自由と偽善者セミナー
特に、超有名選手が引退し、ちょうど監督の椅子が空いたことで、引退したスーパースターが、そのまま監督に就任したことがあった。
鳴り物入りでの就任だったが、終ってみれば、
「球団史上初の最下位」
などという不名誉な記録だったりした。
「有名選手、必ずしも名監督にあらず」
と言われているが、実際にそうだったのだろうか?
監督の作戦がいくらいい作戦でも、それに選手がうまく機能しなければ、失敗に終わってしまう。
前任監督の作戦と、今回からの監督の作戦があまりにも開きがあったりすれば、選手もうまく機能しないのも無理もないことではないだろうか?
しかも、今監督をしている有名監督が、毎年三冠王を狙えるくらいの成績を残している人だったとすれば、その選手が抜けたという穴は大きいだろう。
もし、ピッチャーだった場合、いつも勝率がすごく、いつも15勝以上して、負けが、4,5敗くらいだったら、一人で今まで、10個の、
「貯金」
をしていたのに、それが、一気になくなったのだとすれば、どうだろう?
しかも、相手チームからすれば、監督が選手だった時は、恐ろしいチームだと思っていたとしても、選手でなくなった時点で、一人、いつも気を使わなくてもいい選手が一人いないのである。これほど気楽に戦えることはないのではないだろうか?
要するに、いつも注目される選手がいないだけで、いつもの優勝候補チームが、
「ただの、平凡なチーム」
になってしまっただけになるのだ。
だが、それを証明したのが、最下位の翌年、リーグ優勝をしたことだった。
きちんと、自分が抜けた穴をしっかり埋めるべく補強もしっかり行い、前のシーズンの悪かったところを研究すれば、一年目で勉強したことが二年目以降で花を咲かすことができる。
それが、監督というものだということを、どれだけの世間の人が分かっただろう。きっと、ほとんどの人は、
「名選手、名監督にあれず」
と考えていただろう。
だが、最下位になったということだけを捉えて、
「ああ、やっぱり、点は二物を与えずだな、しょせん、選手でも監督でも大成できるという人なんていないんだ」
と皆が思ったことだろう。
ある意味、
「監督というのは、それだけ難しいものなんだ」
と思えれば、少しは違うだろう。
確かに、監督というもの、すべてに目を通していて、それぞれのポジションでは、コーチが選手を直接指導する。だから、コーチともコミュニケーションが必要だし、監督だからと言って、暴走してしまうと、まわりがついてこなかったりする。
何よりも、
「監督が、すべての責任を負う」
ということである。
チームが勝っても、選手がヒーロー。優勝すれば、監督の脚光を浴びるが、ずっと最下位に沈んでいれば、いくら鳴り物入りで監督になっても、球団フロントが、簡単に監督に見切りをつけないとも限らない。
自分が失敗したり打てなくて勝てなかった場合と、自分の采配に間違いはなく、選手がしたがってくれなかったことで、監督になるとその責任まで負わなければいけなくなる。そもそも、その監督は選手時代、挫折はなかったとは言わないが、少なくとも、努力した分、報われてきた監督なのだろう。選手が少しでも楽をしようとしているのを見ると、どう感じるだろう。あまりにも選手との間に開きがあり、それが見えていたとするならば、監督としては、見えない壁の板挟みになっているということになるのではないだろうか?
「天才の気持ちは天才にしか分からない」
当然、まわりもその監督の動物的な勘が分かるはずもない。下手をすれば、コーチ陣も敵に回さないとも限らない。
「こっちは何年もコーチをしているというのに、引退してから、いきなり監督かよ?」
と思って妬んでいる人だっているに違いない。
不協和音が、チームの間に噴出してしまうと、なかなかそれを解決する手段が取れてこない。
ある意味、タイミングが狂ってしまったといっていいだろう。
そのタイミングというのは、
「最初はそうでもなかった。まわりは、必ず、監督がうまくまとめてくれると思っていたのだが、その監督に対して、まわりが信用できなくなり、しかも、昔からの妬みなどが生まれてくると、もう平行線が交わることはない」
という、半永久的に交わることはありえない世界を、作り上げてしまうことになるだろう。
それは、もちろん野球界だけではなく、芸能界でも、当然、一般の会社にでもあることではないだろうか?
タイミングの問題というと、前述の、心理ゲームやパズルゲームにも言えることなのかも知れない。
本当であれば、勘が鋭い人が考えた場合、最初にピンと来てしまうと、すぐに回答が生まれ、
「スピード記録だって出るかも知れない」
というほどなのだろうが、それはあくまでもタイミングがうまく行っている場合のことであり、少しでもタイミングが狂ってしまうと、そこから先は、どんどん離れていってしまっていることに気づくと、焦りしか残らないといってもいいだろう。
一度狂ってしまうと、元に戻らないという感覚は、
「最初に思い込んでしまった答えが、頭から離れずに、特に言葉のゲームなどでは、その時の最初の一言や、その言葉の全体が邪魔をして、いつもの勘を引き出すことができなくなってしまう」
といってもいいだろう。
しかも、生まれてくる焦りは、普段あまり感じたことのないものであり、いつも最初に勘がうまく働いて、答えを導き出してくれるものが、一度狂ってしまうと、それを取り戻すのは、至難の業なのかも知れない。
「今回はたまたま、うまく行かなかっただけで、次からは大丈夫ですよ」
と、まわりは簡単にいう。しかも、言われたことは、まさにその通りで、言われたことを誰も支持て疑わない。そのため、伝説はこれからも続いていくと思われてしまうのだ。
それこそ、名選手が監督になった時と同じだ。
まわりは、途中までは、
「いやいや、まだまだ、こんなものじゃない。あの人には神通力のようなミラクルがあるんだ」
という人もいるだろう。
実際に、現役時代、途中まで、チームがうまく行っていなかったが、途中から快進撃が始まったのだ。
考えてみれば、途中までチームが乗れなかったのは、その選手の不調が絡んでいて、途中からスランプが抜けたとたん、チームが勝ち始めた。
そして歴史的な大逆転優勝を成し遂げると、その選手一人で勝ち取った優勝であるかのように言われるのだ。
そもそも、全般、スランプだったことが、ある意味戦犯だったのだろうが、終ってみれば、最期の快進撃しか、ファンは憶えていない。ファンとは現金なもので、目立つところしか見ないものだ。
ただ、この年そのまま、優勝できなければ、戦犯は間違いなく、この選手だろう。しかし、年が明けて、翌シーズンのキャンプが始まると、
「今年はやってくれるだろう。今年は優勝だ」
と、昨年のことをすっかり忘れていたりする。
それが監督になると、思った以上にうまく噛み合わないと、風当たりはすべて自分に来てしまう。それまで努力は報われてきたことで、挫折を味わったことがないことで、世間は、今までと違い、
作品名:自由と偽善者セミナー 作家名:森本晃次