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風俗の果て

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「せめて、お気に入りの子の中にいるお客の中で、特別な存在だと思ってくれればそれでいいと思っている」
 と感じているのだった。
 ここでいう特別というのは、
「大切」
 という言葉よりも、はるかに距離が近いものだと思っている。
「女の子が大切だと思っているのは、客皆に対して出ある。ある一人の人に思い入れが深ければ別だが、そうでなければ、どんぐりの背比べと同じで、誰か一人が大切なら、皆同じくらいに大切だといっていい」
 と思う。
 しかし、特別は違う。
「皆が大切」
 という中で特別な存在ということは、
「彼女が、自分のことだけを考えてくれる時間がある」
 ということだろう。
 そうでもなければ、誰かを思うと、皆を意識するのと同じことになってしまうからだった。
 30歳くらいまでは、毎月通っていたような気がする。
 しかし、30歳を過ぎると、今度は少し間を置くようになった。
 仕事が若干忙しくなったというのもあるが、自分の中で、
「30歳を過ぎるとあっという間だ」
 というのを、20代後半から聞かされて、
「そうなんだろうな?」
 という意識がある中で、実際にその年代になると、
「まさにそうだった」
 と感じるからだ。
 だから、1カ月に一度の割合で通っていると、まるで、
「一週間に一回」
 という感覚に近い者になる。
 別にお金をそんなに使っているわけでもないのに、そんなに頻繁に行くと、却って疲れる気がしたのだ。
「一か月に一度くらいだから、ちょうどいいんだよな?」
 と感じていた。
 彼女ができると、
「毎日でも抱いていたい」
 という気持ちになるのだろうが、それも、
「20代くらいまでだ」
 ということが分かってきた。
 20代前半くらいまでは、大学時代を含めて、
「彼女がほしい」
 と思っていた。
 それは、
「彼女として付き合っていく」
 という、恋人としての関係と、
「性欲を解消してもらう」
 という、オンナとしての対象で見ていたのだ。
 いくら、格好つけたとしても、結局性欲に勝てるわけはない。
「身体が目的ではない」
 という言い方は正しくない。
「身体だけが目的ではあい」
 という方がよほど理にかなった回答ではないだろうか?
 大学時代は、なかなか彼女ができなかった。友達にはなるのだが、それ以上が進まない。いわゆる、
「友達以上には思えない」
 という言い訳のような言葉で玉砕するだけだった。
 どちらかというと、いつも、
「玉砕覚悟」
 の方だった。
 本当なら、
「告白さえしなければ、このまま友達関係を続けられて、いずれは恋人になれるかも知れない」
 と思うのだろうが、それでは自分が許せなかった。
 ある程度一緒にいて、そこから進展しないということは、
「時間を無駄に使っている」
 と感じるのだ。
 もし、ダメなら次に行くというくらいの潔さがなければ、それは、時間のムダだと感じるようになったのだ。
 だが、それは、少し究極の思いといってもいいだろう。ただ、それだけ時間というものに執着があるのか、それとも、恋愛というものに淡白だといっていいのだろうか?
 20代の頃は、
「淡白だなんて、ありえない」
 と思っていたが、30代になると、
「淡白も十分にありえる」
 と思うようになった。
 それが、時間が経つスピードが本当に違うということを、30代になって身に染みて感じるようになったからだ。
「まさか、俺は、そのことを20代の頃から分かっていたということなのか?」
 と思った。
 20代の自分に予知能力があるのか、それとも、その予知能力というものが、30代になると、自分で分かってくるということを、予感していたということなのか、そのあたりを感じているのだった。
 30代になったら、
「結婚を考えるだろう」
 と思っていたのだったが、まったくそんな気持ちにはならなかった。
 結婚したいと思うような女が現れるわけでもないし、身体の性欲の問題であれば、
「風俗で十分だ」
 と感じていたからだ。
 その頃になると、風俗も2か月に一度、長い時は、半年も行かないこともあったくらいだ。
 それは、20代から30代になって、自分が、
「30代になったんだ」
 とハッキリわかることだった。
 というのも、30代になってから、時間が経つのがあっという間だと思うようになると、2カ月に一度が、まるで1か月に一度というくらいの気持ちになるのだった。
 それが、
「先に精神的なものが年を取り、その後で肉体がついてきた」
 と感じた証拠だったのだ。
 本当なら逆なのかも知れない。
「前は平気でできていたことができなくなった。年を取ってきたからかな?」
 と感じるというのを、よく聞いたものだった。
 そういう意味で、
「先に肉体、そして、精神的に自覚してくる」
 というものだろうと思っていたが、逆だった。
 これが、性欲に対してのことだけなのか、それともそれ以外の体力的なこともすべてなのか、そこまでは自分でもよく分からなかった。
 だからなのかも知れないが、
「風俗に前のように1か月に一度の割合で言っていると、今度は、身体の感覚がマヒしてきて、せっかくの楽しみが半減してしまうかも知れない」
 と感じるのだった。
 確かに風俗というものを、上から見ると、他の肉体的なことと同じでなければ辻褄が合わないと感じ、
「性欲だけではない、身体全体に言えることだ」
 と感じるかも知れないが、自分が風俗を上から見ているという気はしない。
 というのは、上から見ているというのは、
「風俗というのは、恥ずかしいものだ」
 ということで、
「本当は行ってみたいが、まわりの目を気にしてしまって、いけなくなるというような感覚に陥るのではないか?」
 という目で見る、普通の人の感覚なのかも知れない。
 しかし、実際に、自分から風俗というものに飛び込み、その楽しさや、今まで知らなかった世界を知るという喜びを考えると、
「絶対に上から見ているというようなことはない。少なくとも、風俗という海の中に飛び込んでいる」
 という感覚だということに気づいていたのだ。
 そういう意味で考えると、
「やはり30代に変わったと思うのは、性欲に関してのことだけではないだろうか?」
 と感じたのだ。
 そもそも、
「性欲が出てくれば、風俗に行く方がいい」
 と思うようになったのは、20代後半に入った頃だっただろうか? 会社で好きになった女性がいたことから始まった。
 その子は、どこか、マサムネのことを意識しているように感じられた。元々、女の態度に疎かったマサムネが分かるくらいだから、きっとまわりの人もピンと来ていたことだろう。
 本人であるマサムネがピンと来ていなかったというのは、まわりは意外だったようだが、それも、今までのマサムネの特徴だったのだ。
 マサムネが、その子のことを意識し始めると、その子は今度は、他の同僚を意識し始めたかのようだった。
 それが、最初からそうだったのか、マサムネが彼女を意識するようになったから分かったのか、自分ではよく分からなかった。
 しかし、その彼女の様子を、
「あざとい」
作品名:風俗の果て 作家名:森本晃次