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多元的二重人格の話

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 という意味でも、決して片方が表に入る時は出てこようとしなかったのだ。
 うや、出てこれなかったといってもいい。どこかに結界のようなものがあったに違いない。
 ただ、ハイド氏の方は最初から分かっていたのかも知れない。
 自分が、ずっと裏にいて、表に出られないことを、黙っているわけはないほどの性格だったからだ。
 隙をついて、ジキル博士が油断している時、表に出てこようというつもりはあったことだろう。
 だが、結界のためにそんなことはできない。
 他の人に、ハイド氏のような、
「裏に回っている性格」
 というのはあるのだろうか?
 そこまではジキル博士には分からなかった。
 ジキル博士は、あくまでも、自分の中に
「もう一人の自分の存在」
 を感じたというだけで、どこまでまわりのことを考えていたのか分からない。
 意識はしていても、そこまで探求しようとは思っていなかったとも考えられる。少なくとも、ハイド氏という存在が強すぎて、
「知らなくてもいいことを知ってしまった」
 と思ったのかも知れない。
 ただ、知ってしまった以上。後の祭りだ。
 もし、他の人のことを考えていないのであれば、何も、ハイド氏の存在を意識する必要もないと言えるのではないだろうか?
 ジキル博士はどこまで自分のことを分かろうとしていたのか、それは、ハイド氏の存在を意識した時に決まったことだろう。
 逆に、
「存在を知るだけで、それだけでよかった」
 のかも知れない。
 知ってしまったことで、
「知らなければよかった」
 と思ったとすれば、それこそ、
「してはいけない後悔をした」
 といってもいいだろう。
 彼のような科学者であれば、本来なら、
「後悔などしてはいけない」
 といえるのではないだろうか?
 科学者として、後悔するということは、
「後の祭りでは済まされない」
 ということであり、その時にどのような混乱や社会へ問題提起するかということを考えると、その責任はハンパではないと言えるだろう。
 そんなジキル博士は、ハイド氏のことを知ったのがいつだったのか分からないが、ジキル博士がハイド氏のことを知るよりも、ハイド氏が、ジキル博士のことを知ったのは、もっともっと前のことであろう。
 いわゆる、
「物心がつく」
 と言われるような時期には、すでに分かっていたのかも知れない。
 分かっていて、決して表に出ることのできないことをどのように感じていたのだろう?
 もし、他の人に、ハイド氏のような別人格が宿っているとすれば、まず、別人格が出てくることはない。
 別人格の方も、
「俺は、ずっとこのまま日の目を見ることはできないんだ」
 と思い込んで、表の自分に運命をゆだねるしかないと思っていることだろう。
 よほどのあやまちを表の自分が犯し、その影響で、死に至るというような緊急事態であれば、表に出てくることもあるのだろうか?
 それを考えると、ジキル博士は、ハイド氏の存在が怖くて仕方がなかったのだ。
 というのも、ハイド氏が表に出てこようとしているのを、ウスウス気づいていたのだろう。
 もしこのまま、無視してしまうと、ハイド氏は表に出てくることもできず、そのままストレスとなり、自然と、結界を破って、自分が表に出てくることになるだろう。
 そうなると、今考えているジキル博士はどうなるというのか?
 このまま、ハイド氏に則られることにはなりはしないか?
 それを思うと、ハイド氏は、
「一度解放してやらなければいけない」
 と考えた。
 しかし、これはかなり、
「危険な賭け」
 であった。
 ジキル博士が考えていることが本当に正しいとは言えない。
 ハイド氏を解き放つと、それこそ、とってかわられるかも知れない。
 それを覚悟で、ハイド氏を解放した。だから、ジキル博士は、ハイド氏が出てきて、悪行を働いていることも、想定の範囲内だった。
 しかし、それをどうすることもできない。
「あれは、別人格の自分なんだ」
 といっても誰が信用するというのか、そして。
「どうして、その別人格が出てきたんだ?」
 と聞かれると、それを説明しようと思うと、たぶん、相手は途中から分からなくなるだろう。
 あるいは、最期まで聴いたうえで、
「何をバカなことを言ってるんだ」
 と、まるで、妄想に取りつかれているかのように思われるのが関の山だというものだ。
  ジキル博士は、どこまでの覚悟を持っていたのか分からない。
 正直、ハイド氏が、
「バカであってくれれば、対処のしようがあるが」
 と、自分と正反対な性格の持ち主であることに一縷の望みを掛けたのだが、それは無駄であった。
 彼は、かなりずる賢い、そういう意味では、同じ賢さでも、ジキル博士とはまったく違う。だから、理にはかなっているというものだ。
 ジキル博士は、最期の一縷の望みだったのかも知れない思いもなくなったことで、ハイド氏の抹殺を考えた。
 これは、自分で自分を抹殺するという意味で、自殺になるのかも知れないが、そうではない。
 別人格の自分を殺そうとしたが、肉体が一つのために、自分も、
「もろとも」
 抹殺することになってしまった。
 これを自殺というのであれば、
「動機は何か?」
 と言われれば、何と答えればいいのだろうか?
 ジキル博士は確かに、ハイド氏を抹殺した。
 何をどのようにしたのかは分からないが、ハイド氏はこの世から消えてなくなり、ジキル博士も行方不明になってしまった。
 そんなことを考えると、ラストにおいて、まわりの人の中に、
「ハイド氏は、ジキル博士だったんだ」
 ということを理解した人はどれだけいるだろう?
 物語を客観的に最後まで見ているから分かるのであって、実際に物語の登場人物は、基本的に自分たちが、
「存在していないものだ」
 という考えから、これ以上の発想は難しいのではないだろうか?
 ハイド氏という存在を認めるということは、この物語では不可能になってしまった。
 確かにハイド氏は存在したのだが、死んでしまった瞬間に、一番のかかわりがあるはずのジキル博士はこの世から消えてしまったのだから、
「その時点から逆算して、ハイド氏が生まれた瞬間までがなかったことになってしまうのではないだろうか?」
 という考えが浮かんでくるのだった。
 だが、もっと飛躍した発想、
「いや、これが一番もっともなのかも知れないが、ジキル博士は、最初からいなかったのだという発想もありなのではないか?」
 という考えである。
 ジキル博士というのが、架空の存在だとしてしまうと、皆の中にいるかも知れない、ハイド氏も抹殺されることになる。そもそも、そんな別人格は不要なのだ。中には、
「別人格の人間の方が性格的に正義なので、裏の人間がいることで、表の悪を抑えることができる」
 と、言えるのではないだろうか?
 多次元で同一時間軸のパラレルワールドと、たくさんの宇宙が存在するというマルチバース理論、そこには、無限の可能性から始まって、理由付けの密接な関係まで考えていると、結構面白いものであった。
 そんな中において、二重人格性の要素が十分な、
「ジキルとハイド」
作品名:多元的二重人格の話 作家名:森本晃次