自由と偽善者セミナー
という言葉は、当たり前だといってもいいだろう。
さらに、この英雄伝説であるが、
「英雄色を好む」
とよく言われている。
「英雄の裏には、女アリ」
ということなのかも知れないが、だからと言って、女の影がなければ、英雄と言えないのか?
ということになれば、アレキサンダー大王も、ジンギスカンにも当てはまることではない。
むしろ、それ以外の、
「候補」
として名前が挙がっている人にはあるかも、知れない。
ジュリアスシーザーに、クレオパトラというようにである。
ただ、英雄に限らず、
「歴史を動かすのは、女ではないか?」
ということで、女性を中心に歴史を見るものも結構あるではないか?
歴史上で出てくる女性としては、どうしても、悪女というか、
「北条政子」
「日野富子」
「淀殿」
の三人だと言われている。
ただ、これが男性であれば、英雄と言われてもいい人もいる。
北条政子が悪女と言われるのは、あくまでも、俗説によるもので、夫である頼朝の妾になっていた、
「亀の前」
と呼ばれる女性の家を、
「後妻討ち」
にして、家屋、家財道具を徹底邸に破壊したという。
ただ、政子の場合は、頼朝亡き後、さらに、源氏三代の将軍が、滅亡すると、朝廷が起こした、
「承久の変」
に対しての、問題が生まれた。
弟である、二代目執権の北条義時追討を、朝廷が出したのである。
つまりは、
「朝廷に逆らうということは、朝敵になるということ」
を意味している。
今まで京で起こった戦乱も、朝敵になりたくないということで、天皇や上皇などの身柄を抑えることが先決だった。
しかし、今回は、その上皇が、宣旨を出したのだ。その時点で、北条義時は、
「朝敵」
ということになってしまったのだ。
つまり、鎌倉の御家人は、二の足を踏む。
「朝廷に逆らって、朝敵になるのを、甘んじて受け入れるということなのか?」
であった。
もちろん、幕府とは、
「封建制度」
という結びつきで、固まっていて、
「坂東武者は、京都のひ弱な貴族たちとは違う」
ということで、政子は、大演説をぶちまける。
「頼朝がつくった武家政権によって、皆は、土地の心配もなく、朝廷からの押し付けもなくなった。それは頼朝の功績であり、その恩は、海よりも深く、山よりも高い」
といって、番号武者をいさめたという。
さすが、坂東武者の娘というところか。
ここはさすがに英雄と言えるのではないだろうか? 相手は、官軍というだけで、実際には、まったくひ弱な軍団で、数の上でも勝負にはならない。そんな武士団をまとめたのだから、悪女と言われるゆえんもないだろう。
そもそも、昔から、
「悪債」
と呼ばれ、恐れられているのは、もう一人の悪女と言われた、日野富子、そして、徳川二代目将軍秀忠の嫁であった、
「浅井三姉妹」
の三女の、江ではないだろうか?
もっとも、江の場合は、秀忠があまりにも、次男の方をかわいがるので、その代わりにされたという話が残っているのであって、悪女というのは、政子同様に、可愛そうといってもいいかも知れない。
ただ、日野富子の場合は違う。
ここは、日野富子に限らず、
「自分の息子を、天皇(将軍)に」
という気持ちは誰にでもあるだろう。
そういう意味で、歴史上、そういう奥さんはたくさんいた。古代では、持統天皇(天武天皇の妃)などもそうであり、自分の子供を天皇にしようと、謀略を巡らせ、別の候補を失脚させたりした。
ただ、どうしても、一番の大問題に発展させたのは、日野富子による、
「自分が産んだ子供を、室町九代将軍に」
という野望から引き起こされた、
「京都が11年間も、戦火に見舞われ、焼け野原になってしまった」
という応仁の乱を引き起こしたことだろう。
しかも、そのせいで、室町幕府は、まったく機能しなくなり、戦国時代へと突入するきっかけになったのだから、その罪の深さは大きなものだ。
ただ、そういう意味では、もっとひどいといってもいいのは、淀殿かも知れない。
自分の子供の秀頼を関白につかせたいということで、秀吉に詰め寄り、秀吉が、自分の後継者にといって、決めていた、秀次に、謂れのない罪を着せて、最期は切腹までさせたのだ。
その時、秀次は素行が悪かったと言われているようだが、どうも、本当のことなのか疑わしいという。
ということは、そんな濡れ衣まで着せて、排除したかったという意味では、
「恐ろしい女」
ということになるであろう。
ただ、これは秀吉が単独でやったことなのか。それとも、淀が焚きつける結果になったのか、それとも、本当の黒幕は淀だったのか?
そのあたりは、ハッキリとしていない。
同じ時代に生きていたとしても、
「七不思議」
などと言われて、結局、謎は闇の中だったのかも知れない。
江の場合は、言われていることとして、自分が産んだ長男の竹千代、次男の国松と比べると、
「病弱の兄よりも、聡明な弟を猫かわいがりした」
と言われているが、果たしてどうなのだろう?
結局最後は、竹千代の乳母である、
「春日局」
が、駿府で隠居している、大御所(家康)に直訴して、
「代々の継承は、嫡男であるべき、例外はない」
と言ったことから決着した。
家康とすれば、日野富子であったり、持統天皇などのことが頭にあったのだろう。
「お家騒動、継承者争いは、家を滅ぼす」
ということで、最初から、決めておけば、少なくとも、最初のお家騒動はなくなるということだ。
要するに、
「将軍が、その器でなくとも、まわりを固める側近がしっかりしていれば、問題ない」
ということなのであろう。
そういう意味で、家康が春日局の意見をくみ取ったのは、ある意味、自分の身に置き換えて、
「築山事件」
が影響しているのかも知れない。
信長に命令され、疑惑を掛けられた自分の長男を切腹させなければいけなかった家康からみれば、
「嫡男というのが、どれほど尊いものか?」
ということを、思い知らされたと感じているからであろう。
築山事件の折りに、徳川四天王の一人である酒井忠次が、信長に言われたとはいえ、そのまま家康に伝えたことで、その後、彼の息子が無事だった時に、喜んだ忠次を見て。
「お前でも、親の心が分かるんだな」
という皮肉をいい、忠次は何も言えなかったということがあったくらいだ。
三英傑として、言われている人間に、
「織田信長」
「豊臣秀吉」
「徳川家康」
の三人がいる。
安土桃山時代を、別名、
「織豊時代」
と言われ、織田信長と、豊臣秀吉の時代と言われている。
そこから、関ヶ原の合戦、江戸幕府成立、豊臣家滅亡と来て、江戸時代に入ると、やっと、徳川の時代がやってくることになる。
つまり、戦国時代末期から、豊臣滅亡くらいまでの天下取りの時代を、三英傑が駆け抜けたといってもいいだろう。
「織田がつき羽柴がこねし、天下餅、座りし食うは徳川」
という狂歌があったくらいに、天下取りレースは、さまざまであった。
信長、秀吉が英雄として名を残せなかったのは、やはり、次世代に天下を渡せなかったからだろう。
作品名:自由と偽善者セミナー 作家名:森本晃次