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必要悪と覚醒

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「一日一日がなかなか過ぎてくれないのに、一週間があっという間だった」
 というような、今度は高校時代のような感覚に戻ってしまっていたのだ。
 それは、
「大学時代というものが、特別な期間であり、何をやっても許されるのではないかと思うような、お花畑にいるような毎日だったからではないだろうか?」
 と感じたのに対し、大学を卒業してしまうと、今度は、
「会社という組織に縛られて、お金を貰って生活をしていくことが、大人になるということであり、そこには、義務や責任というものが見える形として自分に襲いかかってくるのではないだろうか?」
 と感じるのだった。
 ただ、大学時代も、別に何も考えずに遊びまくっていたわけではない。ちゃんと、四年間というものが、どういうものなのかということを自覚するようになり、自分の中で、逆算して時間を見ていたような気がしたのだ。
「時間を逆算して見る?」
 そんなことを大学時代に考えたこともなかった。
 あとになってから考えるから、
「逆算」
 などという発想が生まれてくるのであって、
「大学時代だけが、特別に、時間の感覚が違っていたのだ」
 という、まるで他人事のような考えではなく。感覚が違うのであれば、それにはそれなりの理由というものがあるのではないだろうか?
 それが、
「逆算」
 という考え方であり、自分にとって、長い短いという感覚と、長さの感覚が正反対になったのは、
「楽しい毎日だった」
 という単純な考えからだった。
 しかし、大学時代には焦りというものがあり、その焦りが、
「一週間などのまとまった単位があっという間だった」
 と感じさせるのだろう。
 4年の中で一週間といえば、微々たる長さで、別に態勢としては影響のあるものではないだろうが、それが何度も繰り返されてくると、
「あっという間に一年生が終わっていた」
 ということになるに違いない。
 一年が終われば、二年、三年、とあっという間であった。その記憶が自分の中に残っている。三年生が終わって、いよいよ就職活動ともなると、すでに、大学時代という感覚はなかった。
 そのくせ、面接官や、世間は、
「まだまだ学生の青二才が」
 という目で見ているのを感じる。
 考えてみれば、今は大学の4年生、つまり、学生では最高峰にいることになる、しかし、卒業してしまえば、どこに行こうとも、すべてにとって一年生だ。だから、会社勤めをしている人は皆そんな目で見る。
「自分たちだって、そんな時代があり、今の自分と同じ思いをしていたであろうに、やはり、社会というものに、一歩足を突っ込んでしまうと、学生とは、一線を画す自分がいることを感じさせられるに違いない」
 ということであった。
 つまり、
「立場の変化がというものが、時間の感覚や、時間の周期の感覚に、影響を与えるのではないだろうか?」
 と感じるのだった。
 社会人というものになってしまうと、時間に対しての感覚やまわりへの感覚も変わるが、一番変わったように見えるのが、自分である。
 しかし、それは幻であって、一番変わってはいけないのは自分ではないだろうか? つまり、変わったかのような幻想に惑わされ、一喜一憂してしまうのが、危険だということになるであろう。
 畠山は、
「社会人」
 という言葉が嫌いである。
 さらにいえば、
「一般常識」
 あるいは、
「国際社会」
 という言葉も嫌いである。
 親がよく口にしていた言葉であり、政治家が口にする言葉でもあった。そういう意味で、最近では、
「安心安全」
 という言葉も嫌いである。
 これは、
「欺瞞に満ちた」
 といってもいいくらいの言葉であり、
「そんな言葉で国民を騙せると思うのか?」
 と思わされた言葉で、これを聞くと、ある腐った、元ソーリの顔が思い出されるようで嫌だった。
 今のソーリもさらにひどいソーリだが、
「本当にこの国に、まともな政治家なんかいるんだろうか?」
 と考えさせられてしまう。
 父親は、
「立派な社会人になるには、身だしなみをちゃんとしないとだめだ。ずんだれた格好をしていると、立派な社会人になれない」
 という言い方をする。
「ずんだれるってなんだ? そんな言葉存在するのか?」
 と心に思って決して口には出さなかったが、睨みつけることしかできず、父親に逆らえない自分が情けないと思ったものだ。
 とにかく、世間的に平均的な人間が一番いいと思っているのか、やたら、
「世間一般」
 あるいは、
「普通の社会人」
 などと言う言葉を使う。
 そもそも、普通や一般というものがどのようなものなのか? さらには、社会人っていったい何なのか? 聞いてみたいものだった。
 そんな家に育ったので、やたらと自分を、
「平均的な大人。人から笑われないような大人」
 そんなものを目指せと言われていて、その曖昧さが次第に、怒りに変わってくるのであった。
 あれは、中学時代の頃だっただろうか? 皆友達の家に泊まり込んで、遊ぼうと、遊びに行ったその時に急遽決まったのだ。正月に友達の家で集まって遊んでいたのだが、友達の家でも、歓迎してもらえるということだったのだ。
「だけど、皆ちゃんと、家の人に許可を取ってね」
 と相手のお母さんはそういった。
「皆許可さえもらえれば、それでいいのよ」
 と言っているのであり、その裏返しに、
「自分たちが許可してるんだから、ダメっていう親はいないだろう?」
 と思っていたに違いないのだ。
 実際、畠山のそう思っていた。
 しかし、皆、許可が得られる中で、最期に電話をした畠山の親は頑強だった。
「いけません。帰ってきなさい。お父さん怒ってるわよ」
 というではないか。
「こっちの親も許可してくれてるんだよ」
 というと、
「よそ様はよそ様。うちは違うの」
 というではないか。
 埒が明かないと思い、友達の親から話をしてもらうことにした。
 すると、
「やっぱり、向こうのお母様は頑なに帰らせるようにいうのよ。申し訳ないけど」
 というではないか、
「いいえ、説得ありがとうございました」
 といって、一人情けなく帰らなければならない、自分の運命を呪い、それ以上に親を憎んだ。
「どうして皆泊まるというのに、俺だけ、惨めな思いをしないといけないんだ?」
 と、その理不尽さに、怒りと情けなさとが交差して、情けなさで涙が止まらない。
「どうして涙が出るんだ」
 と思えば思うほど、目頭が熱くなるのだった。
「要するに親は自分が憎いんだ」
 としか、その時は思えなかったのである。

                 歴史の分岐点

 その日、家に帰ると、父親はふてくされて寝ていた。自分が情けないと思いながら帰り付くと、寝ていた父親が起きてきて、
「この恥晒しが」
 といって、殴りかかってきた。
 不意を突かれて、殴られ、そのまま投げ飛ばされたが、心の中で、
「何だ、これは? いう通りに帰ってきたのに、この仕打ちは何だというんだ?」
 としか思えなかった。
 その日は、さすがに理不尽さに押し潰されて、こちらもふてくされて寝たのだが、考えてみれば、親父のいうことも分からなくはなかった。
作品名:必要悪と覚醒 作家名:森本晃次