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多元的二重人格の話

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 そこで神は人間に対してバツを与えるため、人々から共通の言葉を奪い、誰一人として、何を喋っているか分からなくなった。
 そのために、人々は疑心暗鬼になり、仕事を放りだして、全世界に散らばっていったというのが、大まかな話である。
「神にたてつく行動をとるとどうなるか?」
 あるいは、
「世界にさまざまな人種、言語が存在していることの意味を、この話で解いている」
 ということになるのだろう。
 そもそも、バベルの塔と、何の目的で作ろうとしたのかも分からない。
 飛躍した考えであれば、そのはるか昔に起こった、
「ノアの箱舟を思い出し、洪水になっても、陸の部分が存在するような巨大な塔を作ろうとしたという考えは、果たしてどうなのだろう?」
 一つの疑問が、考え始めると止まらなくなるのも、
「無限の可能性」
 といえるのではないだろうか?

                 多元理論

 そんな無限の可能性をいうものを、ロボット開発が秘めているとすれば、タイムマシンに関してはどうだろう?
 もちろん、タイムマシンの開発にも、
「無限の可能性」
 という考えを無視することはできない。
 しかし、それ以外にもっと大切なことがあるはずであった。
 それが、
「多元理論」
 というものである。
「多次元と何が違うのか?」
 と言われると、正直、何と答えていいのか分からないが、ここにも、無限というものが入り込んできている。
 ただし、前述は、無限というものを証明するものであったが、今回は、無限というものが証明するという意味で少し違っているといってもいいだろう。
 実際は、前述も決して証明できたわけではないが、
「無限というものが存在しなければ、説明がつかない」
 という意味での証明だったといえよう。
 しかしこれは、
「無限が証明するという意味では、同じ発想ではあるのだが、微妙に違うのは、無限という言葉と似てはいるが、違うものを証明しなければいけない」
 ということである。
 無限というものを、漠然と、
「限りがないもの」
 として捉えると、
「無限に対して四則演算氏を使うと、説明しにくい」
 ということになる。
 あくまでも、漠然としているからだ。
 しかし、その無限をいくつかに分けてみるとどうだろう。
 まるで、
「フレーム問題」
 のように、フレーム化するわけだ。
 ロボット開発では、
「無限を何で割っても無限にしかならない」
 ということで、それ以上の発想は生まれなかったが、逆に、ここに、宇宙であったり、時間という、
「マルチバース」
 のようなものを考えればどうだろう。
 世間では、
「一次元から、三次元までは確実に存在し、可視化もできるわけだが、四次元というと可視化などできるわけはない。
 あくらでも理論上の問題であって、その理論が、
「無限というものは、無限に存在するから無限なのだ」
 ということで、1というものが一つしかなく、5というものも一つしかない。これは、数列が規則正しく並んでいるのだから、当たり前のことだ。
 だが、無限というものに、限界がないのだとすれば、無限が無限にあるという、まるで禅問答をしていうような考え方になるのであった。
 今度はタイムマシンの考え方に移ってみるが、タイムマシンで問題になるのは、まず誰もが思い浮かべるであろう、
「タイムパラドックス」
 の問題である。
 これは、例えば、過去に行って、自分が生まれるはずのものを断ち切ってしまったとしよう。
 すると、三段論法の発想になるのだが、
「自分が生まれるというきっかけを断ち切ってしまったことで、自分が生まれなくなる。だから、自分がタイムマシンで、過去に来ることはない。そうなると、、自分が生まれるきっかけを断ち切ることはできない。そうなると、自分が生まれてしまう」
 ということになるだろう。
 だったら、今度は自分が生まれてしまうところから話を初めて、
「自分が成長し、タイムマシンに乗り、そして、過去にやってくる。そして、過去で生まれてくる運命を断ち切る」
 ということになって。結局、どこで運命を切ったとしても、矛盾が何度も繰り返されるだけで、時間が輪廻してくるわけではない。
 これが一種の
「タイムパラドックス」
 というもので、考え方によっては。
「メビウスの輪」
 に似たところがあるだろう。
 そして、さらに、この発想は、
「三すくみ」
 という発想とも、結びついてくる。
 このような輪廻の発想は、食物連鎖にも言えることだ。そして食物連鎖の発想としてたとえに出されるのが、
「ヘビ、カエル、ナメクジ」
 の三すくみの関係ではないだろうか?
 それぞれがうまく噛み合っていて、抑止力を保っているから、食物連鎖は保たれている。しかし、その一角が崩れてしまうと、つまりは、どれかが全滅したり、突然変異を起こし、ヘビがナメクジに強くなったとすれば、ナメクジばかりが弱者となり、結局カエルはヘビに弱いわけなので。ヘビの一人勝ちである。
 しかし、それまで利いていた抑止が利かなくなると、ヘビだけが残って。カエルとナメクジは全滅する。
 だが、ヘビも餌がないわけで、結局、飢え死にしてしまうということになるのだ。
 人間は、その理屈を分かっているが、動物には分からないだろう。
「どうして餌がないんだ?」
 と、散々自分たちが食い荒らしてきたことが原因なのに、気付かないのだ。
 それを思うと、三すくみというのは、実によくできていて、食物連鎖の基礎をなしているといっても過言ではないだろう。
 タイムパラドックスにも、三すくみに似た発想があるのかも知れない。
 だから、異次元や一度通り過ぎてきた時間をさかのぼることはできないということで、何とか抑止になってきたのだが、人間は、このような三すくみを解決するためには、
「何か他に、タイムパラドックスを証明するものがないといけない」
 と言えるのではないだろうか。
 それが、
「マルチバース理論」
 というものだ。
 マルチバース理論」
 というのは、
「宇宙は、一つの一番大きな単位だ」
 と言われていたものが、
「実は、次元を超えるのか、時空を超えてなのか、まったく違ってはいるのだが、はた目から見ると、まったく同じにしか見えないというような宇宙が、無限にあるのではないか?」
 と言われるものが、マルチバース理論である。
 これが、今まで、
「証明が無理なのではないか?」
 と言われていたタイムパラドックスの照明に使えるというのだ。
 ただ、ここで、いきなり、
「マルチバース理論」
 に入る前に、もう一つ考えられているものに、
「パラレルワールド」
 というものがある。
 それは、
「現実と思われるこの世界とは別に、もう一つの現実の世界が存在している」
 というものであり、これこそが、
「タイムパラドックスの解決案」
 であり、
「ジキルとハイド」
 の小説を考える、出発点だったといえるのではないだろうか。
 パラれリワールドの世界を考えていると、いわゆる、
「タイムパラドックス」
作品名:多元的二重人格の話 作家名:森本晃次