最後のオンナ
という気持ちを高めるのに、実に分かりやすい女であるということが分かってくる。
しかし、どこか物足りなさを感じるというもの、人間の性の一つではないだろうか?
確かに、言いなりになる女を束縛するというのは、
「これに勝るものはない」
と思われるほどの快感ではあるが、どこか、ウソっぽいと考えるところもあるだろう。
それは、人間というものに、猜疑心なるものがあるからではないだろうか?
そのまま信じればいいものを、どうしても信じられない何かがあるというもので、嫉妬という感情とは少し違っているが、似たところがあることから、
「猜疑心というのも、相手を思うがゆえに出てくる感情であり、これは、まわりに直接影響するわけではない、自分だけが苦しむものではないか?」
と思えるのだ。
そのわりに、猜疑心ということはを聞いて、
「いい意味」
として捉える人はいない。
それこそ、嫉妬と同じように、まわりに対して不快感しか与えないし、猜疑心が強ければ、
「何をするか分からない」
という感情に至るものではないだろうか?
それを思うと、
「猜疑心など、ない方がいいに決まっている」
といっていいのではないだろか?
「彼女が従順なのであれば、こちらも、その気持ちに従えばいいのだ」
ソープなどの風俗は、キャバクラやホストクラブのようなあざといところはない。
なぜなら、最初から値段は決まっていて、勝負は、すでに、
「女の子と対面する前に終わっている」
といってもいいだろう。
ただ、プレイの中で、
「もう一度私に遭いたいと思わせなければ」
という気持ちは強いだろう。
リピーターになってもらって、再度指名してもらい、徐々に常連になってもらえば、指名料のバックが入ることで、
「割引はないが、それ以上の女の子のサービスが受けられる」
ということになるだろう。
だから、客にとって、金銭的な得はないが、女の子からの、あざといのかも知れないが、もっと深いサービスが得られるというのも事実である。
割り切っている人は、
「そもそも、彼女にする気もない相手なのだから、後腐れのないところでのサービスがうけられれば、それで御の字ではないか?」
と考えることだろう。
逆に、フリーを楽しみに行く人は、
「誰が出てくるか分からない」
ということで、博打の愉しみを感じている人なのだろう。
もちろん、指名料がかからないと思っている人もいるのだろうが、
「たかが、2000円ほど」
と考えるか、
「2000円も掛けてしまいする意味があるのだろうか?」
という考えが頭に渦巻いている。
「風俗にくる時点で、2000円くらい」
と考えるのは、どうなのだろう?
ただ、実際にはそうなのである。
一時期、その子がずっと気になっていたが、ある日、彼女が友達の話をしたのだが、その友達というのが、どこか自分が知っている子のことのようで、思わず、話を深堀して聞いてみた。途中まで聞いてしまうと、そこでやめることができなくなったのは、自分がその子のことを意識していたからではないかと思うと、自分でも不思議な気持ちになっていくのであった。
ルナ
「風俗で知り合ったその子をずっと気にしていた」
というのは、もちろん、
「風俗嬢としての彼女のことしか知らないからだ」
ということで、
「彼女が普通のOLをしていたら、どんな感じなのだろう?」
ということを考えていたとすれば、その思いがどのようなものかというのを、想像することはなかっただろう。
それはきっと、今まで入った風俗の女の子すべてに、感じたことだろうからである。
というのも、これまで女の子と二人で過ごした時間というのは、どのほとんどが、風俗嬢と、お店の中でのことであった。
正直、
「俺はモテないんだ」
と思っていたのだ。
その理由の一つに、
「俺が、風俗に染まってしまったから、普通の恋愛などできるはずがあい」
と考えたからで、その考えは間違っているわけではない。
ただ、自分が必要以上にそう考えていることを、
「被害妄想だ」
と思い込んでしまったことが大きな理由だったのだ。
どうしても、風俗の女の子としか話をしていないと、風俗嬢に対しては、会話の自信があっても、他の子に対して会話をする自信がない。それどころか、他の女の子に対して、臆した気持ちになると思っているのだ。
つまりは、何を話していいのか分からない。こう感じることで、明らかに、相手にマウントを取られてしまうに違いないと感じるのだ。
それは、勝沢のような男にとって、実にきついことであって、彼のような男は、女の子に対して、
「自分がマウントを取っていなければ、とても、会話をしても太刀打ちできない」
と思っている。
相手が風俗嬢であれば、風俗経験豊かということで、自分なりに対等に相手ができると思い込んでいる。
それが、
「相手が、客だ」
という意識で、こちらに接してきているので、当たり前のことだろう。
客を相手に怒らせるわけにもいかず、気持ちよくなってもらって、また指名してもらうことが大切なのだ。
だから、彼女たちにはマウントは関係ない。あくまでも、指名してもらえるかということが大切なのだ。
傍から見ていると、そんなことは普通に分かるのだろうが、当事者ではなかなか分からない。
しかも、色恋的なサービスを受けている方としては、いつのまにか、嵌らないつもりでいても、自分が色恋に嵌ってしまっていれば、そのことに気づかないのも当たり前のことであった。
要するに、
「灯台下暗し」
ということもあり、案外、自分のことを一番分かっていないのは、自分だということになるのだった。
そんな時に思うのが、
「鏡に映った自分の姿を想像した時だった」
自分の姿は、鏡に映すか、動画などに撮るかしないと見ることはできない。それを思うと、
「自分のことは自分じゃ分からない」
ということである。
ただ、そのことを、意外と自覚することはなかなかできない。だから、自分のことを顧みたり、考えたりするときというのは、妄想だったりすることが多いのだ。
妄想というと、意外と自分が妄想の世界にいるのか、それとも、リアルに感じているのかが分からないことが多かったりするものかも知れない。
風俗嬢の彼女と話をしていると、普段の自分をいかに感じるか、ふいに考えることがある。
それは、ふいに感じるのであって、ふとした雰囲気と感情がマッチした時ではないだろうか。
というのが、風俗嬢との逢瀬の時間ではないかと思うのだった。
もちろん、他の女性との時間を知らないというのも、その理由なのだが、風俗嬢と一緒にいると安心できるのだ。
なぜなら、自分がマウントを取っていようがいまいが、相手がちゃんと、受けてくれるのだ。
会話にしても、身体にしても、痒いところに手が届くのである。
そんな、風俗嬢との会話や、二人だけの時間は、実に貴重なものだった。
そもそも、勝沢は、人といるよりも、一人の方が好きな方だった。
「孤独」
という言葉とは少し違い、最近よくある、
「ソロ活」