自由と偽善者セミナー
「それはね、きっと、合わせ鏡の元になっている自分が、形のあるものだからだよ。いくら小さくなっていっても、途中まで存在しているものが見えなくなったとして、最期ゼロになってしまうと、最初からあったはずのものが否定されるんじゃないかと思うんだ、これは、発想が飛躍しているかも知れないが、タイムパラドックスに似ている。タイムマシンで過去に戻って、親が自分を生むということの妨害をしてしまえば、自分が生まれてこなくなり、そこから、不思議な連鎖が考えられるようになるからだ。そう考えてしまうと、不思議なことの連鎖って、意外と普通では考えないようなことが連鎖しているように思うんだよ。マトリョシカも、合わせ鏡も、タイムパラドックスも、永遠をテーマにするならば、ゼロというものはありえない、限りなくゼロに近いというものを創造しないちといけないのではないかと思うんだよ」
というのだった。
高校生になってから、絵を描くのが好きにはなったが、美術部に入部しようとまでは思わなかった。あくまでも、絵を描くとしても、それは我流だと思っていたからで、理由はその時は分からなかったが、今から思えば、
「習ってしまうと、自分で作り出したという感覚にはならないような気がするからではないか?」
と思うからだった。
絵を描くというのは、描写であり、一から新しいものを作るという感覚とは微妙に違うと思っていた。
だから、どこが好きなんだが煮え切らない感覚があった。それを考えると、
「人から教えてもらった絵画が、自分で作り上げた創作物ではなく、ただの模写にしか思えない」
と思うのだった。
しかし、これが我流であれば、
「あくまでも、自分の感性だけで作り上げたもの。模写であっても、完全なオリジナル作品だ」
と思えるからだった。
そう思うということは、改めて、自分が、オリジナリティを大切にしていて、
「何もないところから、新しいものを作り上げる」
ということに執着しているかということを感じるのだった。
松下は、自分の中で、
「芸術や自分の好きなことなどと、それ以外との間には結界のようなものがあり、それが、創造なのだと思うことだ」
ということを、感じていた。
それが、中学時代まで、芸術的なことに、まったく興味がなかったのに、急に絵画に目覚めたきっかけになったことなのかも知れない。
中学時代までは、芸術を簡単に諦め、逆に嫌いなものだと思っていた。
しかし、心の中のどこかで、
「芸術は、侵すべからずなところ」
を感じていたのだ。
この感覚があったから、会社でいきなり、
「部署替えだ」
といって、システムに行かされても、腐ることはなく、受け入れられた。
最初は確かに、圧倒されることもあり、何しろまったく畑違いだと思っていただけに、何をどうしていいのか、戸惑うばかりだった。
絵画を最初に始めた時、正直、
「どうせ、うまく描けやしないさ」
と思っていた。
その理由は、絵を描くということがどういうことか、そして、自分がどうして描けないと思っているかということが分かったうえで、だから、いまさら、
「どうせ、克服なんかできないんだ」
という思い込みから描いてみたのに、書いてみると、
「あれ?」
と感じるほど、うまく描けていたことに、我ながらビックリさせられた。
これは、
「嬉しい誤算」
だった。
この時の感覚が、システムの部屋に入った時、戸惑いと、孤独感とともに、なぜかよみがえっていた。だから、その時、その場から逃げ出すどころか、逆にやる気のようなものが漲っていたのであって、そんな気持ちは初めてだったのだ。
「こんな気持ちになるなんて」
と正直思った。
そのおかげで、システムはまったくのド素人であったが、やってみると、実に楽しい。特にプログラムを作るということが、今まで追い求めてきた。
「何もないところから、自分の個性と感性で作り上げる」
ということを、自らで実践できるということに気づくと、
「完全に嵌ってしまった」
といっても過言ではないだろう。
「こんな毎日がやってくるなんて」
と正直感じられたのだった。
プログラミングと、絵画とは、まったく違う感覚であり、ただ、
「新しいものを作り上げる」
という根底が同じだけだった。
だが、実際にプログラミングをしている時に、
「まるで絵を描いている時の感覚のようだ」
と感じるのは、どうしてなのだろうか?
やはり、最終的な終着点が同じだと、その過程が違っても、途中の感覚は同じようなものとして感じる者なのであろうか?
そんな風に、松下は感じるのだった。
小学生の頃、特に低学年の頃は勉強が嫌いだった。その理由として、まず、
「先生にやらせれている」
という思いがあり、宿題の存在がその思いをさらに深くした。
宿題など、押しつけ以外の何者でもないように感じたことが大きかったのと、もう一つ納得がいかなかったのは、算数だったのだ。
「一足す一は二」
ということが、どうしても、理屈として分からなかったのだ。
普通、理屈で考えることではなく、受け入れるものだということで、最初の何もない状態から、受け入れるには、ちょうどよかったものなのかも知れない。
しかし、どうしても、理屈で分からなければ納得できないと思っている松下は、先生に、
「どうして、一足す一が二になるんですか?」
と聞いてみると、先生は困惑して、
「そういうものなんだから、そうだと思って受け入れればいいんだ」
というではないか?
「受け入れられないから聞いているのに」
と考えた。
先生はきっと、
「なんて、面倒臭いことを聞いてくるんだ。そんなもの、納得なんかするものじゃないんだから、受け入れればいいんだ」
といっているようにしか見えなかった。
その様子を見て。
「なんて、露骨な考えなんだ」
と思い、その心境が完全に表情に現れていた。
「これが、大人というものか」
と思うと、
「こんな大人にはなりたくない」
と感じたのだ。
大人の露骨な態度を最初に感じたのは、その時だった。
だから、余計に算数が嫌いになり、そもそも、最初で理解できないのだから、そこから進むはずもない。まだ、スタートラインにも立っていない状態だった。
だからと言って、他の人を待たせるわけにはいかない。自分抜きでスタートをした。
かといって、自分を棄権にするわけにはいかない、特に小学校というのは、義務教育なので、落ちこぼれたとしても、無理やりにでも、競技に参加させる必要があるのだ。
それはある意味、むごいことだった。
嫌いな食べ物を無理やりにでも食べさせるようなもので、下手をすれば、アレルギー性のショックを起こすかも知れない。
今ではアレルギーで、アナフィラキシーショックなどを引き起こすと、死に至るということも少なくなく、特に食べ物の、アレルゲン表記には、かなりうるさく言われていたりするものだ。
「やはり、明らかに見えるものと、見えないものの違いなのだろうか?」
ということであった。
アナフィラキシーショックというと、一番言われるのは、
「ハチに刺された時、二度目に死ぬ」
というものだ。
作品名:自由と偽善者セミナー 作家名:森本晃次