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風俗の果て

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「相手だって人間なんだから、最高のサービスを受けたいと思えば、ちゃんとルールを守らないとね。なかなか皆自分からいうキャストもいないだろうし、もし、相手がちゃんとわかっていれば、それをいうというのは、失礼なことでしょう? お互いに気分が悪いと、せっかくの貴重な時間とお金がもったいない。風俗は遊びなのよ。そしてプレイなのよ。スポーツのようなプレーだってあるでしょう? ルールだけではない。最低限守らなければいけないマナーやモラルというものがね。風俗にもそれはあるんだと思っていただければ、それでいいの」
 というのだった。
 彼女のことを思い出していると、2回目に遭ったこの女性は、いかにも自分が想像している風俗嬢とは違っていた。最初の感覚として、
「どこか事務的で、なるほどだからフリーだったのか?」
 と感じさせるに十分だったのだ。

                 フリー

 その女の子は、スリムだった。しかも、抱きしめると、骨がポキポキと折れてしまうのではないかと思うほどの華奢な感じで、まるで、
「こわれもの。取扱注意」
 とでも、どこかに書いてあるかのようだった。
「そういえば、最初に相手をしてくれた人が、女の子を乱暴に扱ってはいけないと言っていたが、ここまで華奢な子だったら、どう扱っていいのか分からない」
 と思った。
 その女の子は、無口なタイプだった。おとなしいのはいいのだが、ここまで何も言わないと、客側が気を遣うことになる。
「こんなのっておかしいだろう」
 と思った。
 そこで感じたのが、
「俺がおとなしいことが好きだと思ったのは、あくまでも、この俺に従順で、慕ってくれる女性がいいからなのであって、俺のことを何とも思っていないだけの静かなやつは、正直、これ以上いたくないくらいだ」
 と、心の中で叫びたかった。
「貧乏くじを引いたな」
 という思いだった。
 正直、フリーだったので、最短の40分コースでよかったと思った。それ以上一緒にいると、息苦しく、何が親といって、
「ソープを嫌いになることが嫌」
 だったのだ。
 きっとこの後、ソープが自分の癒しになり、気分転換の役目をはたしてくれるということを思えば、何も風俗通いが悪いことだとは思わない。
 確かに、高校生くらいの頃までは、
「風俗に通って何が面白いんだ。彼女もできないやつが、性欲を晴らすために、お金を払っていくところじゃないか?」
 と、毛嫌いをしていた。
 別に、本当に嫌いだったわけではない。そう思うことで、自分が、正当性のある人間なんだと感じたかったのだ。
 中学時代の思春期真っただ中の時に、まわりがエロ本や、エロDVDを見ていても、知らんふりをしていたが、心の中では、
「俺はそんなことで発散させるようなことはしない」
 と思っていたのだ。
 なぜなら、思春期には、自分の気持ちをしっかりしていなければ、まわりのように好奇心に負けて、皆同じような、
「色狂い」
 になってしまう。
 という、優等生的な管変え方を持っていたのだった。
「色狂い」
 とまでは言い過ぎであるが、自分という人間が分からずに、戸惑っていると、ついつい自分を正当化させる何かがほしくなるというものだ。
 それが、
「性欲に乱された風紀に、この俺が交わらないということが、思春期においての自分の正当性なんだ」
 と思うようになったのだ。
 性欲というのが、どういうものなのか、中学時代は分からなかった。皆がエロ本やエロビデオなどを見て、興奮しているが何がそんなに興奮する材料なのか分からないのだ。
 確かに、自慰行為は、小学生の頃からしていた。
「ムズムズするんだからしょうがない」
 というのが、その時の正当性だったが、それでは正当性としては甘いと思っていた。
 しかし、実際はそうではない。正当性を求めているのは自分だけではなく、皆が求めている。ただ、その行き先が違っているだけのことであって、マサムネは、
「俺は色狂いにはならないんだ」
 という、優等生的な方に、舵を切ったのだ。
 実はそっちの方が、
「楽だと思った」
 からだったのだ。
 だが、思春期の頃に優等生ぶっていると、まわりからつまはじきにされるようだ。つるんでいるのは、一見不良に見える連中で、一見おとなしく、優等生っぽい連中が、つるんでいたり、一緒にいるところを見たことがないし、聴いたこともなかった。
 図書館で勉強していても、確かに図書館では、あまり騒いではいけないので、声を出せないのは当たり前だが、挨拶すらしないのだ。
 それに比べて、他の連中は、試験前など、24時間のファミレスに行って、端の方で、5,6人の団体が屯していて、結構ワイワイとやっている。
 何を話しているのか分からないが、テーブルの上には運ばれてきたメニューやドリンクの他に、ノート教科書が、結構乱雑に置かれている。何をしているのかまでは分からないが、少なくとも、勉強の意思はあってきているようだった。
 しかし、結構騒いでいる中でも、実際に勉強している人もいる。
「よくあんな状態で勉強できるな」
 と思ったが、いろいろ聞いてみると、
「一人で静かにしていると、勉強なんて進まない」
 というのだ。
 つまりは、
「勉強なんて、かしこまってやろうとすればできないもので、騒がしくて気が散るが、それでも、しなければいけないと思えば、集中力が生まれる。それは、一人でいる時よりもまだマシなようだ」
 と感じているようで、どうやら、自分はそれまで、
「おとなしい環境の方が実力を発揮できる」
 と思っていたが、逆だったようだ。
 子供の頃、友達と勉強するというと、親から、
「どうせ、騒ぎ始めて、勉強なんてまともにできないでしょう?」
 と言われ、なかなか友達と一緒に勉強といってもさせてくれなかった。
 結局一人で家で勉強することになるのだが、一人で集中などできないタイプの人間だということをその頃は分からなかった。だから、本人は勉強しているつもりだったが、できていない。だからこそ、
「あれだけ勉強したのに、どうして成績が悪いんだ?」
 と自分を責めるようになり、
「ああ、結局俺は、バカだったんだ」
 と思わざるを得なかった。
 勉強に集中できないということが、
「静かすぎるからだ」
 と感じるようになったのは、高校生になってからだった。
 だから、無理を言って、予備校に通わせてもらった。自習室もあり、少しは勉強をしようという環境だと思ったからだ。
 確かに、一人部屋で籠って勉強していた時よりも集中できる。予備校の自習室の中には、自習室にいながら、この雰囲気に拒否反応を示している人もいて、
「これが、俺の性格なんだ」
 とさぞかし思ったことだろう。
 だが、マサムネは、一人でいるよりマシだったこともあって、何とか集中できている気がした。
 さすがに、ファミレスで屯している連中ほど騒いでいると、今度は集中できるわけはないと思うので、予備校の雰囲気は比較的、マサムネに合っていたのかも知れない。
 ただ、ある時、親から、
「今日は、お父さんもお母さんも、お出かけしなければいけないので、夕飯は、申し訳ないけど、表で食べてきて」
作品名:風俗の果て 作家名:森本晃次