」
というのか、しかし、問題は本人たちだけではなく、まわりも皆が、
「予備軍」
のように思っているのは間違いないようなので、定着するまでに時間が掛からなかったのは間違いないだろう。
それだけ、
「地下」
という言葉には、暗く、冷たいというイメージが定着しているということになるのだろう。
デリ初体験
そんなレズの友達とは、大学時代からm卒業してもしばらくの間、関係があったという。ルナが借金を背負ったことで、風俗の仕事を始めたので、しばらくは縁遠くなったとのことだった。
ただ、そんな彼女と久しぶりに出会ったのだというが、どうやら、その彼女も、今は風俗で働いているという。
「彼女の場合は、どうやらデリヘルで働いているということだったんだけど、どうも昔に比べて、相当派手になっていて、昔の雰囲気はほとんどなく、知っている人が見ても、きっと分からないと思うんですよ」
ということだった。
ルナは、お店でも、そんなに化粧が濃い方ではない。
正直、ルナが化粧を濃くしているところを見たとすれば、指名をすることはないだろう。勝沢自身、化粧の濃い女が好きというわけではない。
「よく見ると、うっすら化粧を施しているという雰囲気であったり、それが、美しさを演出しているのか、この店でルナは、ランキングでも1位になることはなかったが、いつも3位くらいには食い込んでいたな」
と思っていた。
なるほど、1位は清楚な雰囲気の女の子で、この子は店の、
「推し」
ということもあり、いつも不動の1位だった。
スケジュールを挙げたとたんに、瞬殺で埋まってしまうというのは、この子のことで、最初から気になる子ではあったが、ここまで徹底して1位に君臨しているのであれば、最初から見ない方がマシである。
そう思うと、
「俺って、あんまり眩しいものに対して、最初から挑戦するということを避けている性格なんだな」
といまさらのように思うのだった。
この感覚は、小学生の頃からあった。
小学生の頃は、本当は目立ちたがり屋だったのだ。目立ちたいということで、いつも出しゃばっていて、人の会話にもしゃしゃり出てきたり、親同士の会話に首を突っ込んでみたりしていた。
だが、そんな自分を、まわりが嫌がっているとは思っていなかったのだ。
そもそも分かっていれば、最初から首を突っ込んだりしない。目立ちたい一心で、首を突っ込んで、
「勝沢君は、物知りなんだね?」
だったり、
「ボクって、大人なんだね?」
などと言われることが、褒められることと一緒に目立てるという一石二鳥なことなのだと信じていたのだ。
大人や友達が気を遣って言っているだけで、顔は笑っていないことを分かっていない、言葉だけを信じてしまい、ニンマリと満面の笑みを勝沢にされてしまっては、もうそれ以上何も言えない。
「相手の言葉が出てこないことが何を意味するのか、さすがに子供の頃は分かっていなかったんだな」
と、大人になって思うのだった。
そんな小学生の頃は、完全に天邪鬼だった。
人がしないようなことをしてみたり、人が皆することをわざと逆らってしなかったりであった。
しかし、逆にそのせいもあってか、
「別に皆と同じようにすることも否めない」
と思っていることを、なぜか忘れてしまって、できなくなったりするという弊害も出た。
学校では先生から叱られ、それを、他の意思を持って逆らっていることと同じだと思われたのだが、それは嫌だった。
つまり、他のことは、自分の考えの中で逆らっていることなので、先生から何を言われても、叱られたとしても、それほど気にはならないのだが、やろうと思っていることを、逆らっているのと同じレベルで見られるのは嫌だった。
そんな思いを、
「他の天邪鬼の人もしているのだろうか?」
と感じた時、またあらためて、
「俺って、天邪鬼なんだ」
と再認識するようになっていた。
子供の頃の天邪鬼な性格は、何度も自分の中で、
「俺は海女の邪悪なんだ」
と確認していたように思う。
「どうして確認するんだろうか?」
と思うのだが、その理由が単純に、
「自分が絶えず思っていないと、すぐに忘れてしまうからだ」
と感じたのだ。
だから、信じてほしいことまで忘れてしまうので、まわりから勘違いされがちになり、自分が考えている天邪鬼と、まわりの人が自分を天邪鬼だと思って見ている感覚とでは、かなりの違いがあるのではないだろうか?
そんなことを思っていると、
「小学生の頃って、結構いろいろなことを感じていたんだな」
と思うようになっていたのだった。
それを分かっているのかいないのか、小学生の時は、大人になった今とでは、その間に結界があったことは分かっているが、いつどこであったのか、正直分かっていないのが、事実だった。
中学生くらいに訪れる思春期、反抗期と、
「大人への階段を上るために、登竜門」
という言い方をすればおかしいのだろうが、勝沢は、どういう言い方をしてしまうところがあった、
まずは、子供の頃、よく大人から、
「恥ずかしい行動をとってはいけない」
とよく言われたものだ。
その頃、勝沢には分かっていた。
親がなぜ、子供に向かって恥ずかしい行動を取るな」
というのかということである。
それは、子供のためではない。
確かに子供のためではあるが、それは、結論に至るための過程での理論であり、要するに、
「お前が恥ずかしい行動を取れば、親まで恥ずかしい人間だと思われるではないか?」
という、明らかな保身のための文句である。
子供のためだけに言っているのであれば、そこには、諭すような言い方があり、
「いいかい?」
という最初の一言があってしかるべきだろう。
そんな一言がなくとも、諭しているような言い方をしてくれているということは、分かるはずだ。