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風俗の果て

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 というよりも、いちいち、そんなことを気にするということの方が、
「よほど、自分が風俗通いに偏見を持っているのではないか?」
 と感じさせることになるのだ。
 だから、変に意識しないようにした。
 自分の金を自分で使うのだから、免罪符も何もない。
 だから、まわりに、
「風俗に通っている」
 ということを、いちいち隠したりはしない。
 ただ、例の、
「世界的なパンデミック」
 の時には、当然のことながら、自重した。
「もし、誰かが他でもらってくれば、皆に移してしっまう」
 ということになるのだ。
 確かに。誰がどこで移されて、会社で広げたのかなどというのは分からない。それが伝染病というものなのだが、そのため、国が、
「動くな」
 というのであれば、おとなしくしておくしかないのだ。
 もし、会社で流行してしまうと、
「あいつは風俗に行っていた。だから、移されたのではないか?」
 という原研の目で見られることだろう。
 だが、それを抗うだけの力があるわけではない。
 何といっても、パチンコ屋の時の、
「自粛警察」
 のような連中がいて、やつらが、
「誰かを悪者にして、正義漢を振りかざそうとする」
 ということになるのだ。
 そんな連中の犠牲者になりたくはないものだ。
 そもそも、おとなしくしていれば、騒ぎが収まったところで、また通えばいいことであり、ここで、変にまわりに公表されてしまうと、自分の立場は騒ぎが収まった後もしばらくは偏見の目で見られることで、なかなか身動きが取れなくなってしまうことだろう。
 それを思うと、マサムネも、簡単に、迂闊なことはできないのだ。
 このあたりが、
「組織の中で仕事をしている人間の弱み」
 というところであろうか?
 だが、マサムネの30代に突入した頃というと、そういうことはなく、そこまで、問題のない時代だった。
 だが、ちょうど、その頃風俗街の中でちょっとした問題が起こっていた。それは、昭和30年後半と同じことが起こったといってもいい。そう、東京オリンピックがあった時のことだった。
 この街も、21世紀の2回目、
「東京オリンピック招致」
 の、国内候補としての最終段階まで残った土地であった。
 県民が実際に、どれだけ、このことを知っていたか、そして、その中での賛否がほどれほど割合であったかということは、正直分からない。
 県の関係者でも、どれだけの人間がオリンピック招致に真剣だったのかということも分からない。
 ただ、県の関係者は、建前上、
「誘致運動に賛成」
 としか言いようがなかっただろう。
 それに比べて、たぶんであるが、県民との温度差は少なからずともあったはずだ。この関係は、整備新幹線計画が実行される時と似ているのではないだろうか?
「新幹線ができる。開通する」
 というと、よく知らない人間は、
「これで便利になって、街も県も活性化するだろう」
 などというのは、何も知らない人間が考える浅はかなことだった。
 新幹線が開通するということは、どういうことなのかというと、まず言えることは、
「新幹線を開通させるために、かなりのお金が必要だ」
 ということだ。
 そしてその次に、
「そのお金をねん出するためと無駄を省くという意味で、在来線の特急を廃止する」
 というものだ。
 基本的に、新幹線と在来線は別のルートになるので、新幹線の開発は、線路面においては、
「すべて一からの開発」
 ということになる。
 なぜそうなるかというと、理由は二つであろう。
 一つは、スピードの違いである。かたや、時速100km前後で走っている在来線に、200km以上で運行する新幹線を走らせるということは、複々線でないと不可能だということである。
 もう一つの大きな理由は、
「線路の幅の違い」
 というものにある、JRの遷都は、昔の国鉄時代からの遷都を流用しているので、二本の線路幅が実に狭いのだ。高速で走る新幹線の線路幅はかなり広いので、もし走らせるとすれば、新幹線の線路幅を動かせる車輪を装備しないといけなくなる。
 そうしないと、他の地区の新幹線と乗り入れができないということになり、実に不便だからである。
 そうなると、新幹線の線路は独自のルートになる。しかも、最短距離を考えることで、どうしても、山をくりぬいて、トンネルを作るという大工事が必要で、そのために、難しい工事を、何年も掛けて行うことになる。
 そして、それらの工事を行って開通させると、かつて、特急が止まるだけの理由のあった街に、特急が止まらず、別の場所に新幹線が停まることになれば、その街は、一気に没落していくことになる。
 下手をすれば、その路線の在来線は、JRでもなくなり、第三セクターとして生まれ変わるというような、悲惨な形になり、それまでの活気のあった街は、ゴーストタウンと化すのは時間の問題だった。
 さらにである。開発には、国が金を出すことになるが、今度は開通してから、維持するのが大変である。
 当然莫大なお金がかかるわけで、そのお金はというと、新幹線が開通した街の県民が、税金として徴収されることになるのだ。
 つまり、新幹線を使おうが使わまいが、その街に新幹線が通り、駅などができてしまうと、そこからずっと値上げされた税金を払い続けなければいけないということになるのだ。
 だから、整備新幹線の計画は、思ったよりも進まないことが多く。計画ルートの半分を先に運営させて、未開発の部分だけ特急列車を残し、ピスト輸送てきなことをしなければいけなくなるのだった。
「一体、誰のための新幹線なんだ?」
 と、建設側と、住民との間で、相当な温度差があるのも分かるというものである。
 実際に新幹線などでは、ニュースになったりするので、県民だけではなく、関係のない県の人も知っていて、このあたりの話は、全国的に知られていることだろう。
 最初は、
「対岸の火事」
 であっても、いつ、自分たちの街も同じことになるか分からない」
 ということで、県民も、
「その時は断固として戦う」
 と考えている人も多いだろう。
 計画がある時点で、まだ、着工もされていない区間の住民も、すでに水面下で、
「整備新幹線開業素子のための組織(仮)」
 というようなものを作って、密かに活動しているに違いない。
 計画が開始され、そのままなし崩しに、運用が始まってしまえば、もうどうすることもできないのだ。
 それを、
「既成事実」
 というのだろう。
「できてしまっては、仕方がない」
 ということになるのだ。
 この新幹線のような理不尽な計画。
 いや、もっと理由にならないような、いかにも、
「絵に描いた餅」
 を、県の首脳陣が描いたことで、一つの産業が、そしてそこに携わっているいくつかの街が崩壊し、それに足す触っている人々が、職を失うというひどい目に遭っているということを、それだけの人が知っているだろうか?
 これは、
「理不尽といえば、あまりにも理不尽だ」
 といってもいいだろう。
 しかも、すべてが、県の体面であり、世界的な行事を行ううえで、
「諸外国に恥ずかしくない」
 という意味での発想だった。
作品名:風俗の果て 作家名:森本晃次