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必要悪と覚醒

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 人間だって、伴侶に先立たれ、再婚することを、誰が悪いなどというだろうか? すべては本人の気の持ちよう。モラルとしても、決して悪いことではない。浮気や不倫をする人間だってたくさんいるわけなので、それくらいのことを悪いかのようにいうやつの方がよほどひねくれていて、逆にいえば、捻くれなければならないほど、自分の中に後ろめたさが秘められえているのかも知れない。
 そんなことを考えてしまうと、浦島太郎の話が、
「矛盾だらけだ」
 といっているのが、どこかバカバカしく思えてきた。
「おとぎ話はこうあるべきだ」
 という、教育上の観点からの勝手な思い込みによって、そんな気持ちになるのだとすれば、それはある意味、人間の、いや、
「その人のエゴ」
 なのかも知れない。
 浦島太郎の話をそんな風に少し角度を変えて見てみると、
「本当にこれは、相対性理論というのを分かって書いたのだろうか?」
 とも思えてきた。
 確かに、話が中途半端な、おじいさんになったところで終わっているのであれば、相対性理論がクローズアップされるかも知れないが、実際には、
「鶴亀伝説」
 に繋がるものがあるのだとすれば、それは、テーマが、
「長寿」
 ということになるだろう。
 そうなると、鶴亀の発想を理論的に書くために、
「陸に上がると、数百年が過ぎていた」
 という発想が必然的だったのかも知れない。
 つまりは、相対性理論などという発想は、アインシュタインが提唱したことであり、それを勝手に日本人が、おとぎ話に結びつけただけなのかも知れない。
 もっと言えば、アインシュタインは、この浦島太郎の話を知っていて。いや、この話というよりも、各地に伝わる口伝のどれかを知っていたともいえるが、この発想があったことで、相対性理論を考えるうえで、他の人よりも柔軟に考えることができたことで、相対性理論を完成できたのかも知れない。
 そういう意味では、
「何も相対性理論の発見は、アインシュタインでなくても、できたのかも知れないが、これほど早くできたのは、彼が日本の口伝を知っていたからではないか?」
 といえるのかも知れない。
 それを考えると、アインシュタインの発見は必然ではあっただろうが、逆に彼でなければいけないということもあったのかも知れない。
 そもそも、アインシュタインは、科学の分野だけでなく、政治に首を突っ込んでしまったことによる。
「アインシュタイン=シラードの手紙」
 なる。悪魔の手紙が、ルーズベルトに送られたことで、ヒロシマ、ナガサキの悲劇が起こってしまったという事実もあるのだった。
 そして、それこそが、人間が、
「開けてはいけないパンドラの匣を開けてしまった」
 ということになるのだろう。
 パンドラの匣の話では、最期に、
「希望が残った」
 というようなことが言われているようだが、本当のことなのだろうか?
 今の世の中の、
「核兵器への呪縛」
 が、半永久的に人類を呪っているのだとすれば、それが解けるのは、
「人類が滅亡する」
 というその時しかないのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、アインシュタインも、結局は、浦島太郎のように、
「開けてはいけない」
 というものを開けてしまったという意味で、その罪は、それまでの科学への貢献のすべてを台無しにしてしまうだけの効果があったのかも知れない。
 またしても、余計なことを考えていると、本当に時間があっという間に過ぎていたようで、気が付けば、セミナーの時間になっていた。
 最初は数名だった会場も、結構埋まってきていて、すでに八割がた埋まっているといってもいいだろう。
 講師の先生が入ってきて、スマホの活用について話を始めた。
 先ほどまで、妄想に近いような壮大なイメージを抱いてしまっていたことで、講師の話が、どうにも薄っぺらく見えてきた。
「当たり前のことを当たり前に話している」
 というだけで、相手は有名な先生らしいのだが、そんな先生が、皆に分かるようにと、話をすると、しょせんはぎこちないものになってしまって、聴いていて、違和感しかないのだった。
「そんなことは、テキストに書いてあるんだろう?」
 と、いちゃもんをつけたくなるくらいだったが。まさかそんなことが癒えるはずもなく、ただ黙っていたが、次第に、今度はここから、また時間がゆっくり進むようになってしまった。
 まるで浦島太郎になってしまったかのような気分だった。
 ただ、ライブカメラの話は、それなりに面白かった。
「なるほど、今の世の中って、いつどこで、誰から見られているのか分からないわけなんだな」
 ということを感じていた。
 先ほどまでの、浦島太郎の発想として、校則で宇宙に飛び出す、相対性理論であったり、万年生きる亀の話であったりと、無限であったり、半永久的という言葉が、裏に潜んでいるような、壮大な発想を抱いていたのに、今度は、ピンポイントなライブカメラの話を想像するというのも、おかしなものだと感じていた。
 講師の話によると、
「今の時代は、GPSによって、位置情報がある程度分かるようになっているので、その位置情報を元に、実際に、リアルな状態が、ネットで公開されるようになっていて、例えば、住所を打ち込めば、その住所の風景が、スマホに、ライブカメラとして映し出されるようになっているんですよ」
 というではないか、そして、
「だから、これだったら、ミステリーなどにおいて、アリバイトリックを考えるというのは、かなり無理があるかも知れないですね」
 というではないか。
「ああ、なるほど」
 と考えてみたが、あくまでも、それは、講師の笑わせようという、気分転換な発想で、実際にはそんなこともないだろう。
 ただ、実際に、今は、いたるところに防犯カメラがあるのも事実である。強盗や空き巣などはこれによって、かなり防止できるだろうし、今は車の中にも、ドライブレコーダーとして、映像を残すようにしている車の結構ある。
 それは、数年前から話題になっている、
「あおり運転」
 なるものが原因で、ただ、あおり運転というのは、昔からあったような気がする。
 それがいまさら話題になるのは、それだけあおり運転がひどくなったからなのか、最近のように、どこにいても、コンプライアンスなどという言葉に縛られる世の中なので、
「自分の身は自分で守る」
 ということでの証拠を持つという発想が、次第に現実味を帯びてきたからなのかも知れない。
 そう思うと、ライブカメラもドライブレコーダーも、一時のブームなのかも知れないが、それが当然のことのようになり、
「生活の一部」
 になってしまうのではないかと思うのだった。
 話を聞いていると、ライブカメラは、いろいろなところに、侵入しているという。
「あなたの家も、ライブカメラで監視されているようなものですからね。これは、防犯ということと、さらに、プライバシーという意味でのジレンマ、板挟みになっているといってもいいかも知れませんね」
 ということであった。
 確かに、防犯カメラは必要だろう。何かがあっても、犯人の特定につながる。そして、本来であれば、一番の目的として大切なのは、
「犯罪の抑止」
作品名:必要悪と覚醒 作家名:森本晃次