自由と偽善者セミナー
「やっぱり、監督には向いていないんだ」
と簡単に諦めてしまうのではないだろうか?
それまでチームに対して貢献してきた絶対的ともいえる貢献度は、監督としては、まったくの未知数から始まっているからだった。
しかも、パズルゲームと同じで、一度迷ってしまうと、最初の残像が残ってしまい、迷いから抜けられなくなる。それを知ることが、泥沼から抜ける近道であることなのだろうと、気付いた時には快進撃が始まるのだった。
そんな中で、あるチームが、今最下位に沈んでいた。
そこでは、監督が新人監督で、コーチ陣の方がベテランだったのだ。
そこで、毎日、スタッフによる定例会議が、午前中行われるのだが、いつも、投手コーチ側と、打撃コーチ側とに分かれて、激論が交わされている。
他の球団では、ここまでのことはないのだろうが、ここの新人監督は、元々、このチームのことしか知らなかった。
この監督も、伝説的なスーパースターではなかtったが、球界を代表するような選手だった。
選手時代は、結構、作戦面での忠実に動いていて、前任監督にアドバイスを送るくらいの選手だったのだ。
当然、選手としての信頼は首脳陣からの厚く、コーチもその選手のいうことであれば、素直に助言を受け入れていた。
それが、前任監督が体調を崩し、休養に入ったことで、チームは、その年、優勝争いに参加することができなかった。
シーズン終了後に監督はそのまま辞任することになったのだった。
新監督に就任することになったその選手は、そもそも、シーズン前半から、
「今年で引退」
と腹を決め、まわりに、そのつもりだということを話していたので、フロントの監督人選の中に、彼の名前が挙がったのだ。
もちろん、フロントの中には、
「時期尚早だ」
という意見、
「コーチや二軍監督を経験させてからの方がいい」
という慎重な意見もあったが、そんな中、スカウトの人や、二軍監督から、彼を推す意見が強かったことのあり、今期の監督に就任することになった。
本人も、さすがに悩んだようだが、最期には、
「チームへの恩返しができれば」
ということで、監督に就任することになったのだ。
就任挨拶の後、世間の評判としては、それほどビックリするような反応ではなかった。
「なるほど、今度の新監督ならやってくれそうだ」
という意見、
「前監督の考え方を継承しているので、チームをまとめるのはうまいだろうな」
という意見などが多かった。
前任監督は、就任期間が10年と結構、長期政権だった。その間に、リーグ優勝が4回、日本一が一度と、十分な成績をチームにもたらしてくれた。
この監督の前は、なかなか、優勝争いにすら参加できないようなチームで、一番の問題は、偏ったチームだったことだろう。
投手陣が活躍する年は、打撃が振るわず、打撃がいい時は、投手陣が持ちこたえられずという感じで、
「せっかくの選手の個性が生かされない」
と言われてきた。
優勝候補にもなかなか上がらないチームを立て直すには、ということで連れてきたのが、前監督だった。
前監督は、作戦では妥協をしないことで有名で、ただ、選手にはそれほど厳しいわけではない。
同じ時期に優勝争いをした監督の中には、
「管理野球」
を掲げ、選手の生活にまで干渉していたのだ。
だが、それはそれでよかったと思っている選手も多かったが、全体的に見て、
「締め付けすぎだ」
といわれることが多かった。
しかし、このチームの監督は、私生活にまで入り込むことはしなかった。
だが、逆に言えば、その分、成績だけで判断されることになり、成績が悪ければ、いくら陰で努力をしていても、二軍に落とされたり、試合には出れないという憂き目を見ていたりした。
中には、
「トレードに出してほしい」
といって、直訴する選手もいて、そんな選手に対しては、
「分かった」
ということで、さっそく他のチームにはかって、トレード候補になったものだ。
だから、人によっては、
「血も涙もない」
という人もいたようだが、そもそも、プロの世界というのは、そういう弱肉強食の世界であり、成績がすべてだと言われるのが事実の世界なのだ。
確かに、
「血も涙もない」
と思われるところのある監督であったが、逆に、引退していく選手に対しての敬意を忘れることはなかった。
それは、活躍した選手だけではなく、活躍できず、志半ばで見切りをつけた選手に対しては、結構、暖かい気持ちを持っていたのだ。
辞めていく選手の中で、ほとんどが、その監督の下でプレイができてよかったといっている人が多かった。
そういう意味で、
「温厚な監督だった」
と言われることも多かったのである。
そういう意味で、本当は、もう少し監督を続ける予定だったようで、体調を崩したことにフロントもビックリしていた。
確かに年齢的には、高齢ではあったが、それを感じさせないほどの若々しさがあったことで、皆安心していたところもあったのだが、まわりが見るよりも、、結構心労が激しかったようで、最期は本人が、
「チームに迷惑をかける」
ということになったようだ。
このまま、すべてを引退するということには言及しなかったので、いずれは、戻ってくるつもりでいるだろうということは、皆思っていることだった。
「しばしの休息」
ということで、了承したフロントは、さっそく、次期監督の人選に入ったのだった。
結構、意見は紛糾した。
正直、候補がそれほどいたわけではなかったからだ。
つまり、監督人選にはいくつかの考えがある。
まずは、監督経験豊富で、今フリーで解説をしている人のパターン、これが一番可能性としては大きい。
そして次に考えられるのは、自チームの生え抜きで、監督経験は別にして、今は解説などをしている人。これは、ある意味、人気を優先しているという感覚が強いかも知れないが、監督人選としてはありえることだった。
そして、次は、内部昇格である。コーチ陣や、二軍監督から、一軍監督に昇格させるというやり方だ。
実際に、このパターンで監督になった人も結構いて、特に最近は、それで成功した例も結構あるようだ。
何と言っても、選手の特性を分かっている。二軍監督などは、まだ活躍する前の選手の、いいところがどこなのかという基本的な部分を分かっているということで、しかも、選手との距離も近い、チーム編成としては、うまくいくという考えもあった。
そういう意味で、最終決定した今回の監督人事が決定するとは、誰が考えたことだろう。
当然会議はもめにもめた。
まず、一番考えられる解説者の中からという考えであったが、ちょうど、、いい人がいなかった。
テレビ局との繋がりであったり、すでに他のチームの監督に決まっていたり、本人が監督はしばらくはいいと感じている人、さまざまだったが、実際にやってくれそうな人は一人もいなかった。
影の理由として、
「前任監督の色が強いところの後の監督を引き受けるのには、二の足を踏む」
という気持ちが強かったからだろう。
今度は、チームの生え抜きを探してみたが、こちらも、いい具合の人はいなかった。
作品名:自由と偽善者セミナー 作家名:森本晃次