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自由と偽善者セミナー

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 毎日を、そんなプログラムを組むながら、
「今は充実しているけど、そのうちに、組みたくても組めなくなり、まもなう、そんな自分も今度は仕様書を書く方の仕事にステップアップすることになるんだ」
 と感じているのは、今年28歳になる、松下という男だった。
 彼は、最初からプログラムを組む人間ではなかった。
 元々大学では商学部で、
「営業職を目指して」
 入社してきたのだった。
 それが、会社の都合からか、途中で、
「情報システムに配属替え」
 ということになった。
 最初は本社で、営業のノウハウを覚えて、支店に配属になり、そこで、本部からの意向を加味した営業計画がやりやすいようにと、最初、本社の営業で、言い方は悪いが、洗脳して送り込むことにしていたようだ。
 それだけ、本部と支店の間では、考え方などが違っていて、第一線と後方部隊なので、同じ営業でも違っているのは、無理もないことなのかも知れない。
 そこまでは考えていた松下だったので、営業という職に少し疑問を持っていた。そのせいもあってか、
「情報システムに行け」
 と言われて、さほどショックでもなかった、
 同じ本社内なので、引っ越しの必要もない。ましてや、引継ぎをすることもないので、ある意味、身一つでの異動だった。それが、松下の運命であれば、抗うこともしないというものである。

                 算術的志向

 そんな松下を待っていたのは、部屋に入ってビックリしたのは、仕事場の雰囲気だった。
 うるさいくらいの営業部に比べて、システムは、よくも悪くも、陰湿に見えた。
「こんなところで仕事をするのか?」
 と思ったほどだった。
 しかし、考えてみれば、これは集中していれば当たり前のことであり、学生時代に勉強しようと思い、図書館に行った時、中には、静寂が我慢できないのか、勉強室に道具を広げたまま、表で友達とくっちゃべっている人もいた。
「そんなことするのなら、最初からファミレスにでも行けってんだ」
 と苛立ちを覚えたものだが、そんな彼らでも、一応は、
「静寂の中で勉強ができるかも知れない」
 と思ったのだろう。
 だが、実際にやってみると、
「とてもじゃないが、耐えられない」
 と思ったのかも知れない。
 勉強というものが、どれほど大変なものなのかということを、
「忍耐力がない」
 という意味で、初めて感じたのかも知れない。
 それは、実は松下も彼らと同じで、最初は、
「自分に集中力がないからなのか?」
 と思ったが、そうではなかった。
「一生懸命になれるものであれば、勉強でなくても、集中力を高めないとできないことだと思うことで、勝手に、静寂と同化するのではないか」
 と思えるほどだった。
 だから、静寂に慣れることができれば、それは、
「一生懸命に励むために、自分の世界を作る」
 ということで、まるで、
「宗教の世界と、通じるものがあるのではないか?」
 と感じたのだった。
 それを思うと、最初こそ、不気味なほどだったシステム室が、次第に、
「こここそ、自分の居場所なんだ」
 と感じるようになった。
 その場に馴染んできた、順応してきたと言ってもいいだろう。
 そもそも、
「何もないところから、何かを作る」
 というのは、嫌いではなかった。
「どこか芸術に似ている。共通点がいっぱいある」
 と感じたところから始まったのだ。
 あれは、高校時代だっただろうか? 絵を描くのが好きだった。
 中学時代までは、絵を描くのが苦手だったのだが、その理由が、
「遠近感とバランスが分からない」
 と思ったことだった。
 それが、錯覚によるものだということはピンと来ていたのだが、その錯覚がいかに自分を惑わしているのかという細かいところまでは分からなかったのだ。
 まず、最初に、キャンバスのとこに筆を落とせばいいのかが分からない。最初は下書きから行うのだが、その下書きをする時に、目の前の光景をそのまま描くと、どこまでが錯覚で、どこまでが、錯覚だと思えないというのかが分からなくなってくる。
 これは、将棋が好きな人から聞いた話だが、
「将棋の一番隙のない布陣というのは、最初に並べたあの形なんだって、だから、一手差すごとに、隙が生まれるんだ」
 ということだったが、最初に真っ白なキャンバスに筆を落とすのは、真理としては、
「逆のもの」
 ではあるが、発想は同じところから始まっているような気がする。
 将棋の場合の第一手は、減算法による第一手であり、キャンバスの上の一手は、加算法による一手である。だから、
「前者は、99で、後者は1ということになるのだろうが、進んでいくうちに、いずれ、交差してしまい、今度は、それぞれまた離れていくことになる」
 というのだ。
 ただ、彼が最後に言っていたのは、
「減算法で最後の方で、1より小さくなっても、絶対にゼロにはならない」
 という難しい話を始めたのだ。
「でも、今の発想で、1ずつ減っていけば、最期にはゼロになるのでは? 問題はそれ以降だと思うんだけど」
 というと、
「いや、ゼロにはならないのさ。もし、1の次がゼロだとすると、ゼロにならないような工夫が、いや、理屈が施されることになる。これは、永遠に続くものということで、ゼロにはできないという、ある意味、逆の発想だったりするんだよ」
 というではないか。
「どういうことなんですか?」
 と聞くと、
「この場合は、加算法と比較しているから、減算法という言い方をしたが、実際にはそうではない。減算ではなく、除算なんだよ」
 というではないか。
「除算って、割り算のこと?」
「そうだよ、割り算を考える時、自分はいつも発想として、合わせ鏡を感じるようにしているんだけど、合わせ鏡というのは、自分の前後や左右に鏡を置いた場合、半永久的に自分の姿が映り続けるという理屈は分かるよね?」
 と言われた。
「ああ、もちろん分かるよ。僕は合わせ鏡を想像した時、頭に浮かんでくるのは、なぜか、ロシアの民芸品である、マトリョーシカ人形を思い出すんだよ。あの人形の身体の横半分から、前後が蓋のようになっていて、そこを開けると、また新たな人形が出てきて、さらにそれを分けると、また、別の忍氷河出てくるというカラクリだよね。あれだって、ゼロには絶対にならない。ただ。合わせ鏡の場合とは少し違うのかも知れないが」
 というと、
作品名:自由と偽善者セミナー 作家名:森本晃次