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多元的二重人格の話

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「自分がいるために、表に出れないことで、ストレスが溜まり、恨みを持っているに違いない」
 としか思えなかった。
 だったら、
「そのもう一人の自分を呼び出せばどうなるのだろう?」
 という考えが浮かんでくる。
 しかし、実際に、呼び出せるわけもない。
「今まで自分と同じようなことを考えた人が、それぞれの時代に一人くらいはいるはずなので、その人たちができなかったことを、自分ができるはずがない」
 と思っていたのだとすれば、どこで、ハイド氏を呼び出す薬を作るきっかけになったのかということである。
 逆に考えると、
「ハイド氏を呼び出したいがために、科学者になった」
 といってもいいだろう。
 どうしても、ハイド氏を呼び出したいと思うようになり、そのうちに、呼び出すと結末は、分かっていたということになるのだろうが、もうそこまでくると抑えることができなくなった。
 おそらく、自分の中にいるハイド氏の力が及んできて、もうジキル博士には抗う力はなかったのかも知れない。
 元々は同じ人間、力も均衡しているといってもいいだろう。抑えようと力を入れているハイド氏、だが、心の中では、どうして遠慮があるのか、力が入らないジキル博士。ハイド氏の正体を掴むことなどできるはずもないのだ。
 それだけはハイド氏も必至であり、
「ジキル博士が一番のダメージを受けるのは、自分の力で、ハイド氏を呼び出すということに他ならない」
 ということである。
 ジキル博士にとって、ハイド氏、ハイド氏にとってジキル博士、力の均衡は最初から目に見えていたのだ。
 そんな二人にとって、特にジキル博士の立場からということになるが、たぶん、ある時から、ハイド氏の行動パターンや、考え方が分かったのではないかと思うのだ。
 たとえば、二重人格性というのも、
「自分にないところを持っている」
 あるいは、
「自分が考えていないことを、強く考えている」
 などという、自分と正反対を考えればいいのだ。
 しかし、考えていないことを考えることは難しく、できるとすれば、相手と正反対のことを考えることしかできないのだ。
 相手が考えていることを普通はなかなか見抜くことはできないが、案外自分と正反対というのも難しいものだ。
 自分が何を考えているかということを、絶えず考えていて、そして、心境の変化などにも自分なりについていけるかどうかを考えなければいけないだろう。
 それを思うと、ジキル博士がハイド氏の心境を分かったというのは、それだけジキル博士は、事故分で気を日ごろからしていたということだろう。
 逆にだからこそ、他の人には、もう一人の自分がいても、その存在になかなか気づかないといってもいいのではないだろうか?
 どの人にも必ず、もう一人の自分が隠れているとは限らないが、可能性からすれば、
「ほぼ全員だ」
 と思っていいのだろうと感じるのだ。
 それを考えると、ジキル博士とハイド氏は、おたがいの中にある、
「心の葛藤」
 が、お互いに、相手を意識させるに至るのだろう。
 だからこそ、相手の気持ちや行動パターンが分かるのだろう。
 嫉妬であったり、引き合っているという、正反対の性格との矛盾。そんなものがあるのではないだろうか。
 嫉妬という感情は、結構厄介だ。
 しかも、その厄介な嫉妬の塊が、ハイド氏だというわけだ。
 ハイド氏から嫉妬を取ってしまったら、何が残るというのか?
 それを考えると、ハイド氏に対して、分からないことも結構あるのかも知れない。
 そのうち、
「ハイド氏を抹殺しなければいけない」
 と真剣に考えるようになった。
 そもそも、ハイド氏の存在を知っていて、その存在に危険視もしていた。だが、それを抹殺しなければいけないとまで思ったのは、
「ハイド氏を引っ張り出したい」
 と思った時からではないだろうか?
 そうでも思わないと、何も、無理にハイド氏を引っ張り出す必要などないのだ。
 それでもハイド氏を引っ張り出すというのは、危険なことであるのは分かっている。当然ハイド氏は、自分を意識し、自分を陥れるほうで動くというのは、最初から分かり切っていることだ。
 ジキル博士にはそこまで非常になることができない自分を感じる。それが、
「普通の人間」
 つまり、表に出ている人間なのだと思った。
 だから、ハイド氏は、
「ひょっとすると、表に出てこれないのではないか?」
 と感じたが、そうでもないようだった。
 ハイド氏は、薬の影響で表に出てきた。そして、ジキル博士の知り合いと称して、悪いことを重ねる。
 当然ジキル博士が出ていった時、自分でも分からないところで、問題が起こっているというわけだ、
 ハイド氏は、ひょっとすると、自分が抹殺されるか、自分が逆にジキル博士を抹殺するかのどちらかではないかと思っていただろう。
 もっといえば、
「やるかやられるか?」
 あるいは、
「やらなければ、やられてしまう」
 という考えを持っていたのだろう。
 それは、ジキル博士も感じていたことに違いない。
 しかし、ジキル博士は、
「ハイド氏は自分が生み出したもの」
 という背徳感があり、
「自分が死んだとしても、ハイド氏を巻き込んで死ぬ」
 というくらいの覚悟を持っているようだ。
 いつ頃から、ジキル博士が、自分の死を覚悟したのか分からない。
 しかし、ハイド氏を呼び出す薬を飲んだ瞬間から、その運命の歯車は動き始め、もう止めることなど誰にもできなくなってしまったに違いない。
 死んでしまうということを覚悟したというより、最初からあった歯車に乗っただけではないだろうか?
 ドッペルゲンガーを見た人が死を覚悟するのと同じではないかと、今では思えるのだ。
 そう考えると、
「ドッペルゲンガーというのは、自分の内面にある、正反対の性格の自分が、表に出てきたことだ」
 といえるのではないだろうか?

                 無限の可能性

 ドッペルゲンガーというのは、
「もう一人の自分」
 ということのようだ。
 あくまでも、
「もう一人の自分」
 であり、よくいう、
「世の中には三人はいると言われる、よく似た人」
 というわけではないようだ。
 しかも、ドッペルゲンガーは、自分の中にいるのではなく、別の場所に存在するという意味で、どこか、
「パラレルワールド」
 や、
「マルチバース理論」
 のようなものを感じる。
 このどちらの言葉、世界に共通したキーワードは、
「無限」
 なのではないだろうか?
「次の瞬間、無限に広がっている可能性、それがパラレルワールドなのだ。しかも、さらにその次の瞬間は、また無限に広がっている。無限の無限倍などということを理解するのは難しい。それこそ、小学生の頃に感じた、「一足す一は二」という感覚に近いものがあるのではないだろうあ?」
 と感じるのだった。
「ドッペルゲンガーを見ると、死んでしまう」
 という伝説のようなものがある。
 それは、ジキル博士は、
「ハイド氏を抹殺するということは、自分で自分を抹殺するのと同じことになるのではないか?」
 と感じたのと同じことであろう。
作品名:多元的二重人格の話 作家名:森本晃次