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必要悪と覚醒

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 パチンコというのは、警察に認可された台でなければ、店に置くことができない。
 つまり、新台入れ替えの時などは、必ず警察が立ち会って、不正がないかをチェックしている。
 だから、警察も閉店後に新台入れ替えをチェックするのだから、大変だ。
 店によっては、2週間に一回という頻度で頻繁に行うところもあれば、2,3カ月に1度、新台が出る季節に合わせて入れ替えをする店もある。
 それは、店の規模と、利益によるのだろうが、基本的には、入れ替えが激しいからといって、店が儲かっているというわけではないだろう。
 昔であれば、本当にパチプロという人たちがいただろう。
 昔は釘師のような人がいて、釘の角度で、球がアタッカーに入るかどうかが分かった。
 ただ、それは、昔の羽根ものと呼ばれるものであり、一度入ると、何秒か開きっぱなしになるというようなものもあったりした。
 しかし、今はアタッカーに入ると初めてデジタルが回り始めて、そこから抽選が行われ、演出が発生するのだ。
 確かに、アタッカーにたくさん入り、回転する台が、
「いい台だ」
 ということで、討ち続ける理由にはなるだろう。
 要するに、1000円で購入した球で、何回転したか?
 ということが、台選びで有効な手段となるのだ。
 スロットの場合は、コインの数で回転は決まるので、回転の多い少ないはありえない。
 だから、どのような演出が最初に頻繁に出てくるかということで、ここからは勘なのだが、大当たりに繋がるかが決まってくるのだった。
 スロットには、6段階の
「設定」
 というものがあり、
 あらかじめ、設定しておくと、6に近づくにつれて、当たりやすくなるということだ。
 つまり、設定によって、確率がいくつなのかということが、解析されていると、台選びの根拠になるというものだ。
 しかし、設定は店長しか分からず、その日が終わっても、公表されることはない。
「今日のあの挙動だったら、設定は4くらいかな?」
 という予想をして、翌日、店長の設定がどっちに動くかを予想し、打ちに行くというのが、
「パチンコ、パチスロというギャンブルの醍醐味だ」
 といってもいいだろう。
 それを思うと、朝一の設定推測が重要になるわけだが、このあたりは攻略本に乗っているものもあれば、あくまでの打ち手の勘ということもある、解析する人たちは、その存在を信じて、解析をしているのだ。
 パチンコライターのような人たちがいて、パチンコ番組などで、実践を行い、攻略本に乗っているようなことを解説しながら、実践してくれているのは、パチンコファンとしてはありがたい。
 昔のような単純な台では、釘が大切であったが、今に時代は、機械にはロムが入っていて、それが、人工知能のような働きで、大当たりを演出したり、確率を生かした演出を出したりしているのだ。
 だから、パチプロも、勘というものが大切になるというのも分からなくもないことであろう。
 そんなパチンコのことを思い出していると、今回のテキストも、勝手に確率や演出が頭に描かれてしまう。
 ただ、今回はスマホというあまりよく分からないものであるだけに、
「スマホもパチンコのように、確率や、演出のような楽しみがあるのかも知れない」
 と感じるのだった。
 そんなことを考えていると、30分など、あっという間だったのだ。
 最近は、パチンコもスロットも行かなくなった。
 最近というより、行かなくなってから、1年以上が経つ。
 最初は寂しいという思いがあったのだが、畠山の場合は、他の人のような、
「ギャンブル依存症」
 ではない。
 いや、ギャンブル依存症なのだが、同じ依存症でも、
「パチンコが打ちたい。スロットが打ちたい」
 というわけではない。
 彼の場合は、気に入った機種があれば、それしかしないという特徴があった。
 つまりは、パチンコを演出であったり、確率として考えているのだ。だから、いろいろな機種があって、演出もたくさんあり、大当たりのパターンもいろいろあるから、確かに最初パチスロに嵌った時は、どんな機種でもいいというわけではなかったが、好みの機種の幅は広かった。
 スロットなど、AT機が好きだったりしたのだ。
「AT機は、どちらかというと荒い機種が多く、ギャンブラーには向くかも知れない」
 と言われていた。
 今のスロットというのは、どんどん、ギャンブル性が失われている。
 規制がかかる台が多いというのか、大当たりが続いたとしても、
「2400枚までしか出ない」
 ということになっている。
 昔であれば、
「0ゲーム連で、5000枚なんていう奇跡的なことが、年に一度くらいはあったものだったんだけどな」
 と、いう時代が懐かしい。
 今は、リプレイが結構出たり、ベルが並んだりして、
「コイン持ちがいい」
 という台も多かったりする。その分、大当たりが、
「しょぼい」
 のだ。
 これは、パチンコにも言えることで、
「ST状態で、次の大当たりまで、嵌れば嵌るほど、コインが少しずつだが増える」
 という、
「小当たりラッシュなるもの」
 がついていたりする。
 つまり、
「お金をそれほど使わずとも、コインが減ることもなく、その分、長い時間遊べる」
 ということになるのだ。
 しかし、そんなことをして、一体どうなるというのか?
 お金はそんなに出ていかないのかも知れないが、
「ギャンブル依存症」
 であるということに変わりはない。
 逆に、長い間、休憩なしでプレイをするということは、それだけ、神経を蝕んでいるということであり、本当にいいことなのだろうか?
 それを考えると、
「ギャンブル依存症」
 というのは、裏と表が存在し、まるで、
「諸刃の剣のようではないか?」
 といえるのではないだろうか?
「パチンコやスロットをギャンブルと考えるか、ゲームと考えるかによって、違う」
 という人もいるかも知れないが、
 それは法律や行政の話であって、パチンコはギャンブルであることに変わりはない。
 パチンコ屋の壁に、
「ギャンブル依存症を解決するソフト」
 なる張り紙があり、登録することにより、それ以上課金ができないようにしてしまうなどのことができるようだ。
 しかし、そこの但し書きに、
「あくまでも、プレイする本人の自覚があってこその制限である」
 などということが書かれている。
 まさに、ギャンブル依存症を解決するのは、他人ではなく、本人でしかないのである。

                 ライブカメラ

 パチスロのことを思い出していると、本当に時間があっという間だった。別に世界に行ってから、少しして戻ってきたかのようなそんな感覚になっていた。
 それが、宇宙に飛び出して、戻ってきたような感覚になったのは、何とも皮肉なものである、
 というのも、昔のSF映画で見た話しだったが、そのセリフの中にも、ハッキリと、
「アインシュタインの相対性理論」
 という言葉が出てきた。
 もっとも、アメリカ映画だということもあって、翻訳での字幕ではあったが、よく聞いてみると、
「アインシュタイン」
 という名前を言っていたのは間違いないようだ。
作品名:必要悪と覚醒 作家名:森本晃次