小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

風俗の果て

INDEX|6ページ/23ページ|

次のページ前のページ
 

 プレイも曖昧で、こちらから言わないと、何もしてくれないというひどさ。
 だったら、
「会話の時間が楽しくて、ついつい時間の計算を間違えた」
 でも言えばまだかわいいというもので、会話ができるほどのバイタリティも教養もない。
 ただ、いるだけで、時間を潰そうなんて、冗談じゃない。確かに、
「フリーでいけば、誰にも指名されないような子しか残っていないから、ロクなのに当たらないぞ」
 と言われたが、まさにそれを地で行った感じだった。
 しかし、中にはフリーの女の子でも、一生懸命にしてくれる女の子もいる。まるで、キャバクラでいえば、
「ヘルプ嬢」
 のようなもの。
「そんなところで腐っているんじゃなくて、ここで気に入ってもらえれば、次からは指名してくれる」
 とどうして思わないのだろう。
 フリーだって、お客さんと相手をさせてもらって、お金がもらえ、しかも、次は指名してもらえるかも知れないというチャンスなのに、それができないということは、
「何かの事情で、ソープに身を落とした」
 としてしか思っていないのだろう。
 確かに気の毒だとは思うが、もっとポジティブに考えられないのだろうか? 
「どうあがいたって、やることはやるんだ。客だって、楽しもうと思ってきているんだから、女の子だって楽しめばいいだけじゃないか? それで目的のお金ももらえるし、指名してもらって、早くその事情とやらを解消し、辞めることもできる。このままだったら、まったくたまらずに、ただ時間だけが過ぎていく地獄の毎日だぞ?」
 と、店の人から言われるのが関の山だ。
 別に、昭和初期の、
「昭和大恐慌」
 のような、
「娘を売らないと、次の日の飯も買えない」
 という時代でもあるまいし、女の子も、楽しめばいいと思うのは、マサムネだけであろうか?
 あからさまに、あざとい、
「色濃い作戦」
 で来るのを、客の方も分かっていて、まるでゲームのように男は通い続ける。
 女の子も、誰もが金銭的な事情を抱えているわけではない。中には、
「私は、とにかく、えっちが好きなのよ」
 というだけの子だっているのではないだろうか?
 写メ日記にも、
「皆と遭えるのが、楽しみで、今からムズムズする」
 などということを書いていたりする。
 いくら営業日記とはいえ、まったく思ってもみないことを書ける女の子もいないだろう。そう思うと、
「女の子だって、楽しんでいるのではないか?」
 と思うのは、男側のエゴなのだろうか?
 ただ、女の子がそう書いている以上、その言葉を信じてあげるのが、オキニだと言えるのではないだろうか?
 昔と比べて、今はいろいろな種類のお店がある、ソープ一つとっても、値段でランクが別れている、
「高級店」
「大衆店」
「激安店」
 などであろうか?
 昔は高級店しかなく、基本サービスはすべて、整っていた。だから、一回で、6万円など普通だっただろう、そうなると、ボーナス時期の、
「年に2回くらいしかいけない」
 と思うだろう。
 だが、今は、大衆店であれば、3万から4万で、120分くらいはいける。毎月は大げさかも知れないが、
「2カ月に一回くらいは行ってもバチは当たらない」
 と思う。
 しかも、コンセプトが決まったお店が多いし、女の子が気さくなことで、
「毎月通ってもいいよな」
 と、罪悪感がまったくないようになるのだった。
 男性というのは、性欲が溜まっていても、一度放出すると、次の欲望までに時間が掛かる。
 それを、いわゆる、
「賢者モード」
 というのだが、だから、
「今日は、何回いける?」
 と言われ、いくら若くても、普通だったら、3回が限度であろう、
 一度放出してしまうと、一気に脱力感が襲ってきて、さらに、自己嫌悪に陥ってしまう。
「セックスは悪いことではない。だから、風俗で発散させることに対して、まったくの罪悪感のない人が、風俗に通うのだが、そんな人でも、放出してしまうと、その脱力感から、普段は味わうことのない、罪悪感が目覚めてくるのだった」
 つまり、風俗というものが、あろうがなかろうが、男には、欲望があり、それを正当化できるような都合のいい考えが備わっている。
 最近では、女性用の風俗だったり、ホストクラブに嵌る女性も多いが、基本的に、風俗というと、
「男性のもの」
 だったのだ。
 確かに、昔から、男尊女卑の考え方は日本では大きかった。もちろん、日本にだけあった考えではないが、強く、残っていた法律が、
「大日本帝国」
 には存在した。
 それは、旧刑法と呼ばれるもので、同じような法律は外国にもあったが、男尊女卑をあからさまに示したのは、大日本帝国だけだったのだ。
 その法律は、今では全世界から消滅し、日本も、日本国になった時に削除されたので、ある意味早かったと言えるだろう。
 お隣韓国などは、2000年以降にも存在していて、実際になくなったのは、つい最近のことだった。
 その法律というのは、
「姦通罪」
 と呼ばれるものだった。
 つまり、
「配偶者がいるにも関わらず、他に誰かと姦通すれば、それは重罪になる」
 というものだった。
 だが、大日本帝国の場合は、あくまでも、女性が姦通をしなければ罪ではない。男性が姦通をしていて、それを女性が見つけたとしても、姦通罪で訴えることはできなかったのだ。
 日本で、敗戦後すぐに新法が設立された時に、この法律が削除になったのは、この法律が、
「女性のみに適用される」
 ということがあったからだ。
 つまり、新憲法において、
「法の下の平等」
 において、基本的に法律上、同じことをしても、
「罰せられるのは女性だけだ」
 ということになってしまうと、法の下の平等の精神に逆らうことになる。
 だから削除されたのだ。
 こんな法律が、まかり通っていた大日本帝国というのが、ある意味、封建的であり、本来なら、諸外国に追いつくために作ったはずの法律であっても、随所に、かつての日本の伝統が残っていたということであろう。
 それを思うと、
「外国に、追いつけ追い越せ」
 という発想ではあったが、昔からの伝統が残っているのは、薩摩であったり、長州であったりという藩閥政治の名残のようなものだったのかも知れない。
 そんな今の時代からは考えられないような時代があったわけだが、風俗も、基本的には男性の性欲発散のためにあるといってもいい。ただ、女性と男性の違いは決定的で、
「男は一度出すと、次までに絶対に賢者モードが襲ってくるが、女性の場合は、何度でもいける」
 というところである。
 女性の性欲解消のためには、下手をすると男性が束に掛かってもできない可能性もある。そういう意味では、実現が難しいというもの、無理もないことなのかも知れない。
 そんなことを考えると、女性の性処理解消産業が伸びないのは、やはり、肉体的な問題が大きいのではないだろうか?

                 多種多様な風俗

 その時、フリーで入った女性の対応は、いわゆる、
「塩対応」
 だった。
作品名:風俗の果て 作家名:森本晃次