自由と偽善者セミナー
ということで、引退後、ヘッドコーチとして、チームに残ることになった。
考えてみれば、チームには自分の派閥があるのだから、コーチになるのも悪くはないはずである。
問題は、フロントの方だったが、
「監督がそこまでいうのであれば、しょうがない」
と、何とか折れたのであった。
正直、フロント側としては、コーチに問題があれば、監督の連帯責任ということを最初から監督に告げていたので、
「それでいい」
と監督から言われると、ヘッドコーチ就任を妨げるものは何もなくなったのだ。
その男がコーチになってからというもの、爆発的な打撃のチームに生まれ変わった。
コーチの手腕が脚光あを浴び、チームも連戦連取、これも監督の、
「マジックだ」
と言われたものだ。
そんな彼が、自分が慕っていた監督が休養するために、事実上の退団ということが分かり、しかも、
「ひょっとすれば、新監督になれるかも知れない」
という内部昇格としては、二軍監督と同じ立場かそれ以上だった、ヘッドコーチだっただけに、まさか、現役選手の引退とともに、彼が監督となるということになるのは、当然のことながら、
「やってられない」
と思ったことだろう。
だから、周りは、
「絶対にあいつは、退団届を持ってくるに違いない」
とフロントは思っていたのだが、なぜかその様子はなかった。
契約更改の時、
「来シーズンもよろしくお願いします」
と、選手の頃を知っている人は、皆キョトンとして、開いた口がふさがらなかったことだろう。
「彼を容認していた監督が辞任することになって、しかも、自分が監督になるわけでもなく、選手から一足飛びに監督になる人がいるというのに、これは一体どういう心境なんだ? こんな屈辱、今までの彼であれば、耐えられないはずなんだけどな」
と言われていた。
だが、彼はその後も、チームからのヘッドコーチの打診に、抗うことなく、しかも、何ら条件を付けることなく、承諾した。
さすがにチームとしても、彼を屈辱的な立場に追いやったという後ろめたさと、今までのことでも、
「確かに監督が名監督だったのだろうが、彼がヘッドコーチを務めてくれていたことが、この成績に繋がったのかも知れない」
という意味での彼を見直すというフロントも多かったようだ。
そのため、少し年棒は、監督並みの年棒に挙げ、破格といってもいいほどの立場を彼に与えた。
新監督には、
「ヘッドコーチの助言をしっかりと聞いて、今年はまだ初年度なので、しっかりと、今後のチーム作りに邁進していってほしい」
といい、ヘッドコーチには、
「監督には、君の助言を必要とするように言ってあるから、君の現場での今までの経験をフルにいかして、選手と監督の間の懸け橋になってもらえばありがたい」
というような話をした。
さすがに、
「君を次期監督に考えている」
などということは言わなかった。
しかし、今回の監督人事で、ヘッドコーチの昇格という方が、二軍監督昇格よりも可能性は高かった。ただ、
「時期尚早」
という考えと、ある意味、彼のプライドをくすぐるという意味での、今回の屈辱的な人事も、主張する人もいなくもなかった。
だが、前任監督からの依頼でもあったので、さすがに、今回は、新監督を選手からということにしたのだった。
「それにしても、ヘッドコーチを断るかと思ったんだけどな」
というと、彼の性格を知っている人は、心の中で、
「偽善者的な性格が表に出てきたのかな?」
と思っていたようだったが、実はそのことに間違いはないようだった。
「偽善者というのは、実にうまく世間を渡り歩けるもので、偽善者の皮をかぶっていれば、ほしいものは、何でも手に入るし、人に恩を売って、いざという時に、返してもらうこともできる」
という、偽善者というものが、都合のいい役回りであるということを、知っている人は、意外と多いようだった。
そんな偽善者は、世の中に。ごまんといることだろう。
「自分を偽善者などとは思っていない」
という、自分を否定することから、入ろうとする人間であったり、
「偽善者と言われるのは、嫌だ」
という、プライドが邪魔をするタイプの人。
しかし、プライドが邪魔をする人間であっても、
「屈辱感さえ、何とか克服できれば、偽善者になりえることはできる」
と思っていた。
そもそも、このヘッドコーチは、選手時代から、プライドの塊であり、昔気質の選手のように、年功序列や、生え抜きの選手というものが、当たり前の世界だと思っていた。
もちろん、今のように、コンプライアンスの問題であったり、社会人でいえば、転職というものが、
「ステップアップの象徴だ」
というくらいに思われる世界に、プロ野球界もなってきている。
FAなどを行使し、有名選手になれば、他球団と直接交渉し、行きたい球団に行くことだって可能になった。
さらに、実力が認められれば、メジャーにだって行くことができる。
先人がつくってくれた道ではあるが、その道が今や、
「有名選手が目指す当たり前の道」
のようになってきたのだ。
時代というのは、ある日突然、まったく違った顔を持つというわけではないが、積年のちょっとした変革によって、いずれはまったく違う世界ができあがっていることだってあるだろう。
このヘッドコーチは、そこまで選手としてすごかったわけではない。確かにこのチームではなくてはならない選手だったが、他のチームでは、その扱いが難しかったかも知れない。
いろいろ器用なところはあるが、チーム事情や、チームカラーが他の球団とは合わなかったといってもいい、
なぜなら、他のどの球団でも、彼のような選手を自前で育成しようと、二軍では躍起になっている。
「いまさら、他のチームから、高い買い物をするとうのも、考え物だ」
と考えているチームが多く、トレードの申し込みもなかった。
FA宣言をしなかったのも、
「他の球団で自分を必要としているところがない」
ということが分かっていたからだ。
今の球団では、
「FA宣言をすれば、チームにとどまることはできない」
という内規のようなものがあったのだ。
それにも関わらず、FAすることもなく、彼の年齢では、メジャーも視野に入れるとうわけにもいかなかった。
なぜなら、彼は、
「大器晩成」
だったからだ。
活躍を始めたのが、入団から7年目くらいであっただろうか? やっとレギュラーを取って、そこから、実力をどんどん発揮、最初は、
「左キラー」
として頭角を現したが、徐々にいろいろなピッチャーを打てるようになり、そして、その頃から長打力がついてきたのだった。
その頃に、あるセミナーに参加するようになった、
そもそもは、入団5年目くらいの時に、
「このまま芽が出なければ、引退をして、普通の仕事をしないといけないんだろうな」
と思っていた。
そのため、引退してからも、何か手に職を持っていないといけないということで、練習が終わってから、他の選手が夜の練習をしている時、自分は、第二の人生を目指して、別の勉強をしていたのだ。
作品名:自由と偽善者セミナー 作家名:森本晃次