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多元的二重人格の話

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「もちろん、予期することができなかったという意味では、不可抗力ではあったが、そのわりに、社会に対する影響の大きさから、問題は、そんな簡単には終わらなかった」
 というものであった。
 今の時代は、電信電話、通信がインフラとして大きな影響を示していることは、いまさら口にすることではないだろう。
 中学時代には、まさか、自分が、電信電話関係の仕事に就くなど思いもしなかった。
 電信電話といっても、回線の大手会社に就職したわけではなく、それを下請けとして、地元で、普及するたえの工事を行っているとことであった。
 だから、一つの回線だけではなく、いくつもの回線をリアルに使えるようにするための、環境構築などという仕事をしている。
 普通なら、一つが終われば、他の仕事があっているのだろうが、一つのメーカーだけでも、いくつもの層に分かれていて、一つを開通させれば、次は別のメーカー、一周してきた時点で、時間は次の変換期に入っているのだ。
 したがって、いつまでも同じことをしているというのであれば、結局、休む暇もないくらいに時代は急いで繰り返させられているといってもいいだろう。
 矛盾やスパイラルというのは、前述のタイムマシンの発想や、ロボット開発の発想と同じで、
「回線というものは、キリがないものだ」
 と、思えてならないのだった。
 回線もある意味、
「無限の可能性」
 に近いものではないかと思うのだった。
 というのも、
 だからこそ、仕事にも同じことが言えるのではないだろうか?
 というのも、一つの仕事をこなすと、次から次に仕事ができるものだ。
 そういえば、入社して最初の頃、
「皆、どうして、あんなに毎日残業しなければいけないほどの仕事があるというのだろうか?」
 と考えたことがあった。
 そもそも、子供の頃に思っていたのは、
「社長や重役ななど、仕事らしいものをしているように見えないのに、どうして、あんなに仕事があるように皆がいうんだろう?」
 と思っていた。
 確かに社長は仕事をしているところを見たことがない。もし見るとすれば、
「部下が持ってきた書類に対して、見ているのか見ていないのか、ひたすらハンコを押している」
 というところくらいであろうか。
 確かに、ハンコを押しているところだけしか見ていなければ、
「仕事をしている」
 という風に見えることはないだろう。
 それを思うと、
「社長なんて、楽なもんじゃないか? それとも、それまでの努力が実を結んだということで、まるでご褒美としての、社長就任なのではないか?」
 と思ったくらいだった。
 そもそも、次第にニュースを見るようになって、今度は、社長というものは、
「自分がしたことでもないのに、部下のへまで、自分が辞めなければいけないという、ある意味、わりに合わない商売だ」
 と思うようになったのだ。
 だが実際に、誰が悪いというわけでもなく、不可抗力としてしか思えないようなことだってあるだろう。
 それを思うと、
「社長がすべての責任を負わなければいけないというのは、それまで、例えば、社長に仕事がなかったとしても、溜まったものではない。
「仕事がないということは、やることがない、つまりは、時間だけが、虚しく過ぎていくということであり、そんなときほど、時間が経つのは早いものなのだ」
 ということである。
 そんなことは今に始まったことではない。
「何かあった時に、誰かが責任取らなければいいけないのであれば、それは社長しかいない」
 ということで、ある意味、
「社長は貧乏くじではないか?」
 と思えるのだ。
 ただ、それは一般企業だけに言えることではない。
 国家のトップにも言えることだ。
 何かがあれば、隕石問題が問われたり、
「引責辞任」
 という形で、雇うから、
「内閣不信任案」
 を出されたりと、実に最悪である。
 しかも、自分が何かをやったわけではなく、部下の大臣が不始末をしでかせば、いくら組閣時に、自分が大臣を任命したとはいえ、
「指名責任」
 というものを問われることになるのだ。
 本来なら、大臣だって大人なのだから、任命してから先のことは、その人の責任ではないのだろうか?」
 つまり、内閣には、聯来責任のようなものがあり、
「まるで軍隊のようではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 ただ、日本の軍隊は、昔は少し命令系統や、組織図が少し変わっていた。
 陸軍などは、
「三長官」
 というものが存在し、
「参謀総長」
「陸軍大臣」
「教育相姦」
 とそれぞれがあるのだが、大日本帝国憲法では、天皇に、統帥権というものがあり、それは、天皇が、
「陸機軍のトップにいて、陸海軍は、天皇直轄」
 ということである。
 つまり、陸海軍と天皇の間に、何人とも入ることはできないというもので、政府、総理大臣、あるいは、陸軍大臣であっても、軍を実質動かしている、
「参謀本部」
 のいうことには逆らえないし、作戦を知ることも許されないのだった。
 海軍の軍令部と合わせて、有事においては、これらが、総司令部となり、
「大本営」
 と言われる。
 だから、台本寧には、政府であろうが、総理大臣であろうが、栄え合えないのだし、会議に参加すら許されていないのだった。
 これは、元々、明治の元勲たちが作った憲法によるもので、そもそも、
「権力の一極集中を避けるためというのが表向き」
 であり、
 一番の理由は、当時陸軍は長州閥で占めていて、海軍は薩摩罰だった。
 そのあたりからの確執もあったのだろうが、ただ、権力の集中は考えられることであったが、当時の明治政府は、皆が、
「幕府を倒した志士」
 であり、目指すものが同じだったということがあり、それほそ問題にはならなかった。
 しかし、敵が、欧米列強ともなると、戦争を始めた本人である首相が、戦争指導に口を出せないというのは実に困ったものである。
 そのせいで、当時の戦争指導者といってもいい、東条英機は、それまでの慣例を破り、
「有事の時は、参謀総長と、陸軍大臣を兼ねてもいい」
 ということにしたのだ。
 こうすれば、軍の方針に口が出せるからだが、そのせいで、東条はまわりが敵だらけになり、しかも、戦争はまったくうまくいかなくなったのだから、溜まったものではない。
 そもそも、大東亜戦争は、
「最初の一年くらいで、決定的な勝利を収め、それを元に和平を模索する」
 というのが、当初の作戦だったはず。
 しかし、それがあまりにも勝ちすぎたために、和平を模索しなくても、
「このまま一気に押し切れば勝てる」
 ということで、さらに策に突っ走ったのだ。
 実は、シナ事変でも同じことがあった。
 中華民国の蒋介石は、ドイツの外交官、トラウトマンから、和平の計画を持ち込まれ、大方、それなら飲めるだろうということで、和平を受け入れるつもりだったが、日本が南京を占領したため、さらに強気になった日本は、上皇を増やしてきた。
 そうなってくると、戦争を終わらせる絶好のタイミングを逃したわけなので、同じ戦争で、二度も同じミスを犯すという情けなさだったのだ。
 そんな風だから、
「一億総玉砕」
作品名:多元的二重人格の話 作家名:森本晃次