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風俗の果て

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 と言われている、県またぎの移動をして、それで開店前から並んだ客が、近所に迷惑を掛けたり、もっといえば、
「そんな連中を追いかけて、近所の人に取材をしたりするマスゴミが、そんな連中を煽ったのではないだろうか?」
 そして、自治体が、パチンコ屋の名前を公示しようとしても、
「ここで開示してしまうと、世間に、あそこのパチンコ屋はやっていると宣伝してしまうことになり、また客やマスコミを煽ることにならないか?」
 ということで、開示を控えたりするという事態に陥ったのだ。
 そのうちに、自粛も解除され、何事もなかったかのように世間は動きだす。
 自粛警察も、パチンコ屋が攻撃されたことも、県をまたいで開いてるパチンコ屋にどんどん人が押し寄せたことも、終わってみれば、もう過去の話。誰も、その時のことを検証したりはしないのだ。
 本当であれば、
「あの時どうしてこのようなことになったのか?」
 というのを、宣言を出した自治体や国が検証しないと、また同じような事態になった時、今度は他の業種が攻撃されるかも知れない。
「あれは社会現象というだけではなく、半分は犯罪だったんだ」
 という意識が、誰にもないのだろう。
 それを思うと、
「自粛警察というのが何だったのか?」
 ということが分からず。
「パンデミック」
 であったり、
「クラスター」
 などと言った、その時のただの流行語として、完全に過去のこととして忘れ去られてしまうのではないかと思えるのだ。
「本当に忘れ去られていいのだろうか?」
 少なくとも、パチンコ屋にハイエナのごとく押し寄せた、
「ギャンブル依存症」
 の人間がいるわけだし、それだけではなく、
「それを、仕事という免罪符で煽った」
 という意味での犯罪として、マスゴミは、
「糾弾されるべきではないのだろうか?」
 といえるのではないか?
 そんなことを考えていると、
「受動喫煙防止法」
 と、
「世界的なパンデミック」
 は、実に強烈にパチンコ屋を追い詰めたことになる。
 それでも、昔のパチンコ業界も、右往左往して、いろいろな策を考えていた。「1パチ」、「五スロ」などという発想も、そこから来たのだろう。
 風俗業界もそうかも知れない。価格帯から来たのか、それともサービス内容によって、店の落差を示したのかなのである。
 それだけ、
「客のニーズが多様化した」
 ということもあるだろう、
 そもそも、風俗の歴史は古く、遊郭から始まったといってもいい。元々は幕府の許可を得てやっていたのだろう。江戸時代などは、もぐりで商売などできない時代だったのではないだろうか?
 それが、次第に、遊郭も形を変えていき、時代によっては、
「食いぶちのために、身売り先としての遊郭だった時代もあった。
 戦後になると、
「高級なお風呂」
 という意味での、
「トルコ石などを使った」
 ということで、
「トルコ風呂」
 が出現した。
 トルコ風呂のサービスは、元々、垢すりなどの蒸し風呂だったという。それが、赤線青線の廃止という、
「売春防止法」
 が制定されたことで、青線赤線の失業した女性たちを救済するという意味で、トルコ風呂と、性風俗が一緒になったのが、元々だったのだ。そしてそのうちに、川崎の嬢が、身体に泡を縫って相手の身体と密着させるというサービスを編み出した。それにより、
「トルコ風呂」
 の時代がやってきたのだった。
 しかし、それも、そんなに長くはなかった。昭和の終わり頃になって、あるトルコ人の留学生が、
「自国の名前を模した性風俗店がある」
 ということで訴えると、社会問題になった。
 それで、
「トルコ風呂」
 という名前を使わないということで結審し、今の、ソープランド、いわゆる、
「特殊浴場」
 と呼ばれるものが出現したのだ。
 そして、
「特殊浴場」
 という言葉を使うことで、サウナ風呂のようなものという法律的な位置づけになった。だから、昔のソープには。浴室の中に、
「個室サウナ」
 のようなものが設置されていたのだ。
 それがなければ、営業できないということである。
 今は、そういうものが亡くなったが、どうしても、時代にはいろいろな流れがあるので、ソープランドができてから、40年近くになるが、その間には、いろいろなことがあっただろう。
 最初は、皆高級店だった。
「ソープ嬢は、マットができて当たり前」
 という時代があったが、そのうちに、価格体験の多様化で、格安店、大衆店では、必ずしも、マットの技術を必要としないようになった。
 それところか、
「素人っぽさがある方が新鮮でいい」
 という客もいて、
「店に入店前は未経験」
 という子が、結構人気があったりするものだ。
 確かに、プロの技を楽しみに行くというのも、男の醍醐味なのかも知れないが、普段は味わえないような、恋人気分、イチャイチャする気分を味わいたいという客もいる。
 要するに、
「本当に素人の女の子とでは、会話もできないし、普通につき合う自信がない」
 という男が増えてきたということだろう。
 つまり、高級店というのは、昔からある、
「マットなどの技を中心にした、徹底的なサービスを駆使したお店」
 ということであり、激安店は、本当に、短い時間で、ことが淡々と行われるので、
「会話などしている暇はない」
 というような、そう、ちょうど、会社に行く前などに、ちょっとストレス発散で出向くという目的などで行く人もいるので、
「早朝サービス」
 などという、開業時間ギリギリの午前6時開店というお店が結構あったりする。
 そういうお店は、ただでさえ安いのに、早朝料金にすることで、早朝の固定客を狙っているのだろう。値段としては破格で、本番なしのヘルス並みのところもあるくらいだった、
 では、
「大衆店というのは、どういうものなのか?」
 ということになるのだが、こちらが、ここ20年くらいで出てきたといってもいいのだろうが、ざっくりいうと、
「激安店と、高級店の間」
 ということになる。
「そんなの分かり切っていることだ」
 ときっというかも知れないが、
「では具体的にはどういうことなんだ?」
 と聞かれて、どこまでこたえられるだろう?
 大衆店というのは、
「高級店ほどの値段は取れないので、マットなどのサービスを受けることはできない。しかし、その分、お店ごとにいろいろなコンセプトを設けているのだ。例えば、コスプレ専門店、素人専門店、などといった専門店というコンセプトや、お部屋自体をイメージプレイができるように改装し、学校の雰囲気や、ナース、会社の事務所風にアレンジした店もあったりする。いわゆる、イメクラと呼ばれるようなお店だといってもいいだろう」
 というものだった。
 つまりは、
「それだけたくさんのお店が乱立しているわけだから、何かの特徴がないと、客が固定しないだろう。そういう意味での専門店としての立ち位置と、イメージプレイで、それをさらに具現化するというのが、目的である」
 といえる。
 そして、客側からすれば、
作品名:風俗の果て 作家名:森本晃次