小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

自由と偽善者セミナー

INDEX|16ページ/22ページ|

次のページ前のページ
 

 まさか、彼がそんなことを考えているなど知らない首脳陣だったが、彼が、そろそろ第二の人生と考えていた頃に、ちょうど一軍で選手枠が開いたのだ。そこで呼ばれて、唯一のチャンスと目された場面で活躍をして、そこから才能が開花したのだった。
 それも、本当は、
「定められた道」
 だったと言われるようになっていた。

                 偽善者の集まり

 ちょうど、この頃、第二の人生ということで、時々参加していたセミナーだったが、一軍に昇格し、あれよあれよという間に、レギュラーを掴み、スター選手の階段をのぼりつつあったのだが、だからと言って、その時のセミナーをおろそかにすることはなかった。
 逆に、
「あのセミナーに参加できたから、俺はレギュラーになれたんだ。まるで福の神だ」
 ということで、そのセミナーをずっと続けてきたのだ。
 セミナーの参加者は、当然のことながら、サラリーマンが多く、中には自営業もいたが、スポーツ選手はさすがにいなかった。
「宗教団体とかであれば、いたのだろうが、そうではないからな」
 ということで、彼からすれば、
「怪しい集団」
 というわけでもないので、別にその団体から離れる必要もなかった。
 ただ、それだけに、
「福の神」
 という意識が強く、
「その団体のためなら、何か恩返しができればいい」
 と思っていた。
 おかげで、活躍できるようになったことで、給料の僅かを、団体に寄付していた。
 その団体は、元々は、職業訓練のようなものと、その上には、独立したいと思っている人に対する、精神的なセミナーとの二種類があったのだ。
 精神的な方は、昭和の根性論のようなものもあり、プロ野球に似ているところがあったので、有名選手になってからは、そちらの方に活動の中心を持っていったのだった。
 もちろん、球団に迷惑を掛けないようにしていた。
 当然のことながら、この活動は球団には内緒だった。
 そんなに悪いことではないのだが、彼の
「自分流」
 というイメージをそのままにしておいた方が、今後のことを考えればいいことだと思い、団体の存在を知られない方が、得策だと思うのだった。
 球団に黙っての活動だったので、本当は引退すれば、
「野球の道がなくなったとすれば、こっちの方に進めばいい」
 とさえ思っていた。
 それがヘッドコーチの誘いがあったものだから、再度、団体では、リセットしていたというだけだ。
 団体から、
「現役を引退すれば、こちらの活動に力を入れませんか?」
 とも言われていた。
 本人は、
「それもいいか?」
 と簡単に思っていたのだが、まさかの、
「ヘッドコーチ就任への打診」
 だったのだ。
 しかも、前任監督からのたっての願い。そう簡単に断るわけにもいかない。団体に話すと、
「いいですよ。ヘッドコーチよかったじゃないですか? こちらは、できる時でかまいませんからね」
 という優しい言葉を掛けられたのだった。
 実際に、ヘッドコーチをやりながらの活動は難しかった。しかし、
「少なくとも、この団体があったおかげで、自分はヘッドコーチとしての職につくことができたんだ」
 と思うようにしようと考えたのだ。
「上ばかりを見ていては、足元をすくわれる」
 と考え、とにかく、欲張ってはいけないと考えた。
「今は足元の、ヘッドコーチの仕事に根を張る必要がある」
 その考えは、選手の時からそうだった。
 あまり、いろいろ考えすぎると、器用貧乏になってしまい、結局、何も大成することはないのだった。
 ホームランもヒットも、打点もすべてを狙おうなどとすると、それこそ、
「ホームランの打ちそこないが、ヒットになった」
 というような選手でもなければ、三冠王を狙うなどできない。
 特に打率を競うヒットの場合は、ホームランと打点とは全く違う。
 なぜかというと、ホームランや打点は、本数が多ければいい。だから、相手には数で追いつかれるかどうかを気にしていればいいのだが、打率の場合は、ヒットの数ではなく、ヒットの数から、打数を割ったものになる。そこが難しい。
「ある程度まで打率を稼いでおけば、それでいい」
 というわけではない。
 打数には、
「規定打席」
 というものがあり、それを超えないと、いくら、10割打っていても、選考されることはないのだ。
 そして、ヒットが打てないと、打席に入る以上、フォアボールでない限り、確実に打数は増えてしまう。そのため、ヒットを打ち続けなければいけないのだ。
 これが、ヒット数であれば、また違ってくるが、これも、打順によって変わってくる。
「一番打者であれば、最多安打は望めるかも知れないが、打率となると、打数が多いだけに、さらにヒットを重ねなければいけない」
 そういう意味で、一番打者が首位打者に輝くというのは、結構大変なことではないだろうか?
 ただ、一番打者というのは、フォアボールで出塁するのも役目だから、そういう意味では、打席数は多くても打数が少なければ、ヒット数が普通でも、そんなに変わりはないだろう。
 そういう意味で、彼はホームランバッターで、打率はそんなに期待されていなかった。
「打率が2割5分でも、ホームランを30本以上打ってくれて、打点が、100に近ければ、十分な働きである」
 ということであった。
 打順は、大体5番を打っていた。
 四番打者は、歴代の外人選手が打ってきたという伝統があるので、このチームのホームランバッターは、5番を打つのが基本になっていた。
 その分、3番打者には、ヒットが要求され、ホームランとまではいかないが、二塁打などを量産してほしいと首脳陣は考えていた。
 彼の現役時代は、5番が適任で、大器晩成だっただけに、それほど通算記録はたいしたことはなかったが、本塁打王1回、打点王2回は、十分にチームの勝利に貢献してきたといっていいだろう。
 さらに、彼がホームランバッターだったという記録上の証拠として、
「フォアボールが多かった」
 といえるだろう。
 ただし、それは選球眼がよかったわけではなく、三振も多かったので、その分、相手が勝負してくれないほど、恐れていたということであろう。
 当然、6番バッターと比較すれば、
「歩かせても大丈夫だ」
 と相手に思わせるくらいなのだから、それこそ、
「強打者の証」
 といっていいだろう。
 それだけ、8年くらい、チームのホームランバッターとして、君臨したのだった。
 他のチームにもホームランバッターは結構いて、いつも、いいところで行くのだが、5本差くらいで、負けていた。
 相手が40本打てば、自分は35本。相手が、45本打てば、自分が40本と、
「もし、別の年だったら、ホームラン王になれたものを」
 とよく言われたものだった。
 ただ、どうしても超えられないものがあるのだろう。そして、その年のピッチャーが全体的に良かったりすれば、おのずと、本数は全体的に下がるというものだ。
 実際に投高打低と言われ、全然ピッチャーを打てず、防御率1点台の投手が3人も4人もいたりした時がああった。
 防御率は、1点台ともなると、リーグに一人いるかいないかというくらいが普通で、
作品名:自由と偽善者セミナー 作家名:森本晃次