風俗の果て
と思えるほど、マサムネは、女性に対して敏いタイプではなかったのだ。
それが、それまで彼女を持ったことがあまりなかったという証拠だといってもいいかも知れない。
そんなことを考えていると、
「彼女というものがどういうものなのか、少し分からなくなってきた」
と思った。
確かにその女性は、肉体的な魅力は十分だったが、そのあざとさは、
「ひょっとすると、その肉体に魅了されているからなのかも知れない」
と感じた。
すると、急にそれまでの気持ちが少しずつ萎えてくるのを感じたからだ。
それは、自分が、風俗経験が豊富だからだといってもいいだろう。
肉体にあざとさが感じられると、
「意外と普通の恋愛の方が、計算高くて、どうにも嫌な感じがするな」
と思った。
確かに風俗というと、
「お金での繋がり」
と感じるのだが、身体を重ねている時は、本当に幸せな気持ちになれるのだった。
それまでに付き合ったことがある女性で、抱いた女性も数人いるが、今から思えば、どこかに打算的なところがあり、別れたからといって、ちょっとした寂しさはあったが、それは、
「今までそばにいた人がいないだけだ」
というだけのことであり、ショックを受けるような別れ方ではなかったのだ。
それを思うと、
「何かアッサリした関係でしかなかったのだろうか?」
と、感じるのだった、
それにくらべて、風俗の女性との逢瀬は、正直夢のようだった。
確かにお金がかかっているというのもあるのだが、こちらが望むことを言ってくれたり、してくれる。自分が望んでいること、つまり、
「痒いところに手が届く」
ということだ。
痒いところに手が届くというほど、ありがたいことはない。それが自分の手ではなく、他の人、特に女性だったら最高ではないか? そう思えば、お金が何だというのだ。
例えば、毎日が忙しい人がいて、
「その人は一分一秒でも無駄にしたくない」
と考えていたとしよう。
その時、
「タクシーを使えば、3000円かかるが、電車を使えば、一時間遅くなる」
と考えたとしよう。
普通だったら、
「3000円もかかるのなら、一時間くらいかかってもいい」
と思うだろう。
だが、その人は、一分一秒がもったいないのだ。
「お金を払ってでも、時間を買いたい」
と思っているとするならば、
「3000円くらいもったいなくもない」
と思うだろう。
それは、その後の時間にも影響してくるからだ。
その時の一時間だけではなく、その後のスケジュールをすべて、1時間前倒しにできるのだから、それを考えれば、
「1万円だって惜しくない」
と思うかも知れない。
「時は金なり」
というが、まさにその通り、
「お金と時のどっちがその人にとって大切なのか?」
ということだ。
それを考えれば、ソープも同じではないか?
時間の代わりに、ストレスや、精神的な癒しを求めるという意味で、お金を払うことの何が問題だというのだ?
いや、このことを問題だと思っていること自体が問題なのではないか?
というのも、どうしても、風俗というと、まわりに大きな声で、
「俺は風俗に通っている」
とは言いにくい。
なぜなのかと考えればいろいろ理由はあるだろうが、一番考えられるのは、
「彼女でも作ればいいのに、彼女も作れないから、寂しく風俗に行くしかないんだ。可哀そうなやつだ」
と、まわりから思われるのが嫌だという考えだ。
しかし、マサムネにそれはない。
「彼女が変にいて、その人だけに束縛されることを思えば、風俗で気になった女の子を選んでいる方が、いいじゃないか?」
と思うのだ。
それは、どこか心の中で、
「相手を一人に絞ってしまうと、身体に飽きてきた時、どうすればいいのか、想像がつかない」
と思っているからだった。
「なるほど、彼女を作るというのは、肉体関係だけではないということであれば、確かに、彼女がいれば、風俗に通う必要などない」
といえるだろう。
しかし、身体に飽きてくると、どうしても、刺激を求めて、
「誰か他の女の子を」
と思ってしまう。
その時、別の彼女ということになると、それは浮気ということになる。考え方はいろいろだが、
「相手が風俗であれば、浮気ではない」
と思う人もいるだろうし、
「私という者がありながら、わざわざお金を払ってまで、風俗に行くというのが許せない」
として、オンナとしてのプライドが許さないと考える女性もいるだろう。
結婚していても、風俗遊びがやめられない人もいる。
逆に女性の中にも、ホストクラブに嵌ってしまい、ホストの口車に乗って、湯水のように金を使い、結局、借金まみれになって、
「自分が風俗で働いて、ホストに貢ぐ」
という人もいたりするという話を聞いたことがあった。
どこまでが、本当なのか分からないが、話としては信憑性があるというものだ。
確かに、世の中にはいろいろな人がいる、相手に拘束されたり、拘束することに快感を覚える人もいれば、
「俺は自由を楽しめればそれでいい」
と思っている人もいる。
だから、
「俺は彼女なんて、煩わしいものはいらないから、お金を出してでも、快感を得ることができるのであれば、それでいい」
と感じている人だって、結構たくさんいるかも知れない。
人に束縛されることを嫌う人がたくさんいる。それは、相手が異性であっても同じだ。
いや、相手が異性だからこそ、束縛に余計に神経質になるのかも知れない。
そもそも、異性というものをどのように考えているのかというと、
「精神的なものと、肉体的なものを、切り離して考えたいと思っているけど、それがなかなかできない相手」
といってもいいのではないだろうか?
相手もきっと似たようなことを思っているだろう。時に、彼氏彼女だと思うと、相手との距離が友達よりも近く、夫婦よりも少しある関係だと思っていることだろう。
特に、年齢的に、結婚適齢期と、かつて言われていた年齢ともなると、結婚を一度は真剣に考えてみるものであろう。
ただ、最近は、結婚する人もあまりおらず、そのくせ、離婚は非常に多い。
まるで、
「結婚する人よりも離婚する人の方が多い」
と考えるようになると、
「結婚もしていないのに、離婚なんてありえるんだろうか?」
と、不思議な感覚に陥ってしまうような気がしてくる。
特に、結婚を考えた時、昔はドラマなどでの憧れから、結婚式の様子が出てくると、
「ああ、結婚に憧れる」
と女性は感じたものだったが、最近のドラマなどでは、年齢を重ねても、結婚できない人や、結婚しない人の話題が結構あり、それを葛藤として描いているようには見えるが、実際には、視聴者に対して、
「結婚しないで一人でいるのって、本当に寂しい」
という気持ちにさせるわけではなかった。
どちらかというと、
「こんな煩わしい感情や態度を取らないと、結婚できないなんて、面倒臭いだけだ」
と思わせるだけではないか?