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風俗の果て

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 と言われ、仕方がないので、予備校の帰りにファミレスに寄ることにした。
 時間的に、11時近かったので、お腹もすいていた。ただ、他のレストラン系は、どこも閉まっているので、ファミレスしかなかったのだ。
 お客さんは結構たくさんいた。空いている席は珍しいくらいで、2,3人くらいの客が多いようだった。その中で、奥の方で、勉強集団の連中がいるのが見えた。他に客がいるので、本当なら少々うるさくても目立たないのだろうが、結構目立っていたのだ。それは、唐突に奇声をあげる人がいて、それが、女だけではなく男もであった。まるで、自分たちの存在感を示そうとしているようで、何かおかしな気分になったが、そのおかげで、
「やっぱり、俺はやつらとは住む世界が違うんだ」
 と感じたのだ。
 そんなことを考えていると、
「確かに俺は、一人で静かにしているのが基本的にダメなんだが、同じくらいに、人と屯するのがダメなんだ。だけど、それは、あくまでも、他の人と同じでは嫌だという感覚があるからであり、やはり基本は、一人で何かに集中しようとするのがダメなんだ」
 という、理屈的には難しい考えを何とか自分の中で理解することができるようになったのだった。
「お前って性格的には分かりにくいんだけど、女の好みは分かりやすいよな」
 と大学に入ってできた友達から言われていた。
 高校生の頃に、
「何も友達を全部一緒くたで考える必要などないんだ。勉強する時の友達、遊びに行く時の友達ということで分ければいいだけではないか」
 と思うようになると、結構気が楽になった。
 勉強する相手も、賑やかではなく、お互いに基本は静かにしているが、たまに意見交換をしたり、気分転換に話をしたりする相手だったので、かなり楽であった。しかも、相性がピッタリだったと言えばいいのか、集中して集中力が切れる瞬間まではほとんど同じ周期だったのは、ありがたかった。
 勉強とは違う、遊びに行く時の友達が、結構自分からいろいろ経験を話してくれるやつだった。
 ほとんど人に秘密を持たない性格のようで、本人も、
「俺、人にはすぐに話すから、逆に友達がまわりからいなくなったんや。きっと皆秘密バラされたらいやだとでも思ったんだろうな?」
 というではないか。
「秘密なんか、洩らさないだろう?」
 というと、
「ああ、俺はそんなことはしない。だって、自分がされたらいやなことは、俺もしないって決めてるからな」
 といっていた。
 彼は、どちらかというと、興奮したり、自分の意見を相手にわかってもらいたい時など、関西弁になる、そういう意味でも分かりやすいやつだったのだ。
「関西に住んだことあるのかい?」
 と聞くと、
「いいや、住んだことはないけど、中学の時の友達に、関西人のやつがいて。そいつとちょくちょく、言い争いをしていてな、その時、売り言葉に買い言葉、こっちも負けてられへんと思ったら、興奮する時は関西弁になるという癖がついてしまってな。興奮するというよりも、自分の意見を相手にわかってもらおうという気持ちになった時といっていいんじゃないかかな?」
 というのだった。
 高校時代に、マサムネは、それまでの自分と少し変わった気がしていた。
「大人になった」
 ということなのかも知れないが、それよりも、
「自分のことが、少しでも分かってきた」
 と言えばいいのだろうと思うのだった。
 ただ、中学生の頃に、一度、
「彼女がほしい」
 と思う時期があった。
 それは、たぶん、他の男子が考えている、
「思春期における、普通の異性への感情」
 とは少し違っていたように思う。
 というのは、中学時代の自分は、結構思春期に入るまでが遅れていて、中学3年生になって、やっと、異性への興味のようなものが生まれたのだった。
 しかも、その感情は、
「友達に彼女ができたことが羨ましい:
 というもので、自分にいないということが、女の子の気持ちや態度というよりも、女の子が、同級生に対して甘えてみたり、慕っている様子や、二人で嬉しそうにしているのを見ると、耐えられなくなる感情。
 そう、いわゆる、
「嫉妬」
 という感情だったのだ。
 だから、
「彼女がほしい」
 というのは、
「俺も、あの時の自分が感じたように、まわりから、
「羨ましがられたい」
 という感情が強かったのだ。
 だから、
「女の子から、ちやほやされたい」
 あるいは、
「女の子と一緒にいることを、楽しいと思いたい」
 という感情を持ったとしても、結局最後は、
「まわりの男子から羨ましがられたい」
 という感情に行き着くのであった。
 確かにちやほやされたいという気持ちはあるのだが、それも、
「ちやほやされている自分をまわりにひけらかしたい」
 という思いだった。
 子供の頃、金持ちの坊ちゃんを友達の一人に選んだために、まわりの皆と同様に、
「お父さんから、こんなに高価なおもちゃを買ってもらったんだ」
 といって、威張っているやつを羨ましく思っていたが、考えてみれば、そいつが、ひけらかしたいのは、おもちゃではなく、自分が親からいろいろ買ってもらえる立場にあることで、皆から、
「ちくしょう、羨ましい」
 という、嫉妬や妬みを感じたいというのが本音なのだろう。
 知らず知らずにその思いが身についていて、
「今度は俺が、あの立場になりたい」
 と思うようになっていた。
 しかし、それとは裏腹に、
「偉いのはあいつじゃなくて親じゃないか。そんな親のところに生まれたから、いい思いができるんだ」
 ということをひけらかしているだけだ。
 だから、マサムネには、どうしてそいつがひけらかしたい思いになるのか分からなかった。
 分かることとしては、
「俺はあんなやつにはならない」
 ということであり、だから考えているのは
「俺は、他の人と同じでは嫌だ」
 と感じることだった。
 皆と同じように、歯ぎしりして悔しがるのは、何とも惨めなことだと分かっている。
 しかし、その友達だって、自慢をしている時、何か、あまり気持ちのいい顔をしなくなってきたのが分かっていたのだ。
「ひょっとすると、これが親の七光りであって、自分の力でも何でもないという当たり前のことに気づいたのではないか?」
 という思いだった。
 考えてみれば、思春期と同じ時期に存在し。同一視されているものの中に、
「反抗期」
 というものがある。
 親や大人に逆らい、自分が大人になりつつあるということを、知らしめたいという気持ちだ。
「いつまでも、子ども扱いするんじゃない」
 という感情の表れが、反抗期に繋がるのだ。
 だから、思春期の頃に反抗期のなかった子供や、その親は、
「親離れ、子離れ」
 それぞれできていないということになるだろう。
 それを思うと、反抗期のない子供は、ある意味。
「可愛そうだ」
 と言えるだろう。
 だが、マサムネは、その時期、反抗期と一緒に、
「他の人と同じでは嫌だ」
 という感情に陥っていたのだ。
 それを感じていると、
「金持ちの子供のあの時の気持ちが、分かるような気がしてくる」
 と思うのだった。
 フリーで入った女の子は、正直、
「地雷」
 のレベルだった。
作品名:風俗の果て 作家名:森本晃次