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必要悪と覚醒

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 だから、店もそんなにたくさんはない。食事処も、駅構内の一部に、数軒ある感じで、駅下の、ロータリー前にはコンビニがある。
 昔のように、鉄道会社が、コンビニやスーパーのような事業をしていないので、一般的なコンビニが入っているのだ。
「何とも、昔を知っている人間には、これほど寂しい雰囲気もないのもだ」
 といえるだろう。
 在来線の駅のホームはほぼそのままなのだが、建物部分は、完全に生まれ変わった。
「まさか、こんなところに、孔雀小屋があったなんて」
 と思えるようなところには、壁ができているだけで、その奥には、駅事務所が広がっていた。
 つまり、昔の改札口があったあたりが、今は事務所になっていて、駅の改札口や、コンコースなどは、二階に建てられている。
 そっちの方が、新幹線との乗り換えに便利なようで、新幹線から降りてくる客が重なる中央改札口も、正直、朝夕のラッシュ以外はほとんど、人がいない状態に見えるのだった。
 それでも、一年に一回、大イベントがあるのだが、それが花火大会の日で、その時は、入場制限をしないといけないほどで、下手をすると、正月の初詣などの時よりも、人は密集しているのであった。
 花火大会の時は、隣にある大きな川から花火が打ちあがる。
 人が多いせいなのか、打ち上げ花火の規模が大きいからなのか、打ち上げ会場は、3会場になっている。
 そもそも、ここの花火は、由緒正しい歴史があるもので、近くにある天神様に奉納する花火から始まったものだった。
 五穀豊穣を願い、一年のお礼も兼ねての花火の奉納。
 ここ数年は、全世界的なパンデミックによって、中止の憂き目に遭ってきたが、復活する年はさぞや、賑わうことに違いない。
 この街の人口は、約40万人くらいの、県庁所在地にするには、規模が寂しいところである。ただ、全国的には結構有名なところなので、知らない人はあまりいないだろう。ただ、それが何県にあるのかというのを知っている人は、離れた地方だと、きっと分からないことだろう。
 ここの市は、元々面積が広いところではあったが、平成の市町村合併で、近隣の町村をかなり取り込んだことで、面積も人口も結構増えていた。
「えっ、こんなところまで取り込んだんだ」
 と思うほどのところで、そういう意味で、都心部の都会だけではなく、まわりの農村部の割合も増えたことで、いよいよ、都会は都心部の一部という感じになっていた。
 それでも、まわりの田舎部分にも、郊外型のショッピングセンターや、分譲住宅の開発などが行われ、平成の途中から、
「ドーナツ化現象」
 というのが進んでいた。
 中心駅に新幹線が停まるということで、駅前の再開発が行われたが、そのせいで駅前の活気がなくなったのだったが、それも、最初から、ドーナツ化現象を分かってのことだったのか。
 もしそうだということであれば、
「先見の明があった」
 といえるだろう。
 ここは、F県でも、中心部から、少し離れたところにあるので、県庁所在地からでも、在来線なら、40分くらいだろうか? 新幹線を使えば、15分という、そんなには遠くはないが、その間に人がる田園風景を見ていると、かなり遠くに来たような錯覚を以前は受けていた。
 しかし、新幹線ではあっという間、席に座っても、すぐについてしまうほどで、少し行くと、海も近く、正面には、隣の県をまたいでの山脈も広がっている。
 このあたりは、隣の県と接していることもあり、市外局番も、県をまたいで同じだったりするという珍しいところであった。
 全国には似たようなところは結構あるようだが、最近は、ケイタイやスマホの電話が多くなっていて、固定電話の市外局番を使うということも少なくなってきていることから、ピンとくる人も少ないことであろう。
 それを思うと。街が様変わりするのも、時代の流れということで、しょうがない部分もあるのだろう。
 そういう意味でも、数百年続いてきている、
「奉納花火大会」
 は続けていってほしいものだ。
 とは言いながら、そこで生活している人にとっては、その日はあまりありがたくないと思っている人も少なくない。
「確かに年に一度のことなのだろうが、その日は夕方から、夜にかけて、車であれば、交通規制がかかり、電車で移動しようとしても、入場制限がかかるほどの人手の多さ、迷惑千万というものだ」
 と言いたくなってくる。
 特に、だいぶ収まってきたとはいえ、パンデミックがなくなったわけではない状態で、電車内で密になるというのは避けてほしい。
 何と言っても、あのパンデミックでのひどさは、今までにないほどの未曽有の大惨事を引き起こしたのだ、
「救急車を呼んでも、すぐには来てくれない。救急車が来ても、受け入れ病院が決まらず、救急車の中で待機状態。病院にやっと入れても、最期は手遅れだった……」
 そんな悲惨な状態だった。
 それは、パンデミックを引き起こした伝染病患者に限ったことではなく、通常の病気やケガで救急搬送しなければいけない人が、病院がいっぱいで受け入れることができず、
「すぐに病院に搬送されれば、死なずに済んだものを」
 という状況を引き起こしていたりするのだった。
 さらに、伝染病患者は、病院のベッドが空いておらず、自宅療養を余儀なくされ、そのまま自宅で死亡などということも増えていた。
 病院もいっぱいいっぱいで、完全に、
「医療崩壊」
 を起こしていたのだ。
 これは、もうどうしようもない状態にまで来ていた。
 政府としては、
「人流を抑える」
 という対応しかできなかったので、何とか、今は抑え込んでいるが、この状態がどれほど続くのか? と思っていたが、その後は次第に収まってきて、今は少し落ち着いている状態だ。
 かといって、パンで三区が収まったわけではない、
 しいて言えば、
「なくならないのであれば、共存を考えるしかない」
 というもので、今は何とか、これ以上の患者数を増やさないようにしながら、経済を復活させていくしかないのだった。
 ただ、怖いのは、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
 ということわざにもあるように、それまでの予防対策を、徐々に緩和政策をしていくと、考えの浅い連中が、
「ああ、もうパンデミックは終わったんだ」
 と思い、かつてのような、バカ騒ぎを起こしかねない。
 このパンデミックというのは、確かに恐ろしいものではあったが、ある意味、
「自然界が人間に対して発する、警鐘なのではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 人間社会は、文明の利器によって、生かされている。逆に言えば、文明の利器がなければ、生きていけない。
 インフラが混乱すれば、人間も大いに混乱する。電気がなければ、生活すべてがストップするといっても過言ではない。
 スマホやパソコンが動かない。情報が入ってこない。まるで、盲目状態も同然だ。
 目が見えないコウモリであれば、その代わり、超音波を発し、その反射で、自分の位置を知ったり、敵を察知することができるという超能力を持っている。
作品名:必要悪と覚醒 作家名:森本晃次