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必要悪と覚醒

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 平清盛というオーラが消えたことで、平家は滅亡の一途を辿ったのだが、いろいろな含みがある。一番大きなことは、
「清盛が義経、頼朝を生かしてしまった」
 ということであろう。
 しかし、平家が支配の拠点を朝廷内にしか目を向けておらず、東国武士の存在を考えなかったことに大きな原因もあるだろう。
「平家は、貴族化してしまった」
 それが、反乱となったのだ。
 しかし、平家は、海洋民族であり、目は海外、宋との貿易に向いていた。鎌倉幕府のように、土地とその支配権によっての主従関係という、
「封建制度」
 は、いずれ鎖国にまで至らせることになるのだから、
「時代は100年などではないのかも知れない」
 といえるのではないだろうか?
 それが歴史というものであり、結局、鎌倉幕府も外敵のために亡ぶことになる。何と皮肉なことだと言えるだろうか? そして、それが証明されたのが、北条氏による、粛清。そこまでしないと、封建制度は成り立たないのだろう。
 そんな古代や中世までを考えてくると、その日一日がいつの間にか終わりかけていることに気づかされた。
 時計を見れば、午後五時、そろそろ、上司の言った、
「業務を終えていい時間」
 だった。
 興味のあることであれば、何度でも記憶がないくらいに考えることが多い畠山は、急いで、会社を出て、電車に乗った。セミナー会場は、電車で2駅ほど行ったところの予備校の入ったビルで、自分はその予備校ではなかったが、近くまで来たことはあったので、少々の考え事をしていようが、迷うことなどないはずだった。
 電車の2駅が約10分くらいのものか。その間、ほとんど何も考えなかった。
 それは車窓を見ているだけで、2駅などあっという間だからである。
 しかも、昔は毎日のように乗っていた路線であったが、久しぶりということもあって、
「こんなにも、変わってしまっていたんだな」
 と思う程だったのだ。
 車窓を見ていると、それまで商店街だったところが更地になっていたり、駐車場になっていたりと、思ったよりも、ビルが減ってきていることにビックリした。
 この路線に乗るのは、10年も経ってはいなかったが、毎日のように3年ほど通った路線だけに、
「勝手知ったる」
 と思っていたのが、勘違いだったなんて、思ってもみなかった。
 しかも、以前の10分は、もっと長かったように感じたが、この日はあっという間だった。
 時間も同じ夕方だし、そんなに違う時間でもないのに、これこそ、
「カルチャーショック」
 なのだろうか?
 しかも、街が発展したのであれば、カルチャーショックといえるだろうが、明らかに衰退したとしか思えない。
「俺の知っているあの街は、どこに行ってしまったのだろう?」
 と感じた。
 ちなみに、これからいく駅は、このあたりでも中心的な駅で、新幹線の駅もある。
 自分が通っていた頃はまだ駅はなく、駅ができたがm2年前だった。
「新幹線が開通したんだ」
 ということで、さぞや、街は浮かれているんだろうと思っていたが、その思いが自分のハードルを上げる結果になってしまったというのか、
「何で、こんなにおとなしい街になってしまったんだ?」
 と感じたのだ。
 自分が毎日のように通っていた時は、まだ、駅の改装を始めた頃で、まだまだ駅前の横丁や店は半分くらい残っていた。
 それでも、少しずつ歯抜けのように、店がなくなっていくのを見ると、寂しさは隠しきれなかった。
 しかし。
「もうすぐ新幹線が開通し、賑やかさが戻ってくるんだ」
 と思っていたが、それは大きな間違いだった。
「新幹線が開通すると、新幹線が停まるあたりしか賑わことはない」
 と、今までの地方新幹線の例から分かっていたことであったが、何しろ、それまで通っていた在来線の特急列車は廃止になるのだから、特急が停まっていた駅は、閑古鳥が鳴くというわけだ。
 しかも、新幹線の駅などの開発や、維持費などは、市民の税金だというではないか?
 何も知らずに、
「新幹線の駅ができる」
 といって、喜んでいるお花畑的な発想の人もいるが、実際には、自治体から、その負担に耐えられないという試算で、駅の建設を、反対しているところもある。
 かたや、特急がなくなることで困っていると思えば、新幹線の駅ができることで、市民の血が流される。こんな誰も得をするわけではない整備新幹線など、誰が開発するというのか?
 実際に、新幹線が開通しても、以前の特急ほどの利用客が見込めるというのか?
 そんなことを考えていると、まさかの駅前や、街全体も、寂れてしまっているというのは、一体どういうことなのか?
 一体昔の活気はどこに行ってしまったというのだろうか? 誰に文句を言っていいのか、たまにきた自分でも考えるのだから、ここに住んでいる人たちは、たまったものではないだろう。
 そんな駅が、再開発されると、まずは、インフラの整備という意味で、駅前のロータリーにバス停や、タクシー乗り場がある、
 以前は、駅が公園のようになっていて、噴水などがあったのに、今ではその噴水もなくなっている。
 確か、ご当地の戦国武将の銅像もあったはずなのに、どこかに撤去されていて、ちなみにこの駅は、駅構内で孔雀を飼っているという珍しいところだった。
 それが、人気だったのに、今では孔雀は、動物園に引き取られている。まったく昔の駅の雰囲気はなくなってしまった。
 駅前は改装のためということで、いろいろなお店が立ち退きを行った。
 たぶん、駅が生まれ変われば戻ってくるものだと思っていたのに、戻ってきた店は半分もない。飲み屋などは、そもそも横丁がなくなっていることで、食事ができるようなダイニングバーのようなところであれば、戻ってこれるかも知れないが、普通の焼鳥屋では、たぶん、商売はできないだろう。
 一つ言えることは、今まで駅前に立ち寄っていた人は、皆、直行で家に帰るようになった。
 一番の理由は、バス停などの近くに、食事ができるところ、喫茶店、飲み屋街が昔はあったのに、区画整理をされてしまったことで、駅前にバス停などは集中し、食事や飲み屋などというところは、少し歩かなければ、店がないという状態だ。
 今までも、駅の改装中は皆、寄るところもないので、すぐにバス停に電車を降りてから並んでいた。
 急がないと座れないということもあり、まわりを見向きもせずに、バスに乗り込む。駅は、家に帰るための、通過点でしかなくなってしまったのである。
 昔は、駅前で呑んで帰るのが恒例だった人も、店がないのだからしょうがない。
 しかも、そんな連中が一度家に直行のくせがついてしまうと、店ができても、立ち寄ろうという気にはならなくなってしまっている。
「家に帰れば、食事がある」
 という生活が今の生活になったおかげで、駅前で飲み食いする人も少なくなってきた。
 そうなると、今までの雑踏のような駅前のカオスが、今は芸術的な感性を持った駅に生まれ変わり、シックな色合いが似合う、これこそ、
「令和の駅」
 といえるような佇まいになっているのだった。
作品名:必要悪と覚醒 作家名:森本晃次